ある日も、仕事の最中に夫から「今すぐ母さんのところに行ってくれ」と連絡が来ました。
私が仕事中で時間がないと断り、夫から義母へ説明してほしいと頼んでも、夫は聞く耳を持ちません。私だって仕事をしているのに、都合のいいときだけ小間使いのように扱われることに強い憤りを感じました。
夫が休日や仕事終わりに手伝えば済む話のはずなのに、彼は自分が動こうとはしなかったのです。
約束したはずなのに…
結婚前、義母の夫への執着心に不安はありましたが、「何があっても君の味方だ」という言葉を信じました。しかし、現実はまるで違っていたのです。
私が家で仕事をしていることを義母に説明すると約束してくれましたが、言葉だけで状況が改善されることは一度もありませんでした。義母に会うたびに嫌味を言われることを訴えても、夫は「俺の母親なんだからもう少し寄り添ってあげて」と私に我慢を強いるだけ……。
夫への不信感と、義実家に対するモヤモヤは、日を追うごとに増していきました。
骨折したワケ
それから1週間後の週末、私は腕を骨折していました。先日、義実家の屋根裏収納の掃除を手伝わされた際、ハシゴから落ちたのです。
ハシゴをおさえていたはずの義母が、不注意で片手を離してしまい、その結果私がバランスを崩しました。わざとではないにせよ、義母のせいであることに違いはありませんが、義母はヘラヘラ笑って形ばかりの謝罪をするのみ……。
それなのに義母は、法事の準備が終わらないからと言って、義実家の掃除を手伝うよう命じました。渋々向かうと、義母はあれこれと私に用事を言いつけ、自分は「明日必要なお菓子を買ってくる」と言い残し、朝から手伝いに来ていた夫と出かけてしまいました。
ひとり残された私は、怒りと呆れで言葉を失ったのでした。
掃除をせずに向かった先は?
数時間後、一向に帰ってこない夫から連絡がありました。なんとふたりは、買い出しのついでにコーヒーとデザートでお茶しているというのです。片手で床掃除をしている私を放置して外出を楽しむ彼らに、私の我慢はとうに限界を超えていました。
そのとき、予定より早く義父の姉である義伯母が到着しました。不自由な体で一人掃除をする私を見て驚愕した義伯母は、事情を聞くと烈火の如く怒り、夫へ電話をかけました。
すぐ帰るよう一喝された夫は「僕らは朝から昼食もとらずに掃除していたから、休憩に出ているんだ」と見え透いた嘘をつきましたが、キッチンに残されていたデリバリーピザの空き箱によって、彼らがすでに食事をしてから出かけたことは一瞬で暴かれたのです。
夫との離婚
実は義母は、義伯母に頭が上がりません。亡き義父の遺産を使い込んで生活が困窮しており、義伯母が「弟の奥さんだから」と情けをかけて毎月の生活費を援助していたのです。
慌てて帰宅した夫と義母に対し、義伯母は冷酷な現実を突きつけました。私を守ろうとしない甥(夫)と嫁をこき使う義母の身勝手な態度に呆れ果て、経済的援助の完全な打ち切りを宣言したのです。
その混乱の最中、私は夫に告げました。「私も、今日であなたと家族をやめます。明日には荷物を引き払い、離婚届を置いて出ていきます」と。
数日後、義母からけがをさせたことへの謝罪、夫から「離婚だけは思いとどまってほしい」と泣き言の電話が来ましたが、私の決意は揺らぎませんでした。この期に及んで夫は「きちんと謝ったのだから母さんは偉い。許さないなんて心が狭い」と義母を庇ったのです。
その感覚に吐き気を覚え、「大好きなママと一生一緒にいればいいじゃない」と言い捨て、電話を切りました。
マザコン親子の末路
その後、夫は離婚を渋っていましたが、義伯母が話し合いの場を設けてくれたおかげでようやく観念し、無事に離婚届へサインしました。義母は援助の打ち切りに大泣きしたそうですが、自業自得でしょう。
現在、元夫は実家に戻り、金遣いが荒く家事もできない義母を養いながら苦労して暮らしているそうです。一方の私は、義伯母の紹介で条件の良い単身用マンションへ引っ越し、穏やかな一人暮らしを始めています。
◇ ◇ ◇
義母との接し方に悩む妻は多いからこそ、パートナーの理解と協力は不可欠です。
結婚とは本来、親から自立し、共に新しい家庭を築いていくもの。妻のSOSに向き合わず、母親の味方ばかりをしていた今回の体験談は、夫としてどう振る舞うべきだったのか考えさせられますね。
せめて中立な立場で双方の話を聞く姿勢があれば、また違った結末になっていたのかもしれません。
【取材時期:2026年4月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。※AI生成画像を使用しています