義姉「親の介護とか無理!」→追い出された義母を受け入れた結果

私は30代の主婦です。夫と生後6カ月の娘の3人で暮らしています。
夫とは一緒に建築事務所を立ち上げました。ところが、私たちはどちらも事務作業が得意とはいえず、日々試行錯誤の連続。自宅兼事務所で、娘の世話をしながら家事と仕事をこなす毎日は、想像以上に慌ただしいものでした。
そんなある日、家族で夫の実家を訪れることになりました。義父はすでに他界しており、実家には夫の姉一家が同居しています。
義実家でこき使われている義母
義実家では、義母が実の娘である義姉と穏やかに暮らしているものだと思っていた私。ところが、実際に目にした光景は想像とはまったく違っていたのです。
「お母さん、早く料理持ってきてよ」
義姉がそう声をかけると、義母はあわてて台所から大皿料理を運んできました。その横で、義姉の夫は「ビールもお願いします!」と当然のように頼み、甥っ子までもが義母を見下すような態度を取っていました。
義母は食事の準備や片付けに追われ、まるで家政婦のよう。あまりの様子に、私は言葉を失いました。
見かねた夫が「母さんを働かせすぎだろ」「自分たちのことは自分でやるべきだ、ちょっとは母さんを手伝え!」と注意しましたが、義姉一家は聞く耳を持ちませんでした。
介護が必要になった義母
それからしばらくして、義母が階段で転倒してしまったという連絡が。私たちは急いで病院に向かいました。
幸い、命に別状はありませんでしたが……しばらくは車椅子で生活する必要があると医師に言われました。
すると、一緒に話を聞いていた義姉夫婦は顔をしかめ、信じられない言葉を口にしたのです。
「家事もできなくなるうえに、介護まで必要になるの? 冗談じゃない!」
「車椅子生活なんて、うちじゃ無理。施設にでも入ってもらったほうがいいんじゃない?」
あまりに冷たい言葉に、義母はうつむき、「迷惑かけてごめんね……」とぽつりとつぶやきました。
「……お義母さん、よかったら、うちに来ませんか?」
思わず、私はそう口にしていました。義母が悲しそうな表情をしているのが見ていられなかったのです。
「そうだよ、うちにおいでよ!」と夫も賛同。「母さんが住みやすいように家も整えるからさ! 一緒に暮らそう!」と夫が言うと、義姉夫妻はおもしろくなさそうに顔を歪めました。
しかし、反論はなかったので、私たちは義母を迎え入れることになったのです。
同居生活での義母の活躍
すぐに私たちは家の一部をバリアフリーに改修し、義母を迎える準備を整えました。退院した義母は、初めのうちは申し訳なさそうにしていました。
「工事までしてもらっちゃって……決して安くはなかっただろうに」
「こんなことになっちゃって、本当にごめんね……。何か、できることがあればいいんだけど……」
そう言ってくれた義母に、私たちは「仕事中、娘の様子を見守ってほしい」とお願いしました。義母の介護ベッドの隣に、娘のベビーベッドを置くと、義母はやっと笑顔を見せてくれたのです。
「孫ちゃんのこと、私に見守らせて」
わが家の生活に慣れてきて、少しずつ動けるようになった義母は、だんだんと自発的に娘の面倒を見てくれるように。そのおかげで、私たちも仕事に集中できる時間が増えていきました。
さらに驚くべきことに、義母は以前に経理の仕事をしていた経験があるとのこと。夫も初耳だったそうです。
「計算なら任せて!」
そう言って、帳簿の整理や経費管理まで手伝ってくれるようになったのです。
私たち夫婦が苦手としていた事務作業が一気に進み、仕事もスムーズになりました。子育て経験のある義母から、娘の育児についてアドバイスをもらえることもあり、私にとっては一石二鳥。義母はわが家にとって、いなくてはならない存在になったのです。
一方で、義母を追い出した義姉一家とは自然と距離ができました。夫が義母の荷物を取りに実家へ行ったとき、家の中はかなり散らかっていたそうです。毎日掃除や片付けをしていた義母がいなくなり、家事が回らなくなってしまったのかもしれません。
その後、義母の体調は回復し、リハビリのかいあって、今ではもう車椅子も杖も必要ありません。娘もすっかり義母になつき、毎日楽しそうに過ごしています。
◇ ◇ ◇
