
私は現在49歳。21歳になる娘・A子との関係に、長い間悩んできました。A子は高校卒業と同時に家を出て就職し、その後1人暮らしを始めました。それから3年、私たちはほとんど連絡を取れていませんでした。
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夫の遺言を胸に、私は働き続けた
夫は、A子が小学生のころに病気で他界しました。最期まで穏やかだった夫は、繰り返しこう言っていました。
「A子のことをちゃんと見ていてほしい」
「俺がいなくなっても、困らないように頼む」
私はその言葉を胸に刻み、「絶対に不自由な思いはさせない」と誓いました。母親ひとりになっても、経済的に苦労だけはさせたくない。そう決意し、印刷会社でデザイナーとして働きながら、昇進を目指しました。
残業や休日出勤も積極的に引き受け、「私が働けば働くほど、A子の将来は安定する」と信じて疑いませんでした。
習い事や塾、私立進学、部活動の遠征費——できる限りの環境を整えました。けれど今振り返ると、私は「与えること」に必死で、A子の気持ちに寄り添う余裕を失っていたのだと思います。
すれ違いは、静かに深まっていた
忙しい日々の中で、A子と向き合う時間は少しずつ減っていきました。
「今度の試合、見に来られないかな?」とA子に言われても、私は「その日は仕事があって……ごめんね」と断ることがほとんどでした。
「あなたならできるよ」「期待しているからね」と励ましのつもりでかけた言葉も、きっと彼女には空虚に響いていたのでしょう。やがて門限を守らないことが増え、私は強い口調で注意するようになりました。
ある日、A子は涙ながらに「連絡しても意味ないじゃん。私のほうが、お母さんを待ってるんだよ」と言いました。その言葉に胸が揺れたはずなのに、私は「あなたのためを思って言っているの」と正論で返してしまいました。
進路の話し合いでも意見は食い違い、「大学に進学したら、この家には帰らない」と言われたとき、私はうまく言葉を返せませんでした。
高校卒業の日、A子は私に詳細を伝えないまま家を出ました。それが、私たちの事実上の別れでした。








