
ある日、母がふいに口にしたのは、自分の生理の話でした。いつもの調子で明るく、薬が効かないほどの痛みや手術のことまでさらりと語る母。その笑顔を見ながら、母の「大丈夫」の中に、私は何を見落としてきたのだろうと胸がざわつきました。
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重い生理に苦しんできた母
母は私を産む前から、重い生理と向き合ってきました。通院もしていて、医師から子宮内膜症(子宮内膜に似た組織が子宮の外にでき、炎症や癒着を起こして強い生理痛や不妊の原因になることがある病気)だと診断されていました。
生理が起こりにくい状態を作る薬を処方され、その間に病状を落ち着かせる治療をしていたそうです。けれど、医師の指示で薬を中断して生理が再開すると、すぐにまた重い生理痛に戻ってしまったと言います。医師から「子どもを産めば治るよ。それまでの辛抱だからね」と言われたこともあったそうです。
母が35歳のとき、私が生まれました。当時の母はじんましんが出やすい体質で、出産後まもなく薬を飲む必要があり、授乳期間はほとんどなかったと聞いています。そのせいか、出産から2カ月ほどで生理が再開したそうです。そこからまた重い生理が始まり、レバーのような出血と、薬も効かないほどの強い生理痛に悩まされたと母は話していました。
子宮全摘を決意
私が幼稚園へ入園する時期を迎え、母は「生理中に私を幼稚園まで送迎することは難しいだろう」と考えました。そこで、バス停までの送り迎えで済むように、当時としてはまだめずらしかったスクールバスつきの幼稚園に通わせることにしたそうです。これなら大丈夫だと思っていたのに、私が年長になるころには、その「バス停まで」の送り迎えさえ生理中はつらくなっていったそうです。
翌年に小学校入学を控えた私を見ながら、母は「このままでは、成長していく娘にどんどん対応できなくなる」と強く思ったそうです。そして40歳のとき、医師のすすめもあり、子宮全摘手術を決意しました。
手術は無事に終わりました。術後の痛みは本来かなりのものらしいのですが、母は鎮痛剤を「大丈夫です」と断ったそうです。理由を聞くと、母は笑いながら「毎月の生理痛のほうが痛かったのよ」と言いました。いったいどれほどの痛みに毎月襲われていたのだろうと思うと、胸が痛くなりました。








