義母の体調は年々変化し、認知症の症状も進んでいるよう。意識がはっきりしている時間は少なくなり、食も細くなっていきましたが、好きな果物を出すとうれしそうな表情を見せることもありました。
夫も以前は、仕事の合間を縫って義母の様子を気にかけていました。夜に義母の部屋で眠る当番も、できる範囲で引き受けてくれていたのです。
でも、そんな毎日は長くは続かず……。土日はできるだけ介護をすると話していた夫が、いつの間にか仕事を理由に家を空けることが増えたのです。
仕事という言葉で片付けられて
義母の状態があまりよくないと医師から聞いたころも、夫の帰宅は遅くなる一方でした。私が心配していると伝えても、夫は「仕事だから仕方ない」と繰り返すばかり。
義母の残された時間が長くないかもしれない——そう思うほど、夫の態度は冷たく感じられました。
その後、夫はだんだんと介護に関わらなくなり、介護の負担を口にする私に向かって、「母さんが亡くなれば遺産が入るんだから、もう少しの我慢だろ」と悪びれずに言うようになったのです。
義母が教えてくれたこと
ある日のこと。義母は意識のはっきりしている日に、夫の不倫を私に打ち明けました。夫が義母の部屋で寝ていた日、不倫相手と電話をしていたようです。
義母は注意したそうですが「これからも介護されたいなら、妻には黙っていろ」と言って夫は取り合わなかったよう。義母は、涙を浮かべながら話してくれました。
認知症が進んでいたとはいえ、毎日そばで介護してきた私には、そのときの義母がどれほどはっきり話しているかがわかりました。ただ、感情だけで動くわけにはいきません。一刻も早く事実を確認しなければ、曖昧なまま踏みにじられてしまうかもしれません。
私は義母の話を記録して夫の行動を整理し、弁護士に相談のうえ、必要に応じて調査も依頼しました。
葬儀のあとに告げた決断
義母はその後、あっという間に旅立ちました。介護を始めて10年後のことです。最期は穏やかで、私はできる限りそばに寄り添うことができました。
葬儀も終わり、親戚を見送ったあと、夫は急にやさしい言葉を並べました。介護をふたりで全うできてよかった、これからは夫婦で幸せに暮らそう、と。
私はその言葉を、以前のようには受け取れませんでした。義母が弱っていく時間の中で、夫は私と義母を置き去りにし、不倫相手に気持ちを向けていたからです。
私は義母が亡くなる少し前から、実家に少しずつ自分の荷物を送り始めていました。義母を見送るまでは踏ん張る——でも、その役目を終えたら、夫との関係にも区切りをつけるつもりでした。
夫に向かって、私ははっきり伝えました。「不倫相手にもそう言ってるんでしょ? これ以上は一緒に暮らせません。離婚してください」
現実を突きつけられた夫
夫は激しく動揺し、「突然すぎる」「10年間は何だったのか」と取り乱しました。
私は、義母から聞いた不倫の話、その後夫の行動を調べたこと、不貞の証拠があることを伝えました。夫は最初、義母の話は信用できないと否定し、強い口調で言い返しますが、調査会社の証拠を見せると、もう何も言えない様子……。
さらに義母は、まだ意思表示がはっきりしていたころから、親不孝な夫だけでなく、介護をしてくれた私にも何か残したいと話してくれていました。弁護士に相談し、医師の確認も踏まえたうえで、遺言に関する手続きが進められていたのです。
不倫がバレていただけでなく、目論見通りの遺産が入らないとわかった夫は、膝から崩れ落ちたのでした。
離婚後に残ったもの
その後、夫は離婚を渋りましたが、弁護士を通して話し合いを進め、最終的には離婚が成立しました。不倫についても、夫と相手に対して必要な請求をおこない、財産の扱いについても専門家を交えて義母の意向通り整理しました。
夫は、思っていたほど自由に使えるお金が残らなかったようです。遺産を見越して不倫相手にもさまざまな約束をしていたようで、それがチャラになったことで揉めているとも聞いています。ただ、私はもうその細かな事情に関わるつもりはありません。
10年間の介護を、無駄だったとは思っていません。義母と過ごした時間には、たしかにあたたかいものがありました。これからは義母が残してくれたものを大切にしながら、自分の生活を立て直していくつもりです。
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欲や甘えが重なると、そばで支えてくれている人の存在を当たり前のように感じてしまうことがあります。しかし、どれだけ身近な相手でも、その関係は決して無限に続くものではありません。
失ってから後悔しても、傷つけた時間をなかったことにはできないもの。身近な人ほど、感謝や誠実さを忘れずに向き合うことが大切なのかもしれませんね。
【取材時期:2026年4月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。