義母は認知症気味ですが、たまに記憶がはっきりする日も……。そんなときは夫の名前を呼び、とても寂しそうにしています。
「話が通じなくてもいい、相づちを打つだけでもいいから話してあげて」と夫に頼んでも、義母をうっとうしがって嫌がるばかり。それどころか夫は、お葬式や亡くなったあとのことばかりを気にしているのです。
義母の葬儀
義母が他界したときのことです。葬儀は滞りなく終わったものの、私は、激しい不快感でいっぱいでした。
きっかけは夫の喪主挨拶でした。あろうことか夫は、あたかも自分が10年間ずっとひとりで介護をしてきたかのような口ぶりで、「大変だったけど頑張って良かった。最後の親孝行ができた」と言い放ったのです。
実際はすべての介護を私に押し付け、義母をうっとうしがっていたくせに、親戚から褒められて鼻高々の夫。私が文句を言うと、「ああ言えばみんな感動するだろ? お前は黙っていろ」と、にらむのです。
私は介護のために好きだった仕事も辞め、2人で協力するという約束も破られ、10年間ひとりで頑張ってきました。それなのに夫からはねぎらいの言葉ひとつありませんでした。
それどころか、私の不満に気付いた夫は「養われている分際で文句を言うな. 本当は介護がなくなって清々したんだろ?」とまで言い出す始末。あまりにも私をバカにした態度に、悔しさで涙が出そうになりました。
あたたかい言葉に涙
数日後、義母の姉(伯母)から「何か手伝えることがあったら言ってね」と気遣いの連絡が入りました。しかし、伯母も夫の喪主挨拶にすっかり騙されており、「仕事もあるのに付きっきりで親の介護をするなんて、本当に立派ね」と言うのです。
その言葉にむしずが走った私は、思わず「夫は10年間何もしていません。全部私に丸投げです」と言い返し、真実をすべてぶちまけました。
夫が義母を毛嫌いして近寄りもしなかったこと、平日は飲み歩き、週末は遊びほうけていたこと……。参列者を感動させるために嘘八百を並べ立て、いいとこ取りをしようとする夫の本性を知り、伯母は「信じられない」と驚いた様子を見せました。
無理もありません。義母は本当のことを言えず、夫は伯母が遊びにくるときだけは甲斐甲斐しく世話をしていたのですから……。
ひとしきり話し終えると、好きだった仕事まで辞めて義母に尽くしてきた私を、伯母は「よく頑張ったわね」と褒めてくれました。誰かに褒められたくてしてきたわけではありません。
でも、ずっと1人で抱え込んできた苦労をようやく誰かにわかってもらえた気がして、涙が溢れて止まりませんでした。
義母が遺してくれたもの
その話を聞いて、義母と仲の良かった伯母は激怒。積み重なった怒りが限界に達した伯母は、すぐさま夫を呼び出し、激しい口調で詰め寄りました。
まさかの猛追撃にうろたえた夫は、必死に弁明しようとするものの言葉に詰まり、挙句の果てには「あいつは情緒不安定の嘘つきなんです!」と、私のせいにしようと見苦しく悪あがきを始めます。
しかし、夫の嘘は亡くなった義母によって暴かれることになります。
実は、電話で夫の本性を打ち明けたあと、義母の本当の思いをどうしても直接伝えたくて、私はすぐに義母が遺した日記を持って伯母の家へと向かっていました。実物のノートを一緒に読んだことで、伯母は私のこれまでの苦労をより深く理解し、夫への怒りをさらに募らせてくれていたのです。
生前のひどい実態を突きつけられた夫は、もう一切の言い逃れができません。
認知症予防のために毎日欠かさずつづられていた日記には、息子が構ってくれない寂しさや、夫から浴びせられた暴言に震える字で書かれた「ごめんね」の言葉、そして私への溢れるほどの感謝が残されていました。
この日記の内容は伯母を通じて親戚中に知れ渡り、夫は一瞬にして孤立しました。実は元々見栄っ張りでトラブルが多く、親戚から煙たがられていた夫。だからこそ、葬儀での嘘の挨拶に騙されていた親戚の感動は、一気に激しい怒りへと変わったのです。
私はその後、離婚を決意。親戚全員が私の味方をしてくれたおかげで話し合いもスムーズに進み、無事に離婚することができました。これからは好きなことを思い切り楽しんで、自分のための人生を謳歌したいと思います。
◇ ◇ ◇
パートナーの犠牲や苦労を当たり前だと思い込み、感謝もせずに見下したり、周囲に良い顔をするために嘘を重ねたりすれば、すべての信用を失い、関係は完全に破綻してしまうでしょう。
介護は綺麗事だけでは決して乗り越えられません。だからこそ、もし家族の介護が必要になったときは、一人の負担にせず全員で向き合い、お互いへの尊重の気持ちを忘れないことが不可欠ではないでしょうか。
【取材時期:2026年5月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。