「やっぱ無理。別れよう」18歳で出産、突然逃げ出した夫→私の運命を変えた人物とは!?

社会人になる直前に妊娠がわかった私。就職先も決まっていたタイミングでの出来事に戸惑いはありましたが、当時の彼の「一緒に頑張ろう」という言葉を信じ、結婚を決意したのです。
私は内定していた会社を辞退し、夫を支えるため専業主婦として新しい生活を始めました。
結婚してしばらくは穏やかな日々が続いていましたが、出産をきっかけに、夫との関係は少しずつ変わっていったのです……。
豹変した夫
娘が生まれてから、私の生活は一変しました。
夜中の授乳やおむつ替えで睡眠はほとんど取れず、日中も家事と育児に追われる毎日。自分のことは後回しになり、身なりを整える余裕もなかったのです。
夫は「仕事だから」と言って、どんどん帰りが遅くなっていきました。「繁忙期だから会社に泊まる」と帰らない日も。片付いていない部屋、そして鏡で自分の姿を見るたびに、「夫の足が遠のくのも仕方ないかもしれない」と思っていました。
そんなある日、帰宅した夫が部屋を見てため息をつきました。
「一日中家にいるのに、なんでこんなに散らかってるんだ?」
「母親なんだから、家のことくらいちゃんとしろよ」
疲れ切っていた私は、うまく言葉を返すことができませんでした。言い訳に聞こえないように、夫の機嫌をこれ以上損ねないように……そう思っていたのに、言葉が出てこないのです。
そんな私を見て、夫は再びため息をつきました。
「少しは身なりにも気を使ったらどうだ?」
そのときの私は部屋着ですっぴん。連日の寝不足で、肌は荒れているし、髪の毛はぼさぼさでした。
「でも、もう、これでも、精いっぱいで……」という私の言葉を遮るように、夫は無情な言葉を突き付けてきました。
「もう無理だわ。俺たち、別れよう」
あまりにも突然の言葉に、頭が真っ白になりました。出て行こうとする夫に娘のことをどうするのかと尋ねると、「お前が実家に頼ればいい話だろ」の一言。
そして翌日、ポストには夫から送られてきた、記入済みの離婚届が入っていました。まだ幼いわが子を抱えて、私は途方に暮れました。
公園での運命的な出会い
それから数日は、さらに睡眠時間が減りました。家に子どもと2人きりだと気が滅入るばかりなので、私は娘をベビーカーに乗せて近くの公園へ向かうことに。
ベンチに座ってぼんやりしていると、小学生くらいの女の子が近づいてきました。
「赤ちゃん、何カ月?」
少し驚きながらも、「まだ3カ月だよ」と答えると、女の子は興味深そうにベビーカーをのぞき込みました。
「ちっちゃいね。かわいい」
その一言だけで、少し心がゆるんだ気がしました。しばらく女の子は娘を見てほほ笑んでいましたが、ふと私のほうに向き直り、真剣な顔でこう言ったのです。
「ママ、眠れてないでしょ?」
思いがけない言葉に、思わず言葉に詰まりました。
「うちのママも、赤ちゃんのとき大変だったって言ってた。だからね、無理しちゃダメなんだって」
そして、少しだけ間をおいてこう続けたのです。
「ママがつらいと、赤ちゃんもびっくりしちゃうから」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが一気に崩れ、涙があふれてきました。
思いがけない助け
私が泣き出したのを見て、女の子は驚いた様子で「ちょっと待ってて」と言い、すぐ近くのベンチのほうへ走っていきました。
戻ってきた女の子が連れてきたのは、彼女のお父さん。落ち着いた雰囲気の男性で、泣いている私に少し戸惑いながらも声をかけてくれました。
「もし私でよければ、お話聞きますよ」
私はその言葉に安心してしまい、これまでの経緯を少しずつ話しました。
「まずは状況を整理したほうがいいですね。きっとお力になれると思います」
そう言ってくれた女の子のお父さんの職業は、なんと弁護士。2年前に妻を亡くし、現在は娘さんを男手ひとつで育てていると言いました。
そして、夫が突然出て行った場合でも、別居中の生活費(婚姻費用)や、離婚した場合の養育費を夫が支払う義務があることなど、冷静なアドバイスをくれたのです。
このまま娘と2人、路頭に迷うしかないのだろうか……と悲観的になっていた私にとって、この親子との出会いはまさに救いのように感じられました。
明らかになった真実
その後、私は女の子のお父さんのアドバイスを受け、一度実家に身を寄せ、今後について整理することにしました。
夫は私の連絡先をブロックしているようで、私から連絡することはできませんでした。しかし、共通の知人から私が実家に戻ったこと、本格的に離婚に向けて準備を進めていることを聞いたようで、焦ったのか突然ブロックを解除し、「一度話し合いをしたい」と夫から連絡してきたのです。夫の予想以上に状況が深刻だと感じたのかもしれません。
そして話し合いの場で、夫の行動が明らかになりました。仕事を理由に家を空けていた間、実際には別の女性と会っていたのです。
夫は「家庭に居場所がなかった」と言いましたが、それは言い訳にすぎません。そして、浮気は明らかな有責行為です。
夫は再構築を望みましたが、私の決意は揺らぎませんでした。慰謝料や財産分与、養育費について具体的に取り決め、私は夫と離婚して、娘と新たな生活を始めることにしたのです。
