私の手はアルコール消毒と手洗いでひび割れ、数時間おきの体位変換のため、まとまった睡眠もほとんど取れませんでした。それでも、日々の終わらない作業を、ただ黙々とこなすしかなかったのです。
押しつけられた介護
義妹は、義父の部屋のにおいを極端に嫌いました。排泄介助の後はいくら換気しても、特有のにおいが残ります。
義妹は何度も「友だちも呼べないし、婚活の邪魔なんだけど」と騒ぎ立てました。私が見かねて義父の部屋用に空気清浄機を購入すると、数日後には「私の部屋のほうが大事だから」と勝手に持ち去ってしまったのです。
「お義父さんも快適に過ごしたいはずだよ」とたしなめても、「こっちだって普通に暮らしたいんだけど。いつまでこの生活が続くの」と不機嫌さをあらわにするばかり。義母もそんな義母の態度を見て見ぬふりしていました。
葬儀直後の追放
義父が息を引き取ったのは、それから数カ月後のことでした。悲しみに暮れる間もなく、あわただしく葬儀は終わりました。
一方、義母と義妹は葬儀費用の清算が終わっていないのにもかかわらず、家に残っていた現金を持ち出し、「長年の看病の疲れを癒すため」「気分転換が必要だから」と理由をつけて、温泉旅行に出かけていったのです。
私はひとり、静まり返った家で、レンタルしていた介護用ベッドや医療機器の返却準備をしていました。壁に残ったベッドの擦れ跡を拭きながら、ようやく一区切りついたと思っていたのですが、そんなタイミングで義妹から電話がかかってきたのです。
「ねえ、私たちが帰るまでに荷物まとめて出てってくれない?」
「もう介護も終わったんだし、お兄ちゃんもいないし、いつまでもここにいられても困るんだよね」
いきなりの言葉に驚いたものの、思わず私の口からでてきたのは「ありがとう!」の一言でした。
それには義妹も一瞬「え?」と驚いたようでしたが、すぐに「あ、強がってる? けどお母さんも同意してるから!」と言って、義妹は一方的に電話を切りました。
10年間。私の20代後半から30代のほとんどを費やした日々が、たった数十秒の電話で切り捨てられたのです。
結局その夜は一睡もできず、私は薄暗い天井を見つめながら、ただ涙を流すことしかできませんでした。
駅前の喫茶店での逆転劇
私は言われた通り、義母と義妹が帰ってくる前に義実家を出ました。長年の介護生活で、服もほとんど買い替えていなかった私。結局私の荷物は、トランク1つに収まる程度しかありませんでした。
それから10日ほど経ったころ――私のスマホには、義妹からの着信が1日に何十件も入り続けていました。これ以上連絡が来ても困ると思い、私は義実家の最寄り駅前にある喫茶店で義妹と会うことに。
現れた義妹は、旅行前の余裕が消え、髪も化粧も乱れていました。
「お義姉さん! 本当にごめんなさい! うちに戻ってきて!」
席に着くなり、義妹は身を乗り出して懇願してきました。
「お母さんも私も、何もわかんなくて……。病院からの支払い確認とか、介護ベッドやお葬式の業者が来ても、誰も対応できないの。家の中も回ってなくて……!」
私は冷めかけた紅茶を一口飲み、静かに尋ねました。
「でも、私に出て行けって言ったのはあなたたちだよね?」
「あれは嘘! 私が勝手に言っただけなの!」「お母さんからも、今すぐお義姉さんを連れ戻さないと、家から追い出すって言われてて……!」と必死な義妹。
義母も義妹も、ようやく気づいたのでしょう。義実家を回していたのが誰なのかを。
「もう新たな住まいは確保しているし、仕事も決まったの。あなたたちのところに戻ることはありません」
私が冷たく告げると、義妹は「わ、私、心を入れ替えて働くから! 家事も手伝うし! だから、私とお母さんを見捨てないでよ!」と半泣きでした。そこで、私はバッグから1枚の紙を取り出し、テーブルの上に置いたのです。
「何よ、これ……」と義妹。その紙は、姻族関係終了届の控えでした。
本当は、夫が亡くなったあとに出せたはずの姻族関係終了届。義父の介護があったため、私はすぐには関係を切れずにいました。しかし、義父を見送った今、もう提出を迷う理由はなくなっていたのです。
「私たちはもう家族じゃないの。だから、これからは手続きも支払いも、あなたたちがやるのよ」
姻族関係終了届の控えを手に取り、隅から隅まで目を通した義妹。その手は、微かに震えていました。
「待って……嘘でしょ……。せめて、葬儀代の清算が終わるまで手伝ってよ……! 今月の生活費だってもうないのに!」
そして義妹は顔を覆い、「お母さんに追い出される……!」と泣き崩れたのです。
しかし、私にできることはもうありませんでした。かける言葉も思いつきませんでしたし、励ます義理もありません。私はレジで自分の分の紅茶代だけを支払い、振り返ることなく店を出ました。
その後――。
義妹や義母からの連絡はすべてブロックしました。もう義妹からの大量の着信に怯えることはありません。
後日、不動産屋から私に連絡がありました。どうやら、義妹と義母は義実家を売却し、別々に引っ越した模様。近隣への聞き取りから私に辿り着いたようで、電話をかけてきたのです。
売却前の残置物の中に義父と夫の位牌が残っており、それをどうしたらよいか、という連絡でした。もちろん、私はその位牌を引き取ることに。
今、私は駅から少し離れた1LDKのアパートで暮らしています。義実家からするとかなり狭い部屋ですが、介護ベッドのモーター音や深夜の呼び出しベル、義妹の不機嫌な足音や暴言、義母の愚痴が聞こえることはもうありません。他人の顔色をうかがう息苦しさもここにはないのです。
10年という月日は決して短くありませんでした。しかし、亡き夫と義父と過ごした時間は、誰にも奪えません。遠回りしたかもしれませんが、ようやく私は、自分の人生を自分の足で歩き始めるのです。
【取材時期:2026年1月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。