「俺にフラれてまだ独身?」医師の元カレがマウント連発→退院日、迎えに来た“夫の正体”に凍りつき!?

私は32歳の専業主婦です。10歳年上の夫と結婚して半年が経ったころ、絵画やヨガ、料理教室といった趣味を楽しみながら、とても充実した毎日を過ごしていた私。やさしく私を支えてくれる夫には、感謝の気持ちでいっぱいでした。ところが……。
そんな穏やかな日々の中で、予想もしないトラブルに見舞われました。夫が海外出張で不在だったとき、マンションの階段で足を滑らせ、転倒してしまったのです。激痛で動けず、救急搬送された先で精密検査を受けた結果、骨折と診断され、そのまま入院することになりました。
一生会いたくなかった人との再会
入院した翌日のことです。病室のベッドで安静にしていたところ、不意にノックの音がして一人の医師が入ってきました。顔を見た瞬間、私は背筋が凍りました。そこにいたのは、かつてひどい別れ方をした元カレだったのです。
彼は、私が車椅子で移動しているところを廊下で偶然見かけたらしく、その後、私の病室までやってきたのでした。
「やっぱりお前だったか」とニヤニヤしながら近づいてくる彼。すると、得意げな表情で語り出しました。
「俺、3カ月前にここに赴任してきたんだ。いずれは俺がこの病院の院長になるかもしれないぞ?」
さらに彼は、ベッドに掲示されていた私の名前を確認し、バカにしたような笑みを浮かべてこう言い放ったのです。
「名字が変わってないってことは……もしかして、俺にフラれたショックでまだ独身なのか?」
実は、私と夫はもともと同姓でした。そのため、結婚して夫の名字になっても、表記上は旧姓のころと変わりません。彼はそれを見て、私がまだ独身だと勝手に思い込んだようでした。
「結婚しているから」と真実を伝えても、彼は「強がらなくていいって。俺と別れたこと、後悔してるくせに。将来有望な俺と違って、お前は相変わらず惨めな生活を送ってるんだろ?」と、こちらの言葉をまったく聞き入れず、独りよがりな言葉を並べるばかり。
その後も、リハビリの行き帰りなどで廊下で顔を合わせるたびに、彼は勝ち誇ったような顔で嫌みを投げつけてきました。
退院日、最後に放たれた無神経な言葉
ようやく退院の日。荷物をまとめてナースステーションへ向かおうとした際、またしても彼が前をふさぐように現れました。
「そんなに寂しそうな顔をして。俺と離れたくなくて、わざとリハビリを遅らせてたんじゃないのか?」
最後までそんな無神経な冗談を飛ばし、さらに信じられない提案をしてきました。
「俺が院長になったら、復縁も前向きに考えてやってもいいんだぞ」
あまりの傲慢さに、私はあきれを通り越して怒りが湧きました。「ふざけないでください。二度と顔も見たくありません」と、私は精いっぱいの拒絶を言葉にしました。
迎えに来た夫の姿に、凍りつく元カレ
そのときでした。「遅くなってごめん!」と、廊下の向こうから大きなスーツケースを引いて急ぎ足でやってきたのは、出張を終えて帰国したばかりの私の夫でした。入院中、何度も心配の電話をくれていた夫。私はやっと会えた安心感から、夫の腕に飛び込みました。
その光景を見た元カレは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっていました。しかし、状況を理解するにつれ、彼の顔はみるみるうちに青ざめていったのです。
「院長!? なんで……」
それもそのはず。私の夫は、若くしてその手腕を評価され、この病院を任されている院長その人だったからです。
「ところで先生。私の妻に対して、なぜそんなに失礼で偉そうな態度をとっているんだ?」
夫の低く厳しい声が響きました。おどおどと動揺し、言い訳を探す元カレに代わり、私はこれまでのことをすべて夫に報告しました。
「こちらの先生は、何年も前にお別れした元交際相手なの。私が独身だと思い込んで、『俺と違って惨めだ』とか『復縁も考えてやる』とか……散々見下してきて、本当に不快だった」
私の言葉を聞き、夫の表情が険しくなりました。
「君についての不穏な噂は、私の耳にも届き始めていた。患者への不適切な言動や、スタッフへの高圧的な態度……ちょうど事実確認を進めるよう指示を出していたところだったが、まさか私の妻にまで、業務外の接触をして嫌がらせをしていたとはな」
夫は院長として、彼の問題行動について事実確認を進めるよう指示していたようです。今回の件も、調査の対象となりました。
自分の身の丈を知らなかった男の末路
