植松紀子先生インタビュー(1/4)

---先生がカウンセリングに取り組まれるようになったきっかけから、お伺いしたいと思います。

いちばん最初のきっかけは、小学生のころに病気がちだったことです。入退院を繰り返していたために、小学校には満足に通えなかったんです。入院中、母は他のきょうだいの世話に手いっぱいで毎日は来てくれないし、話相手も誰もいなかったんですね。とっても孤独で、「こんなとき心のサポートをしてくれる人がいたら、どんなに心強いだろう」って毎日思っていました。

その後、高校生になって具体的な進路を考えたときに、ある本から海外には「カウンセラー」という職業があることを知ったんです。日本ではまだ、この職業についてほとんど知られていなかったけど、「自分がやりたい仕事はこれかもしれない」ってピンときたのね。同じ時期に、日本でも「自閉症」という病気が知られるようになって、すごく興味を持ったの。それで、「そうだ、私は子どもの心に関わる仕事をしよう」って決めたわけです。

でも、その当時は心理学科のある大学ってとっても少なくて、入学には苦労しました。2次募集でなんとか入学できたものの、その大学には「自閉症」を教える教授がいなくて、やりたい勉強ができないので悩みました。それで、担当教授から自閉症について研究していらっしゃる他大学の教授を紹介してもらったの。その先生の下で、病院ボランティアとして自閉症の子どもたちと関わりながら卒論を書き、卒業と同時にその病院で働くようになりました。これが、私のカウンセラー人生のスタートね。まだ、当時は「臨床心理士」という名称もなかった時代だから、「心理相談員」と呼ばれていました。

 

 

---それから現在に至るまで、ずっとカウンセリングに関わっていらっしゃったんですか?

その病院では、5年間働きました。とっても忙しくて、1日に6ケースも受け持つような毎日。でも、そのめまぐるしい日々が、いまのカウンセラーとしての下地になったと思います。

その間に結婚して、夫がシンガポールに赴任することになったので、私も付いていかなければならなくなったの。それで、仕事は一時中断して、シンガポールで2人の女の子を出産し、しばらく専業主婦をしていました。でも、以前から「子どもができたら、当分しっかり育児をしたい」と思っていたので、異国の地で不安もいっぱいあったけど、育児に専念することができて充実していました。

帰国後は、育児をしながら、非常勤で自治体の児童相談所などのカウンセラーをしていました。今は子どもたちも独立したので、常勤カウンセラーとして「こどもの城」小児保健部で働いています。(編集部注:現在は退職)

 

 

---ご自身の育児経験も生かしながら、復帰後も一貫して子どもの心の問題に関わって来られたんですね。先生のご経験も踏まえ、妊娠期から「母親として子どもに向き合うなかで、いちばん重要なこと」はどんなことだと考えられますか?

ひとことで言えば、子どもを授かったら「腹をくくる」ということです。今までは仕事優先だったかもしれない、自分の楽しみに一生懸命だったかもしれない。でも、妊娠したら、腹をくくって自分と赤ちゃんのためにどう生活を整えるかを第一に考えることが、本当に大切なんです。

たとえば、妊娠前までの「夜更かし生活」を妊娠中も続けてしまうと、生まれてきた子どもも夜更かしな子になるんです。子どもの体内時計は、お母さんのお腹の中から始まっているわけですからね。胎児の頃に、赤ちゃん自身が「夜はぐっすり寝るものなんだ」と分かっていれば、夜間の授乳が終わってしばらくすれば、夜にぐっすり寝てくれるようになります。

それに、お母さんだって夜型の生活パターンが抜け切らないと、朝、頭がぼ〜っとして、赤ちゃんが何か要求していても、世話をするのがおっくうになってしまうでしょう。泣かれてイライラして、子どもに当たってしまったり、こういうのもみんな夜更かしが影響してしまうんです。

妊娠中は、いわば産んだあとの生活への助走期間。生活リズムだけじゃなくて、食生活を見直すこともそうですよね。自分が食べたい物ではなくて、赤ちゃんのために何が必要なのかを常に意識する。この頃に、常に子どものことを考えるクセをつけておけば、産んだあとにイライラしてパニックになることも少なくなります。

 

植松紀子先生インタビュー(1/4)

 

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