義母の遺産を当てにしていた夫「やっと遺産が入る!」→弁護士から告げられた衝撃の事実に顔面蒼白

私は結婚後、夫と義母の3人で暮らしていました。
結婚して間もないころ、義両親が交通事故に遭い、義父は帰らぬ人に。義母も大きな後遺症が残り、日常生活に介助が必要な状態になってしまったのです。
自然と「私たちが支えよう」という話になり、同居生活が始まったのですが……。
義母は遠慮がちな人で、「施設に入ったほうが迷惑をかけずに済むのにね」と何度も口にしていました。でも私は、義母との暮らしを苦だと思ったことはありませんでした。
問題だったのは、実の息子である夫の態度だったのです。
変わってしまった夫
結婚前の夫は、面倒見がよく穏やかな性格でした。困っている人を放っておけないタイプで、私もそんなやさしさに惹かれて結婚したのです。
ところが、義母が要介護状態になってから、夫は別人のようになってしまいました。
「なんで新婚の俺たちが介護なんかしなきゃいけないんだよ」
2人で同居を決めたにもかかわらず、義母に向かってそう怒鳴ることが増え、家に帰ってこない日も目立つようになりました。
最初は仕事が忙しいのだと思っていました。しかし、あまりにも不自然な外泊が続き、不安を覚えるように……。
浮気を疑った私は、念のため調査会社に相談しました。すると発覚したのは女性関係ではなく、ギャンブル。夫は夜遅くまでパチンコ店や賭け事に通い詰め、かなりのお金を使い込んでいたのです。
義母への暴言、家庭からの逃避、そしてギャンブル依存――。現実を知った瞬間、私は夫への気持ちが急速に冷めていきました。そして、このままでは将来を共にできないと感じ、水面下で離婚の準備を始めることにしたのです。
義母から打ち明けられた秘密
そんなある日、真剣な表情で私に話しかけてきた義母。
「あなたには知っておいてほしいことがあるの」
そう前置きしたうえで、義母はある秘密を打ち明けてくれたのです。
「本当は、あの子は私の実の子じゃないの」
私は言葉を失いました。
なんと、夫は義母の姉夫婦の子どもだったのです。夫が生まれて間もないころ、姉夫婦は離婚。その後、育児放棄に近い状態となり、子どもである夫だけが取り残されてしまったそうです。
子どもに恵まれなかった義母夫婦は、そんな夫を引き取り、自分たちの子どもとして育てました。ただ、正式な養子縁組まではおこなわなかったとのこと。
「いつか実の母親である姉さんが迎えに来るかもしれないと思っていたの。それに、血のつながりがないことを知って、傷ついてほしくなかった……」
「本当は何度も、あの子に直接話そうと思ったのだけれど……どうしても言い出せなくて。それに最近は、私の話もまともに聞いてくれなくてね」
義母はそう言って、寂しそうに笑いました。きっと義母は、“本当の親子でなくても愛情は変わらない”と信じたかったのでしょう。
義母の最期と、遺産を喜ぶ夫
それから数カ月後、義母は急激に体調を崩しました。
病院から危篤の連絡が入ったものの、電話にすら出なかった夫。結局、最期まで病室に現れることはなかったのです。私は義母の手を握りながら、ただ「ありがとうございました」と繰り返すことしかできませんでした。
ところが夫は、葬儀では涙を流し、周囲の前で“親思いの息子”を演じていました。
そして葬儀が終わった直後、夫は私にこう言ったのです。
「これでやっと遺産が入るな」
耳を疑いました。
義母には、事故の慰謝料や保険金、さらに義父から相続した不動産などがありました。夫は最初からそれを当てにしていたようです。
さらに夫は、義母に冷たく当たっていた理由まで口にしました。
「精神的に追い込めば、早く弱ると思ったんだよ」
あまりにも身勝手で残酷な言葉に、私は全身が冷えていくのを感じました。この人とはもう絶対に生きていけない――。私はその場で離婚を切り出しました。
夫は「遺産が入るのに、離婚するなんてバカだなぁ」と笑っていましたが、私は迷いませんでした。そして、すでに準備していた離婚届に署名してもらい、すぐに手続きを進めたのです。
遺言書による“最後のお仕置き”
