「赤ちゃんできました♡」喜ばず全員沈黙→義家族に見切りをつけた結果

私は30代の主婦で、在宅で仕事をしていました。結婚後は夫と義両親と同居し、穏やかな生活を送っていました。義両親は「家のことは任せていい」と言ってくれる人たちで、その言葉に甘えながら仕事を続けていたのです。
ただ、ひとつだけ心に引っかかっていたことがありました……。
それは、なかなか子どもを授かれなかったことでした。
義母に相談すると「焦らなくていいのよ」とやさしく声をかけてくれましたし、夫も「今は2人の時間を大切にしよう」と言ってくれていました。それでも私は、どうしても子どもが欲しかったのです。
体調管理を徹底し、仕事の量も調整しながら、妊活に取り組んでいました。そして数カ月後、ついに妊娠が判明したのです!
妊娠報告で感じた違和感
産婦人科で妊娠したことを確認した日、私は夫と義両親をリビングに集めました。
「大事な話があります。私、妊娠しました!」
そう伝えた瞬間、空気が一変しました。喜んでくれると思っていたのに、返ってきたのは沈黙でした。夫も義両親も、「まさかこのタイミングで妊娠するなんて……」と言って、どこか困ったような表情を浮かべていたのです。
「そうか……」
夫がそう言ったきり、会話は続きませんでした。
その日を境に、家の空気は明らかに変わりました。必要最低限の会話しか交わされず、私は避けられているように感じるようになったのです。
理由はわからないまま、不安だけが募っていきました。
偶然聞いてしまった本音
もともと里帰り出産予定だった私。しかしつわりや精神的な負担もあり、予定よりも早く実家に戻ることにしました。
「体がつらいので、予定よりも早く実家に帰ります」
そう伝え、荷物をまとめていたときでした。リビングから、夫と義両親の会話が聞こえてきたのです。
「これから収入が減るのは厳しいな……」
「あの子が働いてくれていたから、生活が回っていたのに」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。
私にやさしくしてくれていたのは、私の収入があったからだったのかもしれない――そう思ったとき、胸の奥が一気に冷えていくのを感じました。
帰らないと決めた理由
私は何も言わず、そのまま実家に戻りました。そして無事に子どもが生まれたあと、夫や義両親から何度も連絡が来るようになったのです。
「いつ戻ってくる?」
「こっちで一緒に暮らそう」
その言葉に、以前のような温かさは感じられませんでした。無事に子どもが生まれた今なら言えると思い、私は電話で夫と義両親にはっきりと自分の思いを伝えることに。
「戻るつもりはありません」
「私の収入が目当てだったって……全部聞いてしまったので」
すると、しばらく沈黙が続いたあと、夫が小さな声でこう言いました。
「……不安だったんだ。これからの生活がどうなるのかわからなくて」
その後、夫と義両親は私の実家まで来て、両親にも頭を下げました。
「将来のことを考えすぎてしまい、間違った態度を取ってしまった」
義両親はそう話していました。
夫が心配性であることは知っていましたが、実は義両親もそのタイプ。特に世の中の動きが激しい最近は将来への不安が強まり、生活の変化に敏感になっていたそうです。
そこに私の妊娠報告という大きな変化があり、受け止めきれず、あのような態度をとってしまったと話していました。
理由がわかってもなお、私はすぐに気持ちを切り替えることはできませんでした。私はもう母親として、子どもを守っていかなければなりません。生活の変化に敏感な夫たちと一緒に暮らすことで、子どもに対しても同じことが繰り返されるのではないかと不安になりました。
「少し時間をください」
私はそう伝え、その場で答えを出すことはしませんでした。
新たな家族のカタチ
それからしばらく実家で過ごしながら、私は何度も考えました。このまま距離を置くのか、それとももう一度向き合うのか――。
最終的に私が選んだのは、「条件付きで戻る」という決断でした。家計の見直し、私の収入に頼りすぎないこと、育児や家事の分担、この3つを約束できるなら戻ると伝えたのです。
夫と義両親は迷うことなくうなずきました。その様子を見て、私は子どもを連れて義実家へと戻ったのです。
家に戻ってから、夫は育児に積極的に関わるようになりました。義両親も家事を分担し、パートなどそれぞれできる範囲で働くようになりました。以前とは明らかに生活が変わっていったのです。
◇ ◇ ◇
正直に言えば、妊娠中の出来事を完全に許せたわけではありません。それでも、あの出来事があったからこそ、ちゃんと向き合うきっかけになったのも事実です。