その後、彼は病院内での立場を完全に失いました。調査によって数々の素行不良が裏付けられ、処分が下される前に、彼は逃げるように自主退職していきました。
あのような不誠実な態度で仕事をしていれば、たとえ職場を変えても、遅かれ早かれ同じような壁にぶつかるのは目に見えています。一度失った信用を取り戻すのは、彼が考えているほど簡単なことではないでしょう。
私はこの一件を通じて、過去の嫌な思い出を完全に断ち切ることができました。それ以上に、空港から真っ先に駆けつけて私を守ってくれた夫の愛情を改めて感じ、今は今まで以上に幸せな日々を過ごしています。
◇ ◇ ◇
自分の立場を過信し、相手を見下すような言動を繰り返す人とは、別れて正解だったと確信しています。これからも心から信頼できる夫と共に、この穏やかな生活を大切に守っていきたいです。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、入院先で再会した元カレに、今も独身で惨めなはずだと決めつけられた女性が登場します。しかし女性を迎えに来た夫の姿に、元カレは青ざめるのでした。
続く2つ目のエピソードでは、離婚後の女性に、元夫から「生活苦だろ?」と見下すメッセージが届きます。しかし、元夫が想像していたような暮らしとはまったく違う現実があり……。
元夫「俺と離婚して生活苦だろ?w」私「タワマン最高だけど?」→数カ月後、元夫が泣きついてきたワケ

共働きにもかかわらず、家事は私がして当然だと思っていた元夫。離婚から数カ月後、「俺と離婚して生活苦だろ?w」と見下すようなメッセージが届きました。けれどその後、強気だった元夫の態度が一変することに……。
話は、まだ元夫と結婚していたころにさかのぼります。
打ち合わせが一段落してスマホを見ると、夫から着信が何件も入っていました。折り返すと、開口一番に言われたのはお弁当のこと。
共働きでも家事は妻の役目?
「冷凍食品が多い」
「同僚に見られたら恥ずかしい」
「もう少しちゃんと作れないのか」
早起きして用意した私に、夫は当然のように文句を並べました。私もその日は朝から会議の準備に追われていて、余裕などありません。けれど夫にとって、私の仕事の忙しさはあまり関係ないようでした。
夫の母である義母は、長年専業主婦として家事をこなしてきた人です。夫はその姿を基準にして、共働きの私にも同じことを求めているのです。
夫は一人暮らしの経験がなく、家事は誰かが自然にやってくれるものだと思っているようでした。結婚後も、料理や洗濯、掃除を自分の担当として考えたことはほとんどありません。
私は仕事を続けながら、できる範囲で家のことも回そうとしてきました。けれど、夫から返ってくるのは感謝ではなく小言ばかり。
そんな生活に、少しずつ疲れがたまっていました……。
飲み会に行くのは許さない
1週間後――。
その日は部署の親睦会があり、私も参加する予定でした。朝のうちに夫へ伝えていたのですが、21時を過ぎたころからメッセージが続けて届きます。
洗濯は終わっているのか、掃除はしたのか、家のことを残したまま飲みに行くなんてと、責めるような内容ばかり。夫自身は週に何度も飲みに行くのに、私が職場の集まりに出ると不機嫌になるのです。自分は仕事の付き合いだからいい、でも私は家のことを優先すべき。夫の中では、そう決まっているようでした。
私は、働いて家計も負担していること、家事もほとんど私が担っていることを伝えました。けれど夫は、私の収入を「たいした額じゃない」と決めつけ、働くなら家のことも今まで通りやれと言います。まるで、私の仕事は夫の許可の上に成り立っているかのような言い方でした。
夫は自分を大黒柱だと思い込み、家のことを決める権限も自分にあると考えているようでした。私が積み上げてきた仕事や努力には、目を向けようともしないのです。
夫はついに、「家事をちゃんとできないなら離婚も考える」と言い出しました。
以前の私なら、そこで慌てて謝っていたかもしれません。けれど、結婚してから夫への気持ちは少しずつ冷めていました。私が仕事と家事を抱えていることを見ようともせず、都合のいいときだけ大黒柱のように振る舞う夫。
私はすぐに言い返す代わりに、家計の記録や夫とのメッセージを整理し始めました。生活費の負担、家事の分担、夫の発言。感情だけで離婚を決めるのではなく、自分の生活を守る準備が必要だと思ったのです。
その後、相談窓口や専門家にも話を聞き、別居を経て離婚協議へ進みました。夫は最初こそ強気でしたが、私が本気だとわかると、少しずつ口数が減っていきました。
そして数カ月後、私たちの離婚は成立しました。
新しい生活、最高!
