
私は、両親が仕事で忙しく、ほとんど家にいない家庭で育ちました。幼いころは父方の祖母に預けられていましたが、極度の人見知りで内向的な性格だったため、祖母も対応に苦労していたと聞いています。言葉を話すのも遅く、保育園にもなじめなかった私を、祖母ひとりで世話するのは限界だったのでしょう。そんな状況を見かねた父方の叔母が、私を引き取ることを申し出てくれました。
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叔母との生活で変わり始めた日常
叔母は私の両親に直接話をし、「このままでは子どもも祖母もつらい」と訴えたそうです。しかし両親は、海外出張の多い仕事を理由に、十分な育児ができないと判断したようでした。
最終的に叔母は、「それなら私が育てます」と私を引き取ってくれました。こうして、私の新しい生活が始まったのです。
叔母のもとで小学生になった私は、少しずつ表情が増え、学校生活にも慣れていきました。叔母は私を引き取ったのをきっかけに、在宅で働けるプログラマーへ転身しており、日々パソコンに向かう姿が身近にありました。
興味本位で触れたプログラミングは、私にとって初めて「楽しい」と思えるものだったのです。叔母が驚くほど夢中になり、気が付けば簡単なコードを書けるようになっていました。
周囲との関わりが、人との距離を縮めてくれた
また、隣に住むA子さんとも自然と顔を合わせるようになりました。彼女は明るく社交的で、私のような子どもにも分け隔てなく接してくれました。
その存在のおかげで、私は少しずつ人と話すことへの抵抗が薄れ、学校や地域での人間関係にも前向きになれたのです。
大学進学後、私はプログラミングの経験を生かしてアプリ開発をおこない、仲間とともに小さな会社を立ち上げました。試行錯誤の連続でしたが、1周年を迎えるころには事業も軌道に乗り、一定の評価を得られるようになりました。
節目として、叔母や学生時代から支えてくれた知人を招き、ささやかな会を開いた際、私は「自分のように生きづらさを抱える人を支えるサービスを作りたい」と、仕事への思いを語りました。そこには、叔母への感謝の気持ちも込められていました。