今はまだ途中かもしれません。それでも私は、この家族でもう一度やり直す道を選びました。子どもとともに、ここで新しい関係を築いていこうと思っています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、妊娠を報告した途端、夫と義両親の態度が変わってしまった妻が登場します。喜んでもらえると思っていた報告に返ってきたのは、どこか困ったような反応。その後、夫たちの本音を偶然聞いてしまった妻は、自分と赤ちゃんが安心して暮らせる家族の形を考えることになるのでした。
続く2つ目のエピソードでは、出産を目前に控える中、義両親との同居に不安を抱えていた妻が登場します。里帰り中、義母がまだ見ぬ孫を“跡取り”として扱おうとしていることを知り、さらに夫から思いもよらない連絡が入ります。赤ちゃんを守るため、夫婦が選んだ決断とは……。
夫「出産しても帰ってくるな!」義実家の企みを知り青ざめ…“消える”決意をした結果

私は夫と結婚して数年が経ち、第1子を妊娠中。出産を目前に控えています。私たち夫婦は、義両親と“期間限定の同居”をしており、義母は「あれしろ、これしろ」と口を出してきます。妊娠しておなかが大きくなってからも気を遣わされることが増え、正直、心身ともにしんどい時期が続いていました。
そんな中、私は里帰り出産のため実家に戻ることに。私はようやく、張りつめた毎日から少しだけ解放され……。
里帰り中、義実家の状況に変化が…!
ある日の夕方。夫から体調を気遣う電話がかかってきました。私は元気なことを伝え、素直な気持ちも口にしました。「里帰りを反対されていたのに、送り出してくれてありがとう。こうしてゆっくりできるのは、あなたのおかげだよ」
夫はきっぱり言いました。「そもそも母さんたちに決める権利はないからな」さらに驚いたのは、私がいなくなってからの話です。義母が「家事が嫌だ」と言い出し、夫が家事代行サービスを手配したというのです。
「……そうなんだ」と返す私に、夫はどこか苦い声で続けました。「それを今まで嫁に押し付けてたのは誰だって話だよ。里帰りから帰ってきても何もしなくていい。代行を続けようって言っておく」
続けて夫は、「そもそも同居は2年って期限付きだったろ。出産して少し経てば、同居も終わるんだから」と言いました。私は少しホッとしました。赤ちゃんを育てながら、義母の求める“完璧な家事”なんて到底できない――そう思っていたからです。夫は最後に、「もし何か言われたらすぐ俺に言って」と約束してくれました。
義母の「跡取り」発言にゾッと…!
それから1週間ほど経った昼下がり、義母から電話がありました。最初は形式的に「おなかの子は順調?」と聞かれます。私が「お医者さまからも順調と言われています」と答えると、義母は安堵するでもなく、すぐに“いつもの調子”に戻りました。
「あなたのおなかの子は“うちの跡取り”なんだから。絶対に無事に産んでもらわないと困るのよ」 “跡取り”。その言葉が喉に引っかかり、私は息をのみました。義母は続けて、「息子がうちの会社を継がないって言ってるんだもの。父親の後始末をするのが、その子の役目でしょう?」と言います。
さらに義母は、「孫は跡取り候補として育てたいの。小さいころから英才教育をするのよ。あなたたちにとってもうれしいでしょう?」と畳みかけました。私は必死で言葉を選びました。「教育方針は、私と夫で決めたいです。私たちの子どもですから」
すると義母の声が一段低くなりました。「はあ? 何ふざけたこと言ってるの? あなたがのんびり専業主婦でいられるのも、私が息子を立派に育てたからでしょう?」私は言い返せず、「はい……」とだけ答えてしまいました。その瞬間、義母が待ってましたと言わんばかりに切り出したのです。
子どもの名前を、義母が決めていて…
「それとね、おなかの子の名前なんだけど、もう決めてあるから」私は頭が真っ白になりました。「す、すみません……名前は、生まれてから顔を見て、私たちで決めようと思っていて……」精いっぱい丁寧に伝えたつもりでした。でも義母は苛立ちを隠しません。
「何が気に入らないの? 普通の名前でしょう?」義母が考えた名前は、夫の名前に「郎」を足したものでした。さらに義母は言います。「息子は優秀だけど、性格に問題があるの。孫は“息子の2号”として育てるつもりなのよ。息子ができなかったことをしてもらう子なの。代わりみたいなものよ」
背筋が冷たくなりました。この子は、誰かの“代わり”じゃない。会社の道具でもない。「代わりという考えはやめてほしいです。息子には息子の未来があります」
震える声でそう言うと、義母は怒気を強めました。「あなた、どれだけ姑の私に口答えするつもり?」そして最後に、こう言い捨てたのです。「あなたは子どもを産むだけでいいの。後のことは私たちに任せなさい」電話を切ったあと、私はしばらく動けませんでした。
出産直前、夫から驚きの連絡が…!
