娘「パパと一緒に寝る」夫「キモい…無理」3年ぶりの再会で娘を拒絶→直後、すべてを失った転落の末路

今でこそ娘と穏やかな毎日を送っている私ですが、それまでの人生は決して平坦なものではありませんでした。
私は祖父が経営する会社で働いていたころに夫と出会い、職場結婚しました。妊娠を機に退職し専業主婦になり、「これからは家族3人で幸せな生活が始まる」と信じていたのですが、その願いは思いもよらない形で裏切られることに……。
結婚前から、夫は「子どもが好きだから早く父親になりたい」と話していました。そのため妊娠を報告したときも一緒に喜んでくれ、私も安心して出産の日を迎えました。
そして無事に元気な女の子を出産。しかし、病院で初めて娘と対面した夫の表情は、想像していたものとはまったく違っていたのです。
妊娠を喜んでいたはずの夫
「げっ……赤ちゃんって、こんな感じなんだ」
戸惑ったような声に続けて、「なんか思っていたより無理かもしれない」とつぶやいたのです。
初めての子どもに戸惑っているだけなのだろうと自分に言い聞かせ、「少しずつ父親としての実感が湧いてくるはず」と信じることにしました。
海外赴任の真相
ところが退院後すぐ、夫から「3年間の海外赴任が決まった」と聞かされました。「社長に頼まれて断れなかった」とも言われ、私は生まれたばかりの娘を抱えながら夫を送り出すことに。
もちろん寂しさはありましたが、祖父が決めたことなら反対することはできませんでした。
夫が海外へ赴任してからも、祖父は何度もわが家に来て、娘をとてもかわいがってくれました。そんな祖父が、ある日何気なくこんな言葉を口にしたのです。
「海外勤務を希望する人を募ったら、一番に手を挙げたのが彼だったんだ」
「生まれたばかりの孫に寂しい思いをさせるのではないか、と止めたんだけどね」
思わず耳を疑いました。夫は祖父に命じられたのではなく、自分から海外へ行くことを望んでいたのです。
その後すぐに電話で問いただすと、夫はしばらく黙ったあと、小さな声で言いました。
「正直、子どもと一緒に暮らす自信がないんだ」
さらに、「娘をかわいいと思えない」と言われた瞬間、胸が締め付けられました。
離婚も考えましたが、「帰国後に父親として変わってくれるかもしれない」という最後の望みにかけることにしたのです。
娘を傷つけた最低のひと言
3年後、夫が帰国。3歳になった娘は、写真やテレビ電話でしか知らない父親に会えることを心から楽しみにしていました。
「お帰りなさい、パパ!」
笑顔で駆け寄り、「今日はパパと一緒に寝る!」と抱きついた娘。しかし夫は顔をしかめると、娘を振り払うようにして言いました。
「はぁ? キモい……無理」
突然突き放された娘は、その場で大泣き。私は夫に謝るよう求めましたが、返ってきたのは信じられない言葉でした。
「子どもを産んでくれなんて頼んでないだろ? 本当に余計なことをしてくれた」
あんなに子どもを望んでくれていたのに……妊娠も喜んでくれたのに……。その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが完全に切れてしまいました。
祖父の怒り
ちょうどそのとき、夫の帰国祝いのシャンパンを持った祖父が家を訪ねてきました。ただならぬ雰囲気を感じたのか、私に事情を聞いてきた祖父。事の次第を知って、娘をやさしく抱き上げた祖父は、夫に向かって静かにこう言いました。
「親として、その言葉だけは言ってはいけなかったな」
その後、祖父から聞かされたのは、私の知らなかった夫の勤務態度でした。祖父はこれまで何度も夫の仕事上のミスをかばい、指導を続けていたそうです。しかし海外赴任中も勤務実態に問題があり、不適切な経費申請なども見つかっていました。
今回の出来事で祖父も完全に夫を見限り、厳しく対応することになったのです。
