学生時代に妊娠したものの産むことができなかったため、やむを得ず妊娠7週で初期人工妊娠中絶という選択をしました。中絶に至るまでの経緯や手術当日の複雑な思い、そして10年以上が経った現在の心境もお伝えします。
中絶という選択肢
大学4回生になる前の春休みに妊娠が判明し、パニックになりながら当時交際していた同級生の彼に伝えたところ、子どもを産み育てるのは無理だという返事が……。
地方で会社を営む彼の家庭は厳格で、「学生でできちゃった婚なんてしたら勘当される」とのこと。この状況で保身に走るなんて……と彼に幻滅する一方で、私自身もそんな彼との間の子どもをシングルマザーとして育てる覚悟も持てず、私たちは中絶という選択をしました。
大切なものを手放していく
中絶を決めた私たちは、周りに知られないように隣県の病院で手術をすることに。中絶手術は妊娠7週でおこなうことが決まりました。手術にかかる費用は約10万円。手持ちが足りず、当時私が大切にしていた中型バイクを売却して得た代金を一旦手術費用に充てて、あとで彼から分割で代金を支払ってもらうことにしました。
おなかの赤ちゃんも守れないし、私は何をやっているんだろう……と情けなくて虚しい気持ちでいっぱいでした。
手術の痛みと悲しみ
手術の日は朝食も水もとらずに前処置をします。その間も彼は付き添ってくれましたが、処置の作用で生理痛の何倍もの痛みと吐き気があったので、何を話したかもよく覚えていません。
手術室へ案内されるときに別の部屋で出産があったらしく、ハッピーバースデーの音楽が流れてきました。それを聞いて、望まれて生まれてくる命がある一方で、私は産んであげることすらできない……と悔しさが爆発し、大声をあげて泣いてしまいました。術後は日帰りでしたが、しばらくは心にも痛みが残ったままでした。
10年以上経った今でも思い出す
その後、大学卒業とほぼ同時に彼と別れて以来、彼がどうしているのかも知りませんし、私も別の人と結婚して娘を授かりました。今は幸せですし、中絶を選択したことを後悔しているわけではありません。それでも、あのときのことを思い出すことがあります。
もし、あのとき子どもを産んでいたらもう中学生になるのかな、男の子だったら反抗期で大変かもしれないな……などと想像をしては、ほんの少しだけあのとき産めなかった子に思いを馳せるのです。
中絶は苦しく悲しい体験でしたが、この先私はこのことを夫や娘に話すことはなくても、きっと忘れることはないと思います。産めなかった子どものことも忘れずに時々思い出すということが、私が親として唯一あの子にしてやれることなのです。
※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
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イラスト/マメ美
監修/助産師REIKO
著者:坂本ひろ子
1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。