その後、家庭裁判所での検認手続きを経て、弁護士立ち会いのもと義母の遺言書が開示されました。そこで夫の表情は一変。
義母は、現在住んでいる不動産を私に遺贈すると記していました。そして、それ以外の財産は児童養護施設へ寄付すると指定していたのです。
夫には、1円たりとも遺されていなかったのです。
「なんでだよ! 俺は実の息子だぞ!」と取り乱し、弁護士に向かって怒鳴る夫。
しかし弁護士は淡々と「法律上、あなたは故人の子ではありませんので」と事実を説明するのみ。
正式な養子縁組をしていなかった以上、夫には相続権がありません。さらに義母には配偶者も子どももおらず、両親も他界していたため、本来の法定相続人は義母のきょうだいとなります。つまり、仮に遺言書がなかったとしても、夫に財産が渡る可能性は極めて低かったのです。
真実を知った夫は、その場で凍りつきました。
巨額の遺産が入ると信じ込んでおり、すでにギャンブルで多額の借金を抱えていた夫。顔面蒼白になり、「やり直したい」と私に泣きついてきましたが、私の気持ちはもう完全に離れていました。
知人から聞いた話では、離婚後、元夫は借金返済のため昼夜問わず働いているそうです。
◇ ◇ ◇
一方の私は、義母から受け継いだ不動産を整理し、新しい住まいで生活を立て直しました。
義母と過ごした穏やかな時間や、「ありがとう」と言ってくれた笑顔は、今でも私の大切な思い出です。
血のつながりよりも大切なものがある――。義母は最後に、そのことを身をもって教えてくれたのだと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、事故の後遺症で介助が必要になった義母を支えていた妻が登場。義母は穏やかでやさしい人でしたが、夫は介護から逃げるように家を空け、ギャンブルにのめり込むように。さらに義母の最期にも立ち会わなかった夫は、葬儀後すぐに遺産の話を持ち出します。しかし、義母が残していた遺言によって、夫が思い描いていた未来は崩れ去るのでした。
続く2つ目のエピソードでは、脳梗塞で倒れた義母を、10年にわたって支えてきた妻が登場します。夫も最初は介護に関わっていたものの、次第に仕事を理由に家を空けるように。やがて妻は、義母から夫が隠していた裏切りを打ち明けられ、夫の本心を知ることになり……。
義母の遺産に浮かれる夫「葬儀が終わったら2人で幸せに暮らそう」→私のひと言で空気が凍る

夫と結婚して間もないころ、義母が脳梗塞で倒れました。そこから、私たち夫婦の生活は義母の介護を中心に回るようになりました。
当時の私は、まだ介護はもっと先のことだと思っていました。それでも義母は、私が結婚したときからいつも穏やかに接してくれた人です。だからこそ、戸惑いながらも支えたいと思えました。
子どもについても、夫とは何度も話し合い、介護のある暮らしの中で、自然に任せようと決めました。最初は、夫と二人で支え合っていけると思っていたのです。
義母の体調は年々変化し、認知症の症状も進んでいきました。意識がはっきりしている時間は少なくなり、食も細くなっていきましたが、好きな果物を出すとうれしそうな表情を見せることもありました。
夫も以前は、仕事の合間を縫って義母の様子を気にかけていました。夜に義母の部屋で眠る当番も、できる範囲で引き受けてくれていたのです。
でも、そんな毎日は長くは続かず……。土日はできるだけ介護をすると話していた夫が、いつの間にか仕事を理由に家を空けることが増えたのです。
仕事という言葉で片付けられて
義母の状態があまりよくないと医師から聞いたころも、夫の帰宅は遅くなる一方でした。私が心配していると伝えても、夫は「仕事だから仕方ない」と繰り返すばかり。
義母の残された時間が長くないかもしれない——そう思うほど、夫の態度は冷たく感じられました。
その後、夫はだんだんと介護に関わらなくなり、介護の負担を口にする私に向かって、「母さんが亡くなれば遺産が入るんだから、もう少しの我慢だろ」と悪びれずに言うようになったのです。
義母が教えてくれたこと
ある日のこと。義母は意識のはっきりしているときに、夫の不倫を私に打ち明けました。夫が義母の部屋で義母のお世話をしていた日、不倫相手と電話をしていたようです。
