
母を亡くした年の夏、私は母の初盆を迎えました。大切な人を亡くした悲しみをかき消すように、葬儀や忌明け法要などを慌ただしくおこなってきました。初盆を迎えるころには、遺品整理やお墓の問題も浮上していました。年を重ね、自分が残された家族の立場になったことで、私なりの「終活」を具体的に考え始めました。今後のために、できる範囲で身の回りを整理しておきたいと感じた、私の終活についてお話しします。
★関連記事:「寂しくなかったかな…」母を見送り芽生えた終活への意識。家族への思いやりと備え【体験談】
遺品整理と掃除の日々
10年ほど前だったかと思います。私が子どものころに習い事で着ていた着物を、母が京都の知人に譲ったことがありました。「着物を必要とし、喜んで引き取ってくれるところに着物を渡せてよかった」と笑顔で私に話していました。
家族の本や洋服、そして私が桃の節句で親戚からいただいた博多人形なども、ひとまとめに整理していたのを覚えています。
そのときは、「何で思い出の品を整理整頓しているのだろう」と思いました。今思うと、母なりに身の回りの整理をしていたのだと思います。しかし、母は体調がすぐれなくなるにつれて、物を捨てることが難しくなっていきました。
母が亡くなってからしばらくの間、私は毎週のように実家に通い、母の遺品整理と掃除をしていました。片付けても、片付けても、次から次へと家族の思い出の品が出てきました。思いが詰まった遺品の整理では、涙が出て手が止まることもあり、心身共に大きな負担となりました。
私は今回、遺品整理の大変さを実感したことで、身の回りの物について生前整理をする「終活」を始めました。
手放すかどうか迷う物は、写真を撮り、「ありがとう」と言って“さよなら”しています。できるうちに少しずつ進めておかないと、体が思うように動かなくなったときには、物を手放すことが難しくなってしまうかもしれません。
生前の母の姿を思い出し、そう思ったのです。
お墓の管理と今後の不安も…
今後のお墓の管理も、私の悩みの一つです。実家のお墓には先祖代々の親族が埋葬されています。しかし、私以降はお墓を継ぐ者がいないので、先々のことを考えると、永代供養(遺族などに代わって、寺院や霊園が遺骨の管理や供養を行う供養方法)についても検討しなければなりません。
また、実家のお墓は山の中腹にあり、歩いて坂を上り下りします。年齢のことを考えると、「いつまでお墓に足を向けることができるのだろうか」と不安を感じます。
ゆくゆくは墓じまい(現在のお墓から遺骨を移し、墓石の撤去や墓所の返還などをおこなうこと)をして、永代供養にするかもしれませんが、それに伴う費用の問題も出てきます。
また私自身、自分の葬儀にかかる費用だけは、残される家族の負担にならないように、できるだけやりくりしておきたいと思っています。
母の葬儀後に親族で集合写真を撮影したのですが、全員、生気のない表情で写っていました。大切な人を亡くして、心身共に疲れ果てています。そんなときに、葬儀やお墓にかかる費用の悩みまで重なると、想像以上に大きな負担になると感じたからです。
私の代で、できる範囲でお墓の供養を済ませておき、残された家族に心身の負担や金銭的な負担ができるだけかからない葬儀にしてほしいと思っています。お墓に関する「終活」もしておきたいと思いました。