それから数週間後――出産予定日まであとわずかという夜。夫から、珍しく緊迫した声で連絡が来ました。「驚かないで聞いてほしい。子どもが生まれたら、里帰りしたまま帰ってくるな。悪いけど、うちで子どもと一緒には暮らせない」
私は耳を疑いました。「どういうこと……? もう出産予定日は3日後なんだよ。もしかして、お義母さんたちに何か言われたの……?」
夫は静かに答えました。「母さんたちから直接は何も言われてない。でも今日、家事代行の人から聞いたんだ。母さんたちが、俺たちの子を奪う計画を立ててるって」――私たちの子を、奪う?
夫が聞かされた内容は、想像をはるかに超えていました。私が里帰りから戻ったら、同居の期限まで“徹底的に注意して家事をさせる”。精神的に弱らせ、育児ができない状態になれば、義父母のほうで子どもを育てられるかもしれない――。「そんな……」言葉が出ませんでした。
出産後、帰らずにいると義母から…
私は、義母の“跡取り”への執着を思い出しました。夫は「ごめん。同居そのものが間違いだった。2年同居すれば俺たちのことを認めてくれるって言われたけど、認めてもらう必要なんてなかった。本当にごめん」と言いました。
出産後、私はしばらく実家で静かに暮らしました。そして約2カ月後。義母から「いつになったら戻るの? 連絡を無視するなんて反抗的」と電話がかかってきたとき――電話に出たのは、夫でした。
「妻は家政婦じゃない」「俺たちはもう、その家に戻らない。必要な荷物は全部運んだ。母さんたちとは暮らさない」義母は錯乱し、「同居を勝手にやめるの!?」「親子の縁を切るなんて!」と叫びます。さらには「じゃあ孫を渡しなさい! 夫(義父)に逃げられたと知ったら大変なことになる」とまで言いました。
夫ははっきり言いました。「無理だよ。そんな考えでいるうちは、子どもと関わらせる気はない」そう言って通話を終わらせました。その後、義両親は血眼になって私たちを探したそうです。けれど私たちは、しばらく日本でひっそり暮らしたのち、夫の転職先である海外へ移りました。私にとっては、家族を守るための選択でした。
しばらくして、義父の会社の経営が悪化し、大変な状況に陥っていることを知りました。義両親がこの先どうなるかはわかりません。あの日、戻らないと決めた自分を――私は間違っていなかったと、心から思っています。
◇ ◇ ◇
精神的に弱らせて育児ができない状態をつくり、子どもを奪おうとする行為は、場合によっては犯罪として扱われる可能性があります。血縁や同居を理由に、親の尊厳や子どもの権利を踏みにじることは許されません。少しでも「おかしい」と感じたら、その感覚を信じ、我慢し続けるよりも自分と子どもの安全を最優先に行動したいですね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、妊娠・出産を機に家族の本音と向き合い、赤ちゃんを守るために家族の形を選び直した妻たちのエピソードをご紹介しました。
赤ちゃんを迎えるタイミングでは、喜びだけでなく、暮らし方や家族との関係にも大きな変化が訪れます。その中で、これまで見えなかった不安や本音が表に出ることもあるでしょう。
大切なのは、周囲の言葉に流されるのではなく、自分と赤ちゃんが安心して過ごせる環境を選ぶこと。もう一度向き合う道を選ぶのか、距離を置く道を選ぶのか――それぞれの選択から、家族の形は自分たちで築いていくものなのだと考えさせられるエピソードでした。