母の危篤中、夫から非情な連絡
危篤状態の母に付き添っていた私のもとへ、夫から「飯を作りに帰ってこい」という非情な連絡が入りました。
日ごろから私に対し、「何もできないお前を家に置いてやってる」「離婚しないでやってる」と威圧的な態度をとる夫と義母。
「親の死に目にすら私は立ち会えないの?」と、ついこぼしてしまった私に対し、夫はここぞとばかりに「俺に逆らったら離婚する」「俺はいつでもお前を捨てられるんだからな」とまくしたてます。
結婚後、義母の言いなりになり、どんどん冷たくなっていった夫に対し、いつしか私の気持ちも冷めてしまっていました。「ごめん、母の親戚の人たちが来たから挨拶してくる」と話を切り上げますが、夫はなおも「いいから早く帰ってこい」と言い続け……。
私の遺産をあてにする夫と義母
その後、母は亡くなり、葬儀を終えてしばらくたったある日のこと。夫はにやにやしながら、私が受け継ぐ遺産について尋ねてきました。母が亡くなってからというもの、夫と義母は遺産の話ばかり。葬儀の最中までお金の話をしていたことに、私は強い怒りを感じていました。
実は、母は資産家の娘だったのです。父とは駆け落ち同然で結婚し、その後は実家とほとんど交流がなかったため、私は詳しい事情を知りませんでした。母が亡くなったあと、親族から相続について説明を受け、そこで初めて、母が親から多額の財産を受け継いでいたことを知ったのです。夫もその際に初めて知りました。
母を亡くした悲しみが癒えない一方で、夫は私が莫大な財産を受け継ぐと知ってから、遺産をどう使おうかと義母と計画を立てている様子。「一軒家を建てるか、タワマンに住むか」「高級車もほしい」など、自分たちの欲望を私に話し続けます。
悲しんでいる私に寄り添うこともなく、「遺産の話はすぐにこっちに回せよ」と、お金のことしか口にしない夫。2週間後に控えた遺産の話し合いに向け、実家の片付けもしたかったため、しばらく泊まると伝えました。すると夫は、「家事をサボってる分は遺産でチャラにしてやるからな」と、どこまでも傲慢な態度で……。
「もう赤の他人です」夫に告げた離婚
2週間後――。
「遺産の話し合い終わった?」
「うちにはいくら入るって?」
「うちに?私たちもう離婚してますけど」
遺産の話し合いを終えた私から、遺産額を聞き出そうとする夫。しかし、私が告げたのは「もう赤の他人です」というひと言でした。
実は私は、遺産の話し合いをする前に、離婚届を役所へ提出していたのです。その離婚届は、母が亡くなる少し前、夫が私にも記入させて用意していたもの。「お前も嫌なら出せばいいんだからな。俺はお前がいなくても困らないし、いつ離婚しても構わない」とまで言われていました。
これまで夫や義母からの暴言や命令に、ずっと耐えてきた私。今回のことをきっかけに、ようやく離婚を決意したのです。
「待ってくれ!」すがる夫と決別
離婚届を提出したと知った夫は、「とにかく一度戻ってこい」としどろもどろの様子。財産分与を理由に話し合いを求めてきましたが、私は「一人であなたたちに会うつもりはない」「弁護士にも同席してもらう」と伝えました。
さらに、これまで義母から受けてきた仕打ちや、一緒になって私を見下していた夫の態度、母が危篤のときでさえ家事を優先させようとしたことを話しました。すると夫は、「母さんはお前に一人前の主婦になってほしかったんだよ」「この間まで家族だったろ?」と、今さら私の情に訴えてきます。しかし、私の気持ちが変わることはありませんでした。
実は、夫と義母は、私が受け継ぐ遺産を自分たちも自由に使えるものと思い込み、カードローンなどを利用してすでに豪遊していたのです。しかし、母から私が受け継いだ遺産は、夫や義母が自由に使えるお金ではありません。
「このままじゃ借金が返せない」とすがる夫でしたが、私にはもう関係ありません。
その後は弁護士を交えて話し合い、夫との関係を清算。私は実家を引き払い、遠くへ引っ越しました。
現在は、母の遺言である「好きに生きなさい」という言葉を胸に、留学に向けて準備をしています。遺産は無駄遣いせず、自分が本当にやりたかったことをひとつずつかなえていくつもりです。
◇ ◇ ◇
夫婦や家族であっても、相手を思い通りに動かそうとしたり、傷つける言葉で縛りつけたりしてよいはずがありません。つらい状況を我慢し続けるのではなく、自分の気持ちや人生を大切にし、必要に応じて周囲や専門家の力を借りながら、自分にとってより良い選択をしていきたいですね。
【取材時期:2026年8月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※一部にAI生成画像を使用しています。