義母の退院後、見守りと生活支援が必要になり、私たち夫婦は義実家へ移りました。2人で支える約束でしたが、夫は「仕事が落ち着いたら交代する」とマンションへ戻り、義実家には私だけが残りました。
私は介護サービスを利用しながら、通院の付き添いや食事、服薬の確認を担い、パートも減らしていました。
義母の介護を手伝わない夫
義母の体調が悪く、次回の検診次第では入院するかもしれない、と私は夫に連絡しました。しかし夫は「また金がかかるのか」「急に弱りすぎじゃないか」と愚痴をこぼしました。
介護サービスの打ち合わせにも夫は来ず、電話をしても「今は忙しい」と切られました。顔を出してほしいと頼んでも、「母さんもお前のほうが安心するだろ」とかわされるばかり。
夫はマンションを引き払うつもりも、義実家へ戻るつもりもないようでした。
「いつまで別々に暮らすつもり? そろそろ義実家へ戻ってきたら?」
私がそう尋ねると、夫は「仕事場から遠くなるし、今のままでいい」と答えました。以前は外食が続くだけで不満をこぼしていたのに、食事にも困っていないと言います。夫が一人暮らしを続けたがることに、私は小さな違和感を覚えました。
夫が不倫…?
2週間後――。
ヘルパーさんに義母を任せてマンションへ戻った私は、洗面所で女物の洗顔料とシャンプーを見つけました。棚には、私の物ではないヘアゴムも置かれています。さらに、以前置いていた私の化粧品が棚の隅へ寄せられ、代わりに見覚えのない物が並んでいました。
「俺が使ってる」と夫は白を切り、「浮気を疑うのか」「勝手にマンションへ帰るな」と逆ギレ。
「お義母さんのこと、2人で支える約束だったよね。どうして戻ってきてくれないの?」
私がそう尋ねると、夫は「俺と結婚したからには、母さんの面倒をきちんと見てもらわないと」「それが嫁であるお前の今できることだからな」と言い切りました。
これ以上問い詰めても、夫は言い逃れを続けるだけだと思った私。その場では追及せず、見つけた物や夫の発言を記録しました。その後も説明の食い違いを書き留め、弁護士にも相談しました。
そのころ、義母は私の手を取ってこう言いました。
「あなたには本当に世話になったわ」
「私のために、自分の人生まで犠牲にしないでね」
「元気なうちに、きちんとお礼をしておきたいの」
連絡のつかない夫
10日後――。
一向に義実家へ来ない夫は、「出張が入った」と言いました。しかし、数日前には「当分、出張の予定はない」と話していたうえ、行き先を聞いても曖昧にごまかします。不審に思った私は、弁護士から紹介された調査会社へ、夫の行動確認を依頼しました。
その数日後、義母の容体が急変しました。肺炎でした。
私は何度も夫に電話し、メッセージも送りました。病院や義母の弟も連絡しましたが、夫ときちんと話すことはできませんでした。その後、義母の容体はさらに悪化。私は義母の弟と相談しながら、必要な対応に追われました。それでも夫から返事はありません。
数日後、夫からようやく連絡がありました。
「やっと出張終わった」
「やっと出張終わった。今から帰る」
「何度も連絡したけど、お義母さんが亡くなったよ」
「葬儀も、もう終わりました」
義実家に駆け込んできた夫は、青ざめた顔で私に詰め寄りました。
「葬儀まで終わったって、どういうことだよ」「電話に出なかったなら、もっと何度も連絡するだろ普通」「俺は実の息子だぞ!」
私は黙って、自分のスマホを差し出しました。着信履歴と、送信済みのメッセージの画面でした。
「知らせなかったんじゃない。何度も連絡した」「病院からも、お義母さんの弟さんからも連絡が入っていたはずだよ」「亡くなったことも、葬儀の日程も送りました」「あなたが全部無視したの」
夫が開いた画面には、不在着信がずらりと並び、未読のメッセージが積み上がっていました。そして、義母の容体急変を伝えた一通の下に、夫が短く返した文字が残っていました。
