偶然の再会で知った、娘の本音
それから3年。連絡をしても返信はなく、私もどう向き合えばいいのかわからないまま時間だけが過ぎました。
ある日、都内での打ち合わせ帰りに立ち寄ったカフェのテラス席から、公園が見えました。そこで私は、見覚えのあるA子の後ろ姿を見つけたのです。
A子は、転んで泣いている小さな女の子に駆け寄り、「大丈夫だよ」と優しく声をかけていました。その姿は、私の知らない、誰かの支えになっている大人の女性でした。
やがて同僚らしき女性と合流し、会話の中でA子が大学に通いながら子どもと関わる仕事をしていることがわかりました。そして、彼女はぽつりと語り始めました。
「お母さん、ずっと働き詰めで……。不自由はなかったけど、寂しかった」
「『卒業式にも来るな』って言ったままなんです」
「本当は、ちゃんと謝りたいのに……」
その言葉を聞いた瞬間、私はもう物陰に隠れていられませんでした。私は思わずA子のもとに駆け寄り、声をかけました。
「A子、ごめんなさい。寂しい思いをさせていたね」
突然の再会に驚きながらも、A子は泣きながら「お母さん、私こそごめん」と言いました。3年間の距離は、一瞬で消えたわけではありません。けれど、お互いが素直な気持ちを口にできたことで、ようやく同じ場所に立てた気がしました。
「これからは連絡する。ちゃんと話したい」と言ってくれたA子の表情は、以前よりずっと大人びて見えました。
これからは、隣に立てる母でいたい
先日、A子から「来月、大学の卒業式だから来てほしい」というメッセージが届きました。あの日、高校卒業式には立ち会えませんでした。でも今度は、胸を張って娘の姿を見届けたいと思います。
時間は戻りません。けれど、これからの時間は選べます。
私はようやく気付きました。守るとは、与えることだけではなく、そばにいることなのだと。これからは、母として「支配する人」ではなく、「隣に立てる人」でありたい。そう心から願っています。
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経済的に守ろうと必死だった母と、心のそばにいてほしかった娘。互いを思う気持ちがあったからこそ、すれ違いはより深くなってしまったのかもしれません。親子関係に正解はありませんが、歩み寄る勇気があれば、やり直すことはできるのだと感じさせられるのではないでしょうか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。








