そんな厄介な義母ですが、あるとき「1カ月間のクルーズ旅行に出かける」と言い出しました。しばらくの間、嫁いびりから解放されると知った私は心の中で歓喜。
しかし、そんな喜びもつかの間。義母から、旅行費用を捻出するために、代々伝わる大切な着物を売ったと笑いながら報告されたのです。その着物は、義祖母から義母へと譲られたばかりの歴史ある品でした。
義祖母が大切にしていたことを知っていたからこそ、私もいずれ受け継ぐ日を楽しみに着付けを習っていたほどです。それを身勝手な理由で手放された衝撃に、私は驚きと怒りで返す言葉が出ませんでした。
さらに義母は、旅行から帰るまでに大掃除を済ませておくよう命令。出かけ際には「旅行中は絶対に連絡してこないで。あんたから連絡が来たらいい気分が台無しになるから」と言い残し、私や夫、義父の連絡先をブロックして出かけていきました。
旅行から帰ると……
1カ月後、長旅から戻った義母は、私のブロックを解除するなり「ご飯はまだなの?」「洗濯もやりっぱなしじゃない!」と怒りの連絡をしてきました。
家が散らかっていることに激怒しているようですが、私はそれどころではありませんでした。なぜなら、義母の旅行中に義祖父が急逝し、その日はちょうど葬儀の真っ最中……。
「今、葬儀中なんです」と伝えると、義母は「なぜ早く教えなかったのか」と逆ギレ。しかし、連絡を絶ったのは義母自身です。伝える術などありませんでした。
それに、義母と連絡が取れない事情を義祖父と義父に説明したところ、「そんな身勝手なやつには知らせなくていい!」と激怒し、義母にはあえて知らせていませんでした。
その後、義母は急いで駆けつけてきたものの、お通夜には間に合いませんでした。遅れてやってきた義母の姿に、親族一同がざわつきます。
そんな重苦しい空気の中でも、義母は反省するどころか、私に近寄ってきて「ちょっと、私の喪服どこにやったのよ? 見つからなかったじゃない」と小声で文句を言う始末でした。
嫁いびりが親戚中に知れ渡る
結局、お線香の1本すらあげさせてもらえなかった義母。私が親族に「なぜ連絡がつかなかったのか」を説明する際、これまでの行き過ぎた言動についても触れたため、義母のひどい嫁いびりが親戚中に知れ渡ることとなったのです。
焦った義母は、私に「親族への誤解を解け」と迫ってきましたが、すべて事実であり誤解でも何でもありません。頑なに拒む私に、義母は周りの目を気にして声を潜めつつも、「私の言うことが聞けないの!?」と顔を真っ赤にして詰め寄ってきました。
しかしそのとき、すべての事情を察していた義祖母が「二度とこの子の言うことなんて聞かなくていいんだよ」と、毅然とした態度で割って入ってくれました。
この騒動が引き金となり、その後の親族での話し合いを経て、最終的に義母は義実家から出ていくよう言い渡されました。それでもなお、義母は私に「大人3人が暮らせる広さの家を探しなさい」と命令してきました。私たち夫婦と一緒に暮らすつもりでいるなんて、びっくりです。
そこで私は、今まで黙っていた事実を告白することにしました。
実は近々、夫の海外赴任が決まっており、私も一緒についていく予定です。つまり、義母はこれからひとりで暮らさなければなりません。
「あんたのせいで嫌われた」「今までうまくやってきたのにどうしてくれるの?」と大騒ぎする義母。しかし「うまくやっていた」のではなく、私が耐えていただけです。
形勢不利と悟ったのか、義母は「あれは嫁修業のつもりだった、嫌な思いをさせる気はなかった」と言い訳を始め、「これからも仲良く一緒に暮らしましょう」と急にすり寄ってきました。
あまりの身勝手さに、開いた口が塞がりません……。
義母から解放された私は、今…
それからしばらくして、私たちは予定通り海外へ旅立ちました。
一方の義母は、なんとか見つけた粗末なアパートでひとり暮らしを始めることになったようです。親戚中から完全に総スカンを食らってしまったため、どれだけ生活が苦しくなっても、今さら手を差し伸べる人は誰もいません。
物理的にも完全に距離を置くことができた私は、もう理不尽な目に遭うこともなくなり、今は夫と2人で穏やかで平和な毎日を過ごしています。
◇ ◇ ◇
言うまでもなく、理不尽な嫁いびりは百害あって一利なしの行為です。どれだけ自分が優位な立場にいると思っていようとも、人をないがしろにして傷つけてばかりいれば、巡り巡って自分が窮地に立たされたとき、いつか必ず孤独という最悪な形でそのツケを払うことになるでしょう。
あたたかい人間関係を築くためにも、周りの人には常に誠実さと親切心を持って接していきたいものですね。
【取材時期:2026年5月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。