その後、私は夫と離婚。祖父の会社でも信頼を失った元夫は、自ら退職することを選んだそうです。離婚後は養育費の支払い義務もあり、再就職もうまくいかず苦労していると耳にしています。
一方、私は祖父の会社へ復職。祖父から経営のいろはを教わっています。
◇ ◇ ◇
子どもを育てるなかで戸惑いや不安を感じることは誰にでもあると思います。それでも、親として子どもを傷つける言葉や、責任から逃げる行動だけは決して許されるものではありません。
あの日、娘を守る決断をしたことを、私は今でも後悔していません。今は家族に支えられながら、娘の笑顔を何より大切にする毎日を過ごしています。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、父親に会えることを楽しみにしていた娘が、帰国した夫から心ない言葉で突き放されてしまいました。女性は娘を守るため、夫との関係に区切りをつけるのでした。
続く2つ目のエピソードでは、娘が事故で入院しているにもかかわらず、義両親との旅行を優先した夫が登場します。夫は妻と娘を置いて出かけますが、そこで思わぬ事実が明らかになり……。
娘が事故で入院中に旅行へ行く夫「キャンセルする理由にならない」→私「楽しんで♡」意味深な返信のワケ

長期連休前のある夜、帰宅途中の夫から電話がありました。休みが取れそうだという知らせに、私の気持ちが弾んだのを覚えています。
旅行には義両親も同行する予定で、費用の多くを義両親が負担してくれることになっていました。私たちが暮らす家は義両親の持ち家で、私たち家族は無料で住まわせてもらっていました。
生活を支えてもらっていた義両親に感謝の気持ちを伝えるために、旅行中のサプライズも企画していました。娘も旅行をずっと楽しみにしていて、当日の笑顔が目に浮かぶようでした。
旅行の出発を翌日に控えた午後、事態は一変しました。下校途中、娘が通りかかった車と接触したのです。
運転していた方が素早くブレーキをかけてくれたおかげで、大けがは免れました。ただ擦り傷や打撲が多く、頭部への影響を確認するために数日の検査入院となったのです。
連絡を受けた夫は「大きなけがじゃないならよかった」と胸をなでおろしました。
しかし、まだ7歳の娘がどれほど怖い思いをしたかを思うと胸が締め付けられました。もっと注意すべきだったという後悔が波のように押し寄せました。
旅行はキャンセルしない!
検査入院が決まっている以上、旅行はキャンセルすることになるでしょう。そう伝えると、夫の返答は予想を超えるものでした。
ホテルのキャンセル料が惜しい、義両親が楽しみにしている——そう繰り返しながら、夫は私と娘を残して、自分と義両親だけで旅行に行くと言い切ったのです。
娘が事故に遭って入院していることは、夫の中では旅行を中止する理由にならないようでした。私の制止も、キャンセルを求める訴えも、夫には届きません。
「娘が事故に遭ったのに、本当に旅行に行くの?」
思わずそう聞くと、夫は悪びれる様子もなく答えました。
「当たり前だろ? 母さんたちも楽しみにしてたんだから」
あまりにも自分勝手な言葉に、私は「後で後悔しても知らないよ」と返しました。それでも夫の考えは変わりませんでした。
私の了承はいらないという言葉を残して電話が切れたとき、呆然としたまましばらく動けませんでした。
その夜、遅く帰宅した夫は私とろくに口も利かず、翌朝、本当に旅行に出発していったのです。まさか本当に行くとは思っていませんでした……。
最後の旅行
旅行先に着いたと夫からメッセージが届いたのは、10時過ぎのことでした。娘の様子を尋ねる言葉の後に、こんな一文がありました。「大したことなくてよかったよ。これで俺たちも安心して旅行を楽しめる」
入院中の娘がまだショックでおびえている中で、父親が「旅行を楽しめる」と自分本位に喜んでいる——その言葉