最近、夫はやけに会社の後輩女性の話をするようになりました。仕事でミスをした、一人暮らしを始めたばかりで大変そう、頼れる先輩が自分くらいしかいない——。
最初は、ただ面倒見がいいだけなのだろうと思っていました。けれど、休日にもその後輩から連絡が来るようになり、夫はスマホを手放さなくなっていきました。そして結婚記念日当日、夫は私との約束を忘れ、後輩女性の引っ越しを手伝いに行ってしまいました。
「後輩の引っ越し、思ったより時間かかってる。今日は遅くなる」
そのメッセージを最後に、夫からの連絡は途絶えました。
その夜、夫は帰ってきませんでした。
結婚記念日に帰らなかった夫
翌朝になってようやく電話があり、夫は「終電を逃したから、同僚たちと会社の近くに泊まった」と軽い口調で説明しました。
「昨日、何の日だったか覚えてる?」
私がそう聞くと、夫は少し黙りました。ようやく結婚記念日だったことを思い出したようです。
「謝るくらいなら、もう仕事以外でその人と関わらないで」
そう伝えると、夫は急に不機嫌になりました。後輩を助けただけなのに、変な誤解をするなと言うのです。
「結婚記念日に妻との約束をすっぽかして、別の女性の引っ越しを手伝って、そのまま帰ってこなかった。それを“誤解”って言うの?」
夫は面倒くさそうにため息をつきました。
「もういい。しばらく距離置くわ」
その日から、夫はほとんど家に帰らなくなりました。ビジネスホテル、会社の同僚の家、終電を逃した——理由は日によって変わりましたが、私は問い詰めませんでした。何を聞いても、夫はその場しのぎの言い訳しかしない気がしたからです。代わりに、夫とのやりとりをすべて残すことにしました。帰ってこなかった日、連絡が取れなかった時間、夫の言い訳。いつか誰かに相談することになったとき、感情ではなく事実で説明できるようにしておきたかったのです。
夫の告白
それから3カ月ほどたったころ、夫から突然「話したいことがある」と連絡が来ました。久しぶりに帰宅した夫は、玄関に入るなり妙にかしこまった顔をしていました。
「ずっと隠してたことがある」
「実は会社の後輩が…俺の子を妊娠した」
夫は悪いと思っていると言いながらも、どこか自分は覚悟を決めたのだと言いたげな顔をしていました。そして、こう続けました。
「だから、離婚してほしい。今まで隠しててごめん!」
私は小さく息を吐きました。驚いたからではありません。
「……何も知らないのね」
夫は顔を上げて「は?」と言いました。
「あなた、私が何も知らないと思ってるの?」
「彼女、昨日ここに来たよ」
夫の顔色が変わりました。
後輩女性が訪ねてきた日
昨日の昼過ぎのことです。突然、インターホンが鳴りました。
玄関の前に立っていたのは、見覚えのない若い女性です。青ざめた顔で、夫の名前を出し、ここが夫の自宅で間違いないかと尋ねてきました。私が妻だと答えると、彼女は泣きそうな顔になったのです。
彼女は、夫の会社の後輩女性でした。夫は彼女に、妻とはもう別居していて、妻は別の場所で暮らしている、離婚の話もほとんど終わっている、と説明していたそうです。このマンションには自分ひとりで住んでいる、とも話していたといいます。
けれど、その日の朝、彼女はマンションの近くで、夫がこの部屋から出てくるところを見てしまったそうです。その直後、私が玄関先に出て「今日は帰ってくるの?」と夫に声をかけたため、彼女は「本当に奥さんと別居しているのだろうか」と不安になったといいます。
夫に確認しても、「妻が荷物を取りに来ていただけ」「もう離婚する相手だから気にするな」とごまかされたとのこと。それでも不安が消えず、夫の不在中に私を訪ねてきたのでした。
「私、だまされていたんでしょうか」
震える声でそう言う彼女に、私はすぐには答えられませんでした。夫が帰らなくなってから、ある程度の覚悟はしていました。けれど、夫が彼女にそこまで都合のいい説明をしていたとは知らなかったのです。
さらに彼女は、妊娠しているかもしれないと打ち明けてきました。まだ病院で確定したわけではなく、市販の検査薬で陽性が出た段階だといいます。夫に伝えると「俺が責任を取る」と言ったそうです。それでも彼女は、その前に本当に夫婦関係が終わっているのか、自分の目で確かめたかったのだと話しました。
私は彼女を責める気にはなれませんでした。もちろん、夫が既婚者だと知ったあとも関係を続けていたなら話は別です。けれど、少なくとも彼女は、夫の言葉を信じていたようでした。
私は、夫とは別居も離婚もしていないことを伝えました。離婚の話し合いもしていないし、今もこの家で暮らしている、と。話しているうちに、結婚記念日に帰ってこなかったことや、その後も家を空ける日が増えたことへの怒りが込み上げましたが、ここで感情的になっても仕方がないと思い、必要なことだけを確認しました。
彼女は何度も謝りました。その会話の内容は、彼女の了承を得てメモに残しました。夫から送られてきたメッセージや、彼女が夫から受け取っていた説明も見せてもらいました。
夫は、私にも彼女にも嘘をついていました。それが、夫が帰ってくる前日の出来事でした。
「彼女はあなたを疑って来たの」
翌日、帰宅した夫に、私は静かに言いました。
「彼女は、あなたを信じてここに来たんじゃないよ。あなたを疑ったから、私に会いに来たの」
夫は黙り込みました。
「私には“ただの後輩”、彼女には“妻とは別居中”。どっちにも都合のいいことを言って、妊娠の可能性が出た途端に“責任を取る”なんて言えば済むと思っていたの?」
夫は答えませんでした。
私は机の上に封筒を置きました。中には、夫とのやりとりをまとめた記録、彼女から聞いた内容のメモ、専門家に相談した際にもらった資料が入っています。
「離婚はする。でも、あなたの都合のいいようには進めさせない」
夫は、大げさにするなと慌てましたが、離婚の話し合いなど一度もしていないのに、夫婦関係はすでに破綻しているかのように装って女性と関係を持ち、妊娠の可能性が出た途端に妻へ離婚を迫る。それを大げさではないと思っているなら、認識を改めてほしいと思いました。
さらに私は、彼女も夫との今後を考え直すと言っていたことを伝えました。夫は明らかに動揺していました。
自分は妻を捨て、後輩女性と新しい生活を始めるつもりだったのでしょう。けれど実際には、妻にも後輩女性にも嘘が知られ、どちらからも信用を失っていたのです。
夫が青ざめた理由
その夜、夫は家を出ていきました。私はすぐに義両親へ連絡しました。夫から先に都合のいい説明をされる前に、事実だけを伝える必要があると思ったからです。義両親は驚いていましたが、夫のしたことを軽く扱いませんでした。後日、夫は義両親に呼び出されたそうです。
夫は、離婚するつもりだったから不倫ではない、夫婦関係はもう終わっていたと言い訳したと聞きました。けれど、離婚の話し合いもしていない。私は別居にも同意していない。夫は家に戻る日もあり、生活も完全には分かれていない。その状態で「終わっていた」と言えるはずがありません。
数日後、後輩女性から改めて謝罪の連絡がありました。彼女は、夫から離婚は決まっていると聞かされていたと言いつつも、それを確認しなかった自分にも責任があると言いました。とはいえ、彼女の言葉をすべて信じるほど、私は甘くありません。それでも少なくとも、彼女はもう夫を信用していませんでした。
妊娠については病院で確認するが、夫と結婚するかは別だと言う彼女。夫に対して不信感を持ったのは、当然でしょう。
その後、夫は何度も連絡してきました。一度ちゃんと話そう、混乱していた、彼女とはまだどうなるかわからない、離婚は少し待てないか——。
私は返信しませんでした。
夫は、自分が選ぶ側だと思っていたのでしょう。妻に離婚を告げ、後輩女性に責任を取ると言えば、すべて自分の思い通りに進むと思っていたようです。
でも現実は違いました。
私はすでに事実を知っていて、後輩女性は夫を疑っていたのです。さらに義両親にも説明済み。
私は、夫の言葉を信じて待つ段階をとっくに過ぎていたのです。しばらくして、私たちは離婚しました。条件については専門家に相談しながら進め、夫にも必要な責任を取ってもらいました。
夫は最後まで、「こんなはずじゃなかった」と言っていました。でも、こんなはずにしたのは夫自身です。
その後――。
離婚後、私は部屋の模様替えをしました。夫が出て行ったあとも、家の中には夫が使っていたものや、夫の気配が残っていたからです。夫がよく座っていたソファを処分し、古くなっていたカーテンも替えました。大きな変化ではありません。けれど、家の空気が少しずつ自分のものに戻っていくような気がしています。後輩女性がその後どうしたのか、詳しくは知りません。ただ、夫とすぐに結婚したという話は聞いていません。夫は一時期、義実家に戻っていたそうです。
あの日、夫は「好きな人が妊娠した。離婚してほしい」と言えば、私が泣いて取り乱すと思っていたのでしょう。けれど、私が返したのはこのひと言でした。
「何も知らないのね?」
夫が知らなかったのは、私がすでにすべてを把握していたこと。そして、守ろうとしていたはずの彼女からも、すでに疑われていたことです。今は、静かな部屋でひとりの時間を楽しんでいます。誰かの嘘に振り回されない毎日は、思っていた以上に穏やかです。
◇ ◇ ◇
夫婦間の違和感は、すぐに答えが出るものばかりではないでしょう。それでも、相手の説明に不自然さを感じたときは、感情だけで動かず、やりとりや出来事を記録しておくことが大切なのかもしれません。事実を整理しておくことで、後から冷静に判断しやすくなるはずです。
相手の言葉に流されず、自分が見聞きしたことをもとに状況を確かめること。それが、自分を守るための大切な一歩になるのではないでしょうか。
【取材時期:2026年5月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。