離婚が成立してから4カ月後――。
新しい生活に慣れてきたころに、突然元夫からメッセージが届きました。
「離婚して生活苦だろ?w」
「タワマン最高だけど?」
「は?」
元夫は、私が離婚後に生活へ困っていると思っていたようです。
けれど実際には、仕事の異動に合わせて、会社の借り上げ社宅へ入ることになりました。社宅といっても駅近の高層マンションで、いわゆるタワーマンションでした。元夫が想像していた「生活苦」とは、まったく違う環境でした。
もちろん、急に贅沢な暮らしを始めたわけではありません。会社の補助があるから成り立っている生活。それでも、誰かに家事を押し付けられたり、収入を見下されたりしないだけで、私には十分すぎるほど快適でした。
「どうせ一人じゃ生活できるほど稼いでないんだろ」と、悔し紛れに私を貶める発言を繰り返す元夫。
思わず、本気でそう思っているのかと返してしまいました。結婚前の私は収入が安定せず、夫にもその印象が残っていたのでしょう。けれど結婚後に転職し、少しずつ収入は上がっていました。夫は家計管理を私に任せきりで、私が毎月どれだけ生活費を負担していたのかも、正確には把握していません。
私は、離婚後も一人で生活していける見通しを立てたうえで別居を選びました。元夫が想像していたような、生活に困って泣きつく私など、どこにもいなかったのです。
「私がいなくなって、家のことは困っていないの?」と聞くと、元夫は少し勢いをなくしました。
掃除は義母がときどき来てくれているらしく、食事も外食や総菜で済ませているとのこと。本人は平気なふりをしていましたが、以前のように強く言い返す余裕はなさそうでした。
それでも元夫は、「こっちは楽しく生活してる」「離婚してせいせいした」と強がります。私はそれ以上返さず、画面を閉じました。
2カ月後――。
私と離婚して楽しく生活しているはずの元夫から、「頼む、帰って来てくれ……」「お前とやり直したい……」とのメッセージが。
義母に頼っても限界が来たのかと思いましたが、実際は経済的な面で困っている様子でした。元夫にも、一人で暮らしていくには十分な稼ぎがあったはずですが、離婚後に生活費の管理で困るようになったようです。
家賃や光熱費、カードの支払いなど、これまで私に任せきりだった家計管理を、一人でしなければならなくなったのでしょう。やり取りを続けると、口座残高を確認しないままお金を使い、支払いが重なって慌てていたようです。義母にも頼ったようですが、いつまでも生活を支えてもらえるわけではありません。
元夫が求めていたのは、妻というより、家事と家計管理をしてくれる人だったのだと思います。
私は、もうあなたの生活を管理する立場ではないと伝えました。支払いに困っているなら、自治体などの相談窓口に相談すること。自分の収支や引き落とし日は、自分で把握すること。それ以上、私にできることはありません。
元夫はしばらく食い下がりましたが、私の気持ちは変わりませんでした。
その後も、元夫から何度か連絡はありました。
けれど、私は必要なこと以外は返さないと決めています。生活に困っているなら、まず自分で収支を見直すべきです。私が戻って支える理由は、もうありません。
今は仕事を続けながら、自分の生活を整えているところです。お弁当の中身に文句を言われる朝も、飲み会の予定に嫌味を言われる夜もない。
家のことも、仕事も、私のペースで決められる毎日に満足しています。
◇ ◇ ◇
理不尽な要求に対して、感情的にならず冷静に境界線を引いて距離を置いた判断が、結果的にご自身の生活を守ることにつながったのではないでしょうか。一緒に暮らす家族であっても、自分をすり減らしてまで相手の思い通りに振る舞う必要はないのだと考えさせられます。
相手の価値観に無理に合わせず、心地よいペースで毎日を過ごすことを大切にしたいですね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、「俺と別れて不幸なはず」と見下した元カレ・元夫の大誤算エピソードをご紹介しました。
入院先で再会した元カレから「惨めな生活をしている」と決めつけられたり、離婚後の元夫から「生活苦だろ?」と見下されたり。もう関係は終わっているはずなのに、いつまでも自分のほうが上だと思い込む言動には、あきれてしまいますよね。
別れた相手が不幸になるとは限りません。過去の関係に縛られず、自分を大切にしてくれる人や、自分らしくいられる暮らしを選ぶことで、今の幸せを守っていきたいですね。