あのとき思い切って義母を迎え入れて、本当によかったと感じています。これからも支え合いながら、この穏やかな日々を大切にしていきたいと思っています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、義母のけがをきっかけに家族の本音が明らかになります。これまで義母に支えてもらっていた義姉一家。しかし、義母に支えが必要になると、その態度は一変してしまいます。一方で、義母を迎え入れた息子夫婦との暮らしには、思いもよらない変化が訪れるのでした。
続く2つ目のエピソードでは、長年にわたって義母を支えてきた女性が登場します。義母の施設入所を機に、これまで見えていなかった夫の本音が明らかになることに。積み重なっていた違和感が、一気にあふれ出してしまい……。
義母が施設に入った途端、夫「彼女と暮らすから出てけ!」→翌日、夫の顔色が変わったワケ

結婚して20年。共働きで働きながら、私はずっと高齢の義母のお世話をしてきました。義母は口うるさいタイプではなく、むしろ気遣いのできる人。問題は、息子である夫のほうでした。
「母さんのこと、頼むわ」と言って、病院の付き添いから家電の修理手配、重い買い物まで、すべて私に丸投げしてくるのです。
でも私にも仕事があり、貴重な休みを使って対応しています。夫にも協力してほしいのが本音なのですが——。
ある朝「母さんが腰が痛いと言っているから様子を見に行ってくれ」と夫から頼まれました。心配なのはわかりますが、様子を見に行くくらい夫でもできます。
ついに私は「どうして毎回、私にばかり頼むの?」と夫に尋ねました。
義母の介護は私の役目!?
夫は「お前のほうが時間調整しやすいだろ? 俺は会社で責任が重くて、なかなか休めないんだよ」と言い訳するだけでした。
夫はいつもこうやって、稼ぎと会社の規模を理由に、私に家のことも義母のことも「妻の役目」として押しつけてくるのです。
たしかに年収に差はあるけれど、あくまで共働き。義母も私より実の息子である夫のほうが気楽ではないでしょうか。そう伝えても、「お前のほうが気が利くし、母さんもお前が来ると安心するって言ってたし」と、都合のいい褒め言葉で丸め込もうとしました。
私はモヤモヤを抱えたまま、それでも「お義母さんが困っているなら」と仕事を調整して義母のもとへ向かうのでした。
義母の決断
そんなある時、義母から突然「施設に入ろうと思う」と打ち明けられました。私にばかり頼っているのは心苦しく思っていたよう。すでに資料も取り寄せ、見学の予約もしているとのことでした。
2カ月後、義母は正式に有料老人ホームへの入所を決めました。私も見学に同行し、スタッフの雰囲気も良く、義母が安心して過ごせそうな場所を2人で選んだのです。
その知らせを聞いた夫の第一声は、あまりに呑気なものでした。「いや〜ようやく肩の荷が下りたって感じだな! すっきりした〜」
しかし、見学に同行した私は義母の複雑な気持ちを知っています。ずっと住んでいた家を手放す寂しさも、もう自分の家に戻ることはないという覚悟も、すべてを乗り越えての決断でした。
そんな義母の思いを1ミリもわかっていない夫に「お義母さん、相当覚悟いったと思うよ? よくそんなに浮かれていられるね……」と伝えると、夫は「いい子ぶるなよ」と不機嫌そうに言い返しました。
そして義母の入所後も、夫が義母の面会に行くことはなかったのです。
早期退職、事後報告され…
しばらくして、夫から仕事を辞めたことを告げられました。あまりにも突然のこと……。聞かされたときには、すでに有休消化に入っていて驚きました。
しかしそれだけではありません。夫は「これからは彼女と暮らす予定だから!」と言いました。職場に派遣で入ってきた年下の女性と関係を持ち、「人生一度きりだから後悔したくない」との理由で、一方的に私に離婚をつきつけてきたのです。
「正直、母さんのことが気掛かりで離婚を先送りにしてきたんだよな。でももう終わったし、いいかなって思ってさ」
その瞬間、自分が家族としてではなく、介護要員として扱われていた事実をつきつけられたようで、言葉が出ませんでした。
「これからは彼女と暮らすから、離婚して出て行ってくれ。彼女が嫌がるから、自分の物は全部持って行ってな」と夫。そんな暴走をとがめる気も起きず、私は静かに了承しました。