この出来事を通じて、夫婦であっても、考えていることは言葉にしなければ伝わらない。そして、つらいときに誰かに頼ることは決して悪いことではないと実感しました。
◇ ◇ ◇
今は娘と2人で、少しずつ前を向いて生活しています。あのとき、あの女の子とお父さんに公園で出会わなければ、私は娘と2人で本当に路頭に迷っていたかもしれません。あの日の出会いが、私の人生をたしかに変えてくれました。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、18歳で母となり、慣れない育児に奮闘していた妻が登場します。夜泣きや家事に追われる中、夫からは「母親なんだから」と責められ、突然離婚を突きつけられてしまいます。途方に暮れていた妻でしたが、公園で出会った女の子とその父親の言葉に救われ、娘とのこれからを考え直すきっかけを得るのでした。
続く2つ目のエピソードでは、仕事と家事育児をひとりで抱え続けていた妻が登場します。無理を重ねた結果、過労で入院することになった妻。しかし夫は、義母に自分が入院したかのような嘘をつき、家事育児を押しつけていた事実をごまかそうとします。そこで真実を知った義母が、妻の思いに寄り添うことになり……。
義母「息子が家事や育児をしないのは私のせいね」ワンオペ育児と仕事で倒れた私→その後!

結婚して数年、家事と育児のほとんどは私が担っていました。朝5時に起きてお弁当作りと洗濯、2人の息子を保育園に送り出してから出社し、仕事を終えたら急いでお迎え。その後は夕食作り、お風呂、寝かしつけ……。
夫は「残業だから」「付き合いの飲み会だから」といつも帰りが遅く、家事や育児に関わることはほとんどありませんでした。
あるとき「息子が倒れたって聞いたけど!?」と義母から電話がありました。なんの話かさっぱりわかりません。
「旦那が過労で入院するまで、仕事も家のことも全部押しつけたって聞いたけど……。子どものお世話もしないなんて呆れるわ!」と、義母は責めるような口調で続けます。
しかしそのとき入院していたのは私でした。
夫の嘘が明らかに
数日前の朝、出勤前に突然目の前が真っ暗になり、そのまま私は倒れてしまいました。気付いたときには病院のベッドの上。過労と睡眠不足が重なって私は限界を迎えたのです。
医師は数日入院するように言います。息子たちのお世話は、しばらくの間は夫にお願いするしかありませんでした。
そんな経緯を伝えると、電話の向こうの義母はしばらく黙り込んでしまいました。どうやら夫は、自分が過労で入院しているかのように話し、「嫁が子どもの面倒を見られないから助けてほしい」と義母を頼ったようなのです。
それを聞いた私は、これまでの生活をかいつまんで説明しました。夫が家事や育児をほとんどせず、仕事と称して飲み歩いていたこと。子どもが夜泣きしても起きるのは私だけだったこと。そしてその結果、私が過労で倒れてしまったこと……。
そして私が入院している今日も、息子たちのお世話を義母に託して、自分は飲みに行き、帰らないつもりなのでしょう。
話を聞き終えた義母は、深いため息をつきました。
入院した私にかける言葉は労りでなく……
義母との電話を切ってすぐ、私は夫にもメッセージを送りました。義母からの電話で事実を知ったこと、そして自分がどれだけ追い詰められていたかを、できるだけ感情的にならないように伝えたのです。
夫は「助けを求めて何が悪いんだよ、俺が入院したことにすれば話が早いだろ?」と返します。
助けを求めることは悪いことではありません。しかし、私が急な入院で息子たちが不安そうにしている今、義母に預けてまで飲みに行く必要はあるのでしょうか。
モヤモヤしましたが、今は息子たちが穏やかに過ごせることが第一。噛み付くことはなく話を終えようとしました。
しかし夫は「むしろさ、ちょっと体調崩したぐらいで入院って大げさだろ? どこの奥さんだって仕事と家のこと両立してるんだよ。少しくらいしんどくてもなんとかするものじゃないの?」と私を責め始めました。
私は自分の体を犠牲にしながら「妻だから」「母親だから」と踏ん張ってきたつもりでしたが、夫にとっては「やって当然のこと」。張り詰めていた気持ちが切れてしまいました。
夫が家事や育児をしないワケ
そんな中義母は、数日おきにお見舞いに来てくれるようになりました。夫は一度も顔を見せていませんでしたが……。
入院中、義母に聞いた話によると、義父も同じような振る舞いをしていたそう。義母がどんなに体調が悪くても、自分の食事を心配するような人だったと話します。
それでも我慢を続けてここまできたようですが、今の状況を見て「そんな自分のおこないが息子にも悪い影響を与えてしまったのかもしれない」と反省していました。
義母の話を聞いて私もハッとした私は、思わず「そうですね」とひと言。義母の言葉は私にもそのまま飛んでくるブーメランでもあります。
夫の振る舞いと私の我慢が息子たちにも悪い影響を与えてしまうかもしれない……そして私のようにつらい思いをする女性を生み出してしまうかもしれません。私は、この連鎖を断ち切ることにしました。
離婚騒動が飛び火!
