3人目を妊娠し、出産まで幸せな気持ちいっぱいで過ごせると思っていたのですが、実際は思い描いていたマタニティライフとはほど遠いものでした。切迫流産と診断され、予想外の手術を経験し、心配ごとが尽きないまま家族でハラハラしながら出産まで過ごすことに……。そんな波乱万丈だった妊娠から出産までのお話をお伝えします。
え?! 子宮頸管無力症と絨毛膜羊膜炎?!
私が切迫流産と診断されたのは妊娠8週目でした。妊娠が判明してからすぐに切迫流産の診断がされ、この先妊娠が継続できるのだろうかと不安でいっぱいに……。でも1人目と2人目も切迫早産を経験していたこともあり、「なんとか頑張れるかな?」とも思っていました。
しかし、診断書には切迫流産の他に「子宮頸管無力症」と「絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)」とも書いてあったのです。どちらも流産や早産の要因となるものでした。
妊娠継続のために必要な手術
絨毛膜羊膜炎や子宮頸管無力症と診断され、“安静第一”の指示を受けました。私は、長男は早産で、娘のときも切迫早産で長期入院の末の出産だったので、とにかく安静にしていました。しかし、子宮頸管長は短くなるばかりだったのです。
ついに、「妊娠を継続するために手術の必要がある」と医師から告げられました。「子宮頸管縫縮術」という、下半身に局所麻酔をし、子宮口が開かないように子宮頸管を縛る手術です。術前術後で約1週間ほどの入院でした。上の子2人と会えない不安と、おなかの子への心配とで気持ちが忙しかったことを今でも思い出します。
手術したのに…長期入院になってしまった
子宮頸管縫縮術を終え、完全に安心しきっていたのですが、なんと手術で縛った子宮頸管がギリギリのところで保てている状態に! 医師からは「全然“大丈夫”ではない」と言われてしまいました。結局、切迫流産で妊娠20週から出産する妊娠36週までの長期入院をすることになったのです。
入院中は、子宮収縮抑制剤を決まった時間に服用し、2人目のときにつらかった点滴にならないように毎日を過ごしていました。安静にするためにおしゃべりも寝たままでするという徹底ぶり。妊娠35週で内服から点滴に切り替わってしまったものの、なんとか正期産の時期ギリギリまで妊娠継続することができました。
出産まで1日たりとも安心できなかった妊娠期間でしたが、妊娠36週5日に帝王切開で出産することができました。多くの困難のなか乗り越えられたのは、夫と上の子どもたち、そして私たち家族を助けてくれた親族のおかげです。てんやわんやの妊婦生活でしたが、今考えると貴重な時間だったように思います。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。受診している産院・病院によって対応は異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
著者:三上美咲
3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。