離婚まで1カ月
今月中に家を出ることを約束し、私はすぐに弁護士に相談しました。夫の浮気の証拠を整理し、財産分与や慰謝料のこと、そして私物の扱いについて確認するためです。
私が離婚に向けて着々と準備を進めている中、夫は家にはほとんど帰ってきませんでした。浮気相手のところに入り浸っていたようです。
そして私は、その月の末に引っ越し業者を手配。夫が独身時代から使っていたもの、結婚後に買ったものだけを残し、新居に自分の荷物をすべて運び出したのです。
離婚届はリビングのテーブルの上に置き、鍵は郵便受けの中に入れて、私は長年暮らした家を後にしました。
スカスカになった家
翌日、夫から慌てた声で電話がきました。「家の中がほとんど空なんだけど!」と怒っていますが、私は言われた通りにしただけ。「私物は全部持って行け」と言ったのは夫なのです。
私がそう答えると「限度があるだろ! これじゃあ生活できない!」と困惑したように声を荒らげていました。
そうは言いますが、私が持ち出したのは独身時代に自分のお金で買った家具家電だけ。結婚後に買ったものはきちんとそのまま置いて出ました。結果的に家には、夫が以前から使っていた古いベッドや安いテーブルだけだったという話です。
夫婦だった期間、私は何度も家具や家電を買い替えたいと夫に相談していました。しかし「贅沢だ」「もったいない」というだけでなく、「家事を手抜きするために高額家電を買うつもりか!?」とまで言って責められたので、我慢して生活していたのです。
元夫の末路
ここからはすべて義母から聞いた話です。離婚後も私は度々義母の施設を訪ね、話をしていました。義母は何度も「巻き込んでしまってごめんね」と気遣ってくれましたが、責めるべきは元夫だけです。義母を責めるつもりはありません。
それに義母から聞いた元夫と浮気相手の話は、少し私をスカッとした気持ちにさせたことも間違いありません。
元夫と浮気相手は退職金を頼りに2人で起業する約束をしていたそう。しかし想定外だったのは私から請求された慰謝料です。なぜか彼らは、私が慰謝料を請求しないと考えていたよう。「長年連れ添った情はないのか!?」と夫から連絡がきたこともありました。
結婚生活を振り返っても、そんな情が湧くわけがありません。
慰謝料や当面の生活費の支払いが重なり、開業資金は当初の予定額の半分ほどにまで減ってしまったそうです。事業も思ったようにうまくいかず、資金は早々にショートしたようで、元夫と浮気相手は早々に別れたのだとか……。
ひとりになって寂しくなった元夫は、ついに義母の施設に出向き、これまでの出来事を義母に吐き出したのだそうです。
職も家族も失った元夫は、ついには義母にまで金銭を頼ろうとしたようです。しかし、義母も施設への入所に多額の初期費用がかかっており、援助できる余裕はありませんでした。
「私も助けてあげられなくてね……」と義母は寂しそうに言いますが、これまで義母に向き合おうとせず距離を置いてきた元夫が、今さら頼ろうとするほうが間違っていると私は思います。
結局、元夫は最後まで自分の都合で動いた人でした。でも、私はもう振り回されません。
今は穏やかな暮らしの中で、ようやく自分の時間を取り戻せています。これからの人生は、私自身のために使おう。そう静かに心に決めました。
◇ ◇ ◇
家事や育児、介護は、気付かぬうちに「できる人」に集中していきがちです。しかしその負担が積み重なると、誰かが静かに限界を迎えてしまいます。
大切なのは、家庭内で「誰が、どこまで、どう協力するか」を話し合い、支え合うこと。
役割を押しつけず、対話を重ねることが、大切なのかもしれませんね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、義母の生活に変化が訪れたことで、それまで見えなかった家族の本音が明らかになったエピソードをご紹介しました。
親や義親の老後、病気やけがは、誰にとっても無関係ではありません。だからこそ、いざ支えが必要になったときにどのような行動を取るのかで、その人の本当の姿が見えてくることもあるのでしょう。
いざというときに見せる行動こそ、その人の本音や価値観を映し出すものなのかもしれません。