義母は注意したそうですが「これからも介護されたいなら、妻には黙っていろ」と言って夫は取り合わなかったよう。義母は、涙を浮かべながら話してくれました。
認知症が進んでいたとはいえ、毎日そばで介護してきた私には、そのときの義母がどれほどはっきり話しているかがわかりました。ただ、感情だけで動くわけにはいきません。一刻も早く事実を確認しなければ、曖昧なまま踏みにじられてしまうかもしれません。
私は義母の話を記録して夫の行動を整理し、弁護士に相談のうえ、必要に応じて調査も依頼しました。
葬儀のあとに告げた決断
義母はその後、あっという間に旅立ちました。介護を始めて10年後のことです。最期は穏やかで、私はできる限りそばに寄り添うことができました。
葬儀も終わり、親戚を見送ったあと、夫は急にやさしい言葉を並べました。介護をふたりで全うできてよかった、これからは夫婦で幸せに暮らそう、と。
私はその言葉を、以前のようには受け取れませんでした。義母が弱っていく時間の中で、夫は私と義母を置き去りにし、不倫相手に気持ちを向けていたからです。
私は義母が亡くなる少し前から、実家に少しずつ自分の荷物を送り始めていました。義母を見送るまでは踏ん張る——でも、その役目を終えたら、夫との関係にも区切りをつけるつもりでした。
夫に向かって、私ははっきり伝えました。「不倫相手にもそう言ってるんでしょ? これ以上は一緒に暮らせません。離婚してください」
現実を突きつけられた夫
夫は「突然すぎる」「10年間は何だったのか」と取り乱しました。
私は、義母から聞いた不倫の話、その後夫の行動を調べたこと、不貞の証拠があることを伝えました。夫は最初、義母の話は信用できないと否定し、強い口調で言い返しますが、調査会社の証拠を見せると、もう何も言えない様子……。
さらに義母は、まだ意思表示がはっきりしていたころから、親不孝な夫だけでなく、介護をしてくれた私にも何か残したいと話してくれていました。弁護士に相談し、医師の確認も踏まえたうえで、遺言に関する手続きが進められていたのです。
不倫がバレていただけでなく、目論見通りの遺産が入らないとわかった夫は、膝から崩れ落ちたのでした。
離婚後に残ったもの
その後、夫は離婚を渋りましたが、弁護士を通して話し合いを進め、最終的には離婚が成立しました。不倫についても、夫と相手に対して必要な請求をおこない、財産の扱いについても専門家を交えて義母の意向通り整理しました。
夫は、思っていたほど自由に使えるお金が残らなかったようです。遺産を見越して不倫相手にもさまざまな約束をしていたようで、それがチャラになったことで揉めているとも聞いています。ただ、私はもうその細かな事情に関わるつもりはありません。
10年間の介護を、無駄だったとは思っていません。義母と過ごした時間には、たしかにあたたかいものがありました。これからは義母が残してくれたものを大切にしながら、自分の生活を立て直していくつもりです。
◇ ◇ ◇
欲や甘えが重なると、そばで支えてくれている人の存在を当たり前のように感じてしまうことがあります。しかし、どれだけ身近な相手でも、その関係は決して無限に続くものではありません。
失ってから後悔しても、傷つけた時間をなかったことにはできないもの。身近な人ほど、感謝や誠実さを忘れずに向き合うことが大切なのかもしれませんね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、義母の最期に寄り添った妻たちと、遺産を待っていた夫たちが迎えた結末をご紹介しました。
穏やかに接してくれた義母や、長い時間を一緒に過ごしてきた義母を支えたいと思う妻たちの気持ちは、とても自然なものです。だからこそ、義母の苦しみや妻の負担に向き合わず、遺産だけをあてにしていた夫たちの姿には、深い失望を覚えてしまいます。
大切なのは、残されるお金ではなく、そばで支えてくれた人にどう向き合うかです。感謝や誠実さを忘れて自分の都合ばかりを優先すれば、最後に失うものは決して小さくないのだと考えさせられるエピソードでした。