退院の日が近づいてきたころ、私は夫に「退院後、子どもを連れて一度実家に戻ること」「今後は離婚を前提に話し合いたいこと」を伝えました。
「話が飛びすぎだろ」「そこまでしなくてもいいだろ」と言う夫に、私の気持ちは伝わっていないのでしょう。そんな私たちの合間に入ってくれたのは義母でした。私の気持ちを代弁してくれたのです。
私たちの離婚騒動は義実家にも飛び火しました。困った夫が義父にこの件を相談したのです。
義父は「家事は妻がやるもの」「飲みに行くのも仕事のうちだ」と夫の肩を持ったそうですが、その言葉に烈火の如く起こったのが義母でした。
義母は、これまで胸の奥にしまい込んできた思いを、初めて義父にぶつけたそうです。
「昔はそれで済んだかもしれないけど、今は違う。仕事も家のことも、夫婦で支え合わなきゃ続かないのよ」と、はっきり伝えたといいます。
結果的に、義母もまた義父との別居を決意。長年「夫の機嫌を損ねないように」と自分を抑えてきた生活に終止符を打ち「これからは自分のために生きたい」と動き始めたのです。
夫の末路
離婚は最終的に話し合いでまとまり、子どもの親権は私が持つことになりました。
夫は実家に戻り、義父と2人暮らしを始めたそうです。これまで家事をすべて妻に任せてきた男性2人が、今度は自分たちだけで生活を回さなければならなくなりました。
近所の人の話では、最初のうちは「嫁なんていなくても平気だ」「次の相手を探せばいい」と強がっていたものの、家事も生活も思うようにいかず、次第に人付き合いも減っていったのだとか。
一方、私は退院後、子どもを連れて実家と元義母の協力を得ながら新しい生活をスタートさせました。今、元義母は「息子の元嫁」という立場を超えて、これからもできる範囲で私たち親子を支えたいと言ってくれています。
子どもの送り迎えを手伝ってもらえたり、仕事で帰りが遅くなる日は夕食を一緒に作ってくれたり――誰かと支え合いながら暮らすのが、こんなにも心強くて、こんなにも当たり前にうれしいことなのだと、あらためて実感しました。
子どもたちも義母が寄り添ってくれる毎日を楽しそうに過ごしているので、決断をしてよかったと思っています。
◇ ◇ ◇
「妻だから」「母親だから」と無理を重ねた結果、心や体が限界を迎えてしまうことは、決して珍しいことではありません。家事や育児は「気付いた人がやるもの」ではなく、家族で分かち合うもの。誰かの我慢の上に成り立つ日常は、やがて大切な人を傷つけてしまうでしょう。
子育てをしていると、きつい思いをすることもありますが、助け合って暮らしていきたいですね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、家事育児に追い詰められた妻たちが、思わぬ支えを得て前を向いたエピソードをご紹介しました。
どちらの妻も、家族のために無理を重ねながら、夫からは労わられるどころか責められていました。そんな2人を救ったのは、公園で偶然出会った親子や、当初は妻を誤解していた義母。苦しみに気づき、味方になってくれる人の存在が、人生を立て直す力になったのでしょう。
「妻だから」「母親だから」と、ひとりで耐え続ける必要はありません。限界を迎える前に周囲へ助けを求め、自分と子どもを守る道を選ぶことも、大切な決断なのだと考えさせられるエピソードでした。