「1週間だけ」——軽い頼みごとのはずだったのに
夫から「姉さんの娘を預かってほしい」と頼まれたのは、半年ほど前のことです。義姉一家は数年前から海外で暮らしていましたが、夫によると、義姉だけが急きょ帰国して新しい仕事を始め、保育園の空きが見つからずに困っているとのことでした。「1週間だけでいいから、昼間、姪を見てくれないか」と頼まれました。私は自宅で編集の仕事をしており、締め切りもオンライン会議もあります。それでも、家族が困っているならと引き受けました。
翌週の月曜日、夫が連れてきたのは4歳の女の子でした。人見知りなのか、話しかけると夫の後ろに隠れてしまいます。義姉とはここ数年会っておらず、姪とは一度も直接会ったことがありません。写真も赤ちゃんのころに数回見ただけで、何歳になったのかも把握していませんでした。
夫は「姉さんは朝が早いから」と言い、毎朝、出勤前に姪を迎えに行って自宅へ連れてきました。夕方になると、車で義姉の滞在先まで送り届けていました。最初の数日は順調で、女の子も慣れてくると、1人で絵を描いたり絵本を読んだりして過ごすようになりました。それでも、仕事をしながら4歳児を見るのは想像以上に大変で、昼食を用意し、飲み物を出し、トイレを気にかけ、集中している最中も「これ見て」「一緒に遊ぼう」と声をかけられます。悪気がないとわかっていても、仕事は少しずつ遅れていきました。
そして約束の1週間が過ぎても、保育園は決まりません。「あと少しだけ頼む。姉さんも困っているんだ」と申し訳なさそうに眉を下げる夫に、私はもう1週間だけと引き受けました。ところが、2週間が過ぎても状況は何も変わらなかったのです。
「家にいるんだろ?」——夫の言葉に覚えた冷たい違和感
3週目に入るころには、仕事への影響も無視できなくなっていました。オンライン会議中に女の子が部屋へ入ってくることもあり、夜に仕事をやり直す日が増えていたのです。
「せめて週に何日かは別の預け先を探してもらえない?」と伝えると、夫は不満そうに「でも、家にいるんだろ?」と返しました。その一言に胸の奥が冷えます。「家にいるけど、仕事をしているの」と言っても、夫は「あの子だってずっと騒いでるわけじゃないだろ。姉さんも大変なんだからさ」と、私が気にしすぎだと言わんばかりの口ぶりでした。
そこで義姉と直接話したいと申し出たところ、夫は急に歯切れが悪くなりました。「姉さん、離婚のことで参ってるんだ。母さんにも帰国を言ってないらしい」と言い、連絡は自分が窓口になる約束だからと、義姉の連絡先を決して教えようとしません。家庭の事情なら無理に聞くのも悪い気がしますが、それでも何かがおかしいのです。義姉から連絡が来ていると夫は言うのに、私への感謝の電話やメッセージは一度もありません。女の子も「ママは仕事」とは言うものの、母親についてほとんど話しませんでした。
ある日、何げなく「海外のおうちは楽しかった?」と尋ねると、女の子は不思議そうに首をかしげ、「ひこうき、のったことないよ」と言いました。幼い子の勘違いかもしれません。それでも違和感は消えず、その夜もう一度連絡先を聞くと、夫は「しつこいな」「放っておけよ」と声を荒らげたのです。毎日仕事を調整しながら世話をしているのは私なのに、なぜ夫が怒るのか——。
翌日、私は義母へ電話をかけました。
「お義母さん、お義姉さんの連絡先を教えてください」
突然のお願いに驚く義母へ、私はこれまでの事情を説明しました。
「毎日、お子さんを預かるのはさすがに限界です。今後のことを、お義姉さんと直接相談したくて……」
電話の向こうで、義母がしばらく黙り込みました。やがて、戸惑った声でこう言ったのです。
「え? 娘なら家族と海外にいるわよ」「今朝も家族みんなとビデオ通話をしたばかりだけど……」
「あの子は誰?」——夫のうそが崩れた日
義母によれば、義姉は一度も帰国しておらず、今も義兄と小学生の娘と共に海外で暮らしているというのです。その日の朝も家族3人で義母とビデオ通話をしており、日本に4歳の娘を預けているはずなどありませんでした。
電話を切った後も手は震えていました。それでも女の子の前で言い争うのは避けたくて、夫には「今日は早く帰れる?」とだけ連絡しました。
ところが夕方を過ぎても、夫から返事はありませんでした。いつもの迎えの時間を過ぎても帰ってくる気配がなく、電話をかけてもつながりません。そのとき、インターホンが鳴りました。玄関に立っていたのは、私と同じくらいの年齢の女性でした。
「突然すみません。娘を迎えに来ました」
私は言葉を返せませんでした。女性は戸惑ったように続けます。
「○○くんが娘を届けてくれることになっていたんですが、さっきから連絡がつかなくて……。住所は聞いていたので、直接来ました」
夫を下の名前で親しげに呼ぶ口ぶりに、嫌な予感は確信へと変わりました。
「失礼ですが、あの子のお母さんですか?」
「はい」
「夫のお姉さんでは……ないですよね」
女性の表情が固まりました。
私は、夫から「海外から帰国した姉の娘だ」と聞かされていたことを伝えました。すると女性は青ざめ、信じられないというように私を見つめました。
「私は、奥さんも事情を知っていると聞いていたんですが……。もうすぐお二人は離婚されるって……」
「まさか、私もだまされていたんですか?」
どうやら夫は、この女性にも都合のよいうそをついていたようです。
でも、その言葉を聞いても、女性を気の毒だとは思えませんでした。たとえ夫から、私たちは離婚する予定だと聞かされていたとしても、自分の娘をその妻に預け続けていたことまで正当化されるわけではありません。
問い詰めたいことはいくつもありました。けれど、女の子が不安そうに母親の服を握っているのが見えました。ここで怒りをぶつければ、傷つくのは目の前の子どもです。私は感情を押し込み、女性へ連絡先だけを尋ねました。
連絡先を交換した後、私は夫へ「すぐに帰ってきて」とだけ送りました。
その夜、女性からメッセージが届きました。夫から、私とは離婚の話が進んでおり、娘を預けることも了承していると聞かされていたそうです。
〈私も、何が本当なのかわからなくなりました〉
その言葉と共に、夫とのやりとりの画像が送られてきました。女性は仕事を探しており、面接や手続きの間、娘を預けられる場所に困っていたようです。夫は女性に、「妻には事情を話してある。仕事が決まるまでは毎日預かってもらえる」と伝えていました。
さらに、女性が「明日は面接がないから、娘と過ごす」と送った日にも、夫は「せっかく預かってもらえるんだから会おう」と誘っていました。
やりとりには、私が女の子を預かっている間、2人が食事をしたり、女性の自宅で過ごしたりしていたことが残っていました。中には、ホテルで待ち合わせる相談もありました。夫は女性に「妻とは離婚の話が進んでいる」「仕事が決まったら、いずれ一緒に暮らそう」と話していたのです。
夫は私にうそをつき、交際相手の娘を2週間も預けていました。女性が就職活動をするためだけでなく、2人で自由に会う時間をつくるためにも、私を利用していたのです。一方で女性には、私も娘を預かることを了承しており、夫婦の離婚話も進んでいると説明していました。
夫が帰宅したのは、それから1時間ほど後でした。
私は義母へ確認したことと、女性から送られてきたやりとりを伝えました。夫は顔から血の気を失いました。
それでも、すぐに口を開きました。
「違う。彼女と会うために預けたんじゃない。あの人が娘の預け先に困っていたから、少し手を貸しただけだ」
「それなら、どうして義姉の娘だとうそをついたの?」
夫は一瞬、言葉に詰まりました。
「本当のことを言ったら、お前が変に疑って断ると思ったんだよ。姉さんの子だと言えば、引き受けてくれると思って……」
「不倫していたんでしょう?」
「いや、預かってもらっている時間に、たまたま会っただけで――」
「食事も、家で過ごしたのも、ホテルで待ち合わせたのも、全部たまたまなの?」
そう言って画面を見せると、夫は黙り込みました。しばらく黙っていた夫は、もう言い逃れできないと思ったのか、やがて「お前は在宅だし、あの子もなついていただろ」「子どもと過ごすのも悪くなかっただろ」と、まるで私にも得があったかのような言い訳を始めました。
私は夫に伝えました。
「あなたは不倫を隠すために、相手の子どもを姉の娘だと偽り、私に世話をさせた。その間に2人で会っていた。私の仕事も時間も善意も、あなたたちの都合のために利用したのよ。相手の女性も無責任だけど、私にうそをついて、この状況をつくったのはあなたでしょう」
すると夫は急に態度を弱め、「待ってくれ。離婚とか言わないよな」と尋ねました。
「そのつもりで考えている」そう返すと、夫は目を見開いたまま動けなくなりました。
私をだまし続けた夫との生活の終わり
その後、私は専門家へ相談し、証拠を整理した上で離婚について話し合いました。夫は当初、「子どもを預けたのは、たった2週間だ」「これくらいで離婚するなんて大げさだ」と主張しました。しかし、不倫の証拠も、私をだまして女の子を預けていた記録も残っています。私の意思が変わらないとわかると、強気な態度は崩れ、やがて「一度だけ、やり直す機会がほしい」と言い始めました。
義母も息子をかばいませんでした。夫が「そこまで大ごとになるとは思わなかった」と釈明すると、義母は厳しい声で言いました。「妻をだまして、不倫相手の子どもの世話までさせたのでしょう。その間に相手と会っていたのに、どうして大ごとにならないと思えるの。子どもまで巻き込んで、恥ずかしくないの。相手の女性も、事情をどう聞かされていたにせよ、自分の娘を預けてあなたと会っていたのでしょう。母親として無責任すぎるわ!」夫は視線を落としたまま、何も答えられませんでした。
その後、女性から、夫との関係を終わらせたと連絡がありました。夫にうそをつかれていた点では、彼女もだまされていたのでしょう。それでも、自分の娘を既婚男性の妻に預け、その間に夫と会っていた彼女を許すことはできません。離婚の話を信じていたとしても、母親としてあまりに無責任だったと思います。
ただ、女の子に罪はありません。大人たちの都合とうそに巻き込まれたあの子へ、怒りを向けるつもりはありませんでした。
離婚成立後、夫から「直接会って話せないか」と連絡が来ましたが、私は応じていません。必要な連絡は、決めた窓口を通すよう伝えました。
今は一人で暮らしています。以前より小さな部屋ですが、誰かのうそや都合で仕事を中断させられることはありません。仕事を終えた後の時間を、自分のために使えるようにもなりました。失ったものはあります。それでも、自分の時間を自分で決められる毎日に、少しずつ落ち着きを取り戻しています。
◇ ◇ ◇
身近な人から頼みごとをされると、「疑うのは失礼ではないか」「断るのは冷たいのではないか」と考えてしまうことがありますよね。しかし、相手が重要な事実を隠していれば、こちらは引き受けるかどうかを正しく判断できません。
説明を求めると怒る、本人と直接連絡させない、話のつじつまが合わない。そんな違和感が重なるときは、相手の説明だけを信じず、事実を確かめることも自分を守るために必要なのかもしれませんね。