タワマン前での遭遇
その日は、朝から郊外のあの空き家の壁を塗り直していました。作業を終え、たまたま用事があって都心へ足を運んだときのこと。完成したばかりの高級タワーマンションの前を通りかかると、若い女性が弾むような足取りで出てきました。そして、その肩を愛おしそうに抱き寄せている男性。それは紛れもなく私の夫でした。
目が合った瞬間、夫の顔からサッと血の気が引くのがわかりました。思いがけない事態に私の頭も真っ白になり、心臓がバクバクと音を立てていました。気まずそうに視線を泳がせていた夫ですが、隣の女性に腕を強く引かれると、急に開き直ったように胸を張って言ったのです。「あ、いや……もうバレたなら隠さない。俺たち一緒になるから、別れてくれ」
隣で女性が勝ち誇ったように笑うなか、夫は「彼女がどうしてもこういう新しいマンションがいいって言うからさ。無理して買っちゃったよ」と、なぜか得意げに語り出しました。目の前で彼女を抱き寄せる姿を見せつけられ、信じていた夫に裏切られた悲しみで涙があふれそうになりました。しかし、私がこれほど傷ついていても、夫の頭にあるのは自分の見栄と新しい生活のことばかり。そのあまりにも自己中心的な姿を見た瞬間、私の中で何かがプツリと切れたのです。
「あ、この人、もうダメだ」
涙はスッと引き、彼への期待も未練もすっかり消え失せたのでした。
無価値な土地と引き換えの決断
後日、私は夫と話し合いの席を設けました。「この間の離婚の話、受けてあげる。現金もほかの財産もいらないから、その代わり……あの空き家と土地を私にちょうだい」私の提案を聞いた夫は、一瞬きょとんとしたあと、鼻で笑いました。「あんな無価値なボロ家で良いのか? 物好きだな。まあ、こっちとしては、タワマンの支払いもあるから助かるけど」
夫は喜んで了承し、すぐに名義変更の手続きを進めてくれました。すべてが私の名義になったのを見届けてから、私は晴れやかな気持ちで離婚届に判を押しました。
実は、空き家があるあのエリアは緑豊かで治安も良く、近くには親しみやすい商店街もあって、密かに「すごく住みやすそうな街だな」と魅力を感じていたのです。何より、毎週末のDIYですっかり愛着が湧いていた場所。古い家とはいえ、自分の手で綺麗に再生させて、ここから穏やかな新しい生活をスタートさせるのも悪くない……私にはそんな前向きな思いがありました。
動き出したある話
離婚から半年が過ぎたころ。何気なく見ていた朝のニュースに、私は思わず声を上げました。あの空き家の周辺エリアに、大型商業施設を誘致する再開発計画が正式に決定したのです!
ニュースの数日後、地元の不動産会社を通じて、大手デベロッパーから買い取りの打診が舞い込みました。提示額は、相場を大きく上回る破格のもの。愛着のある土地を手放すのは少し寂しかったですが、私は思い切って売却を決意しました。その売却資金を元手に、さらに条件の良い郊外に戸建てを購入し、庭でハーブを育てながら、念願だった穏やかな1人暮らしを始めました。
新居での生活が落ち着いたころ、元夫からひっきりなしに電話がかかってくるようになりました。今さら何の用かと、すぐに着信拒否です。
共通の知人から聞いた話によると、元夫は都心のタワマンのローンや高額な管理費の支払いで首が回らなくなったとのこと。裕福な暮らしを期待していた不倫相手は、家計が苦しくなるとあっさりと元夫を見限り、さっさと別の男性のもとへ去ってしまったそうです。
私とボロ家を手放した元夫の今
ある日、見知らぬ携帯番号からの着信がありました。宅配便の配達員か何かだと思い電話に出ると、聞こえてきたのは焦ったような元夫の声でした。私の着信拒否をかいくぐるため、会社支給のスマホからでもかけてきたのでしょう。「ずるいぞ! あの空き家、再開発で高く売れたんだってな! もともとは俺の土地なんだから、売れたお金の半分をよこせよ!」
土地の売却を共通の知人から聞きつけて、慌てて連絡してきたようです。電話越しに切羽詰まった声で騒ぎ立てる元夫に対し、私は冷ややかな声で返しました。「『あんな無価値なボロ家でいいのか』って笑ってハンコを押したのはあなたでしょう? 目先の見栄ばかり気にして、手放したものの価値にも気づかないなんて、本当に残念な人ね」
私が毅然と告げると、電話の向こうの元夫は「え、いや……」と言葉に詰まり、そのまま押し黙ってしまいました。私はそれ以上、彼の言い訳を聞くことなく通話を切り、その番号も即座に着信拒否に設定しました。
現在、元夫は住宅ローンを払えなくなり、無理をして買ったタワマンを売却。今は古いアパートでひとり寂しく暮らしているそうです。あのとき、空き家の手直しを前向きに続けて本当によかった。自分の庭で育てたハーブでお茶を淹れ、その豊かな香りを楽しみながら、自分らしく暮らしています。
◇ ◇ ◇
結果として訪れた幸運は偶然でも、そこへ至る選択は、日々かけた手間や愛着、自分なりの価値観から生まれます。迷ったときこそ、世間の評価や相手の都合ではなく、自分が納得して歩ける道を選ぶ。その積み重ねが、自分らしい人生をつくるのでしょう。自分の幸せを基準に人生を選び直すことも、責任ある決断の一つではないでしょうか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。