「病院に任せておけばいいだろ。帰るのは予定通りでいい」
夫は「また介護の相談だと思った」と言い訳しました。その後の通知も、開かないまま放置していたのです。
「そんなに悪いなんて思わなかったんだよ……」
夫は画面を見たまま口ごもりました。
私は封筒をテーブルに置きました。調査会社の報告書と、夫と不倫相手がホテルへ出入りする姿を写した写真でした。日付は、夫が出張だと説明していた期間と重なっています。
「出張じゃなかったこともわかってる」「あなたが誰といたのかも確認しているよ」
「取引先と……」と言いかけた夫は、そこで黙り込みました。
「弁護士に相談してるから。条件は後日、代理人から連絡してもらいます」
義母の遺言
四十九日が過ぎたころ、夫は実家の売却話を一方的に進めようとしていました。
「母さんの財産は一人息子の俺が継ぐんだから」
「お前もいい加減ここを出ろよ」
それからしばらくして、遺言執行者の弁護士から、夫と私の双方に連絡が入りました。義母は生前、専門家に相談したうえで公正証書遺言を作成していたのです。
内容は、預金の一部と、自宅を売却して諸費用を差し引いた残金の一部を、介護への感謝として私へ遺贈するというもの。合わせて、夫には遺留分があることも説明されました。
「実の子より、他人のお前のほうが多いのはどうかしてる」「こんなことしたら親族から恨まれるぞ」と夫は食い下がりました。
義母の弟や介護の様子を知る親族は、義母の意思を尊重すべきだと私をかばってくれました。一部には私が義母を誘導したのではと疑う人もいましたが、義母の手紙や介護記録、遺言作成時の経緯が示されると、私を責める声は次第になくなりました。
親族が自分の味方をしてくれないとわかると、夫は急に声の調子を落とし、「冷静になって話し合おう」と言い出しました。私は静かに答えました。
「それは弁護士を通してお願いします」
その後――
その後、弁護士を通じて離婚条件を話し合い、私たちの離婚は成立。調査を進める中で、夫が不倫相手との旅行や外食に、夫婦の共有口座から300万円近く使っていたこともわかりました。
夫は、遺言によって自分の遺留分が侵害されたとして、私に約200万円を請求しました。一方、私は夫の不貞行為に対する慰謝料として300万円、夫が使い込んだ共有財産の精算として約300万円を求めました。さらに、財産分与についても話し合いました。
夫と私の代理人が交渉した結果、遺留分に関する金銭を差し引いても、夫は私へ合計800万円近くを支払うことになりました。不倫相手からも、別に100万円が支払われました。母親の財産を受け取れると思っていた夫は、結局、自分が金銭を支払う立場になったのです。
不倫相手は、夫から「妻とは離婚する予定だ」と聞かされていたそうです。ただ、夫が既婚者だと知っていたため、不倫相手への慰謝料についても別に話し合いが進められました。その過程で、夫が私と不倫相手に違う説明をしていたことも発覚。不倫相手も夫のうそを知り、2人の関係は長く続かなかったそうです。
後日、義母の弟は夫に、義母が最期まで息子の名前を口にしていたことを伝えたそうです。私は義実家を離れ、ひとりで暮らす部屋へ移りました。仕事の時間を元に戻し、介護の経験を生かせる資格の勉強も始めました。遺贈と慰謝料は、新しい生活を立て直すために使いました。
棚には、義母の写真と手紙を置いています。
「私のために、自分の人生まで犠牲にしないでね」
手続きが続いている間、夫とのやり取りはすべて弁護士を通しました。すべてが終わった日、私は夫の連絡先を削除しました。義母の言葉を思い出しながら、これからは無理をせず、自分の生活を立て直していこうと思っています。
◇ ◇ ◇
自分を守るのは、感情をぶつけることではなく、違和感や出来事を書き留めておくという地道な行動なのかもしれません。いざというときに自分で選べるよう、記録や相談先を持っておくことが、何より自分を助けてくれるのだと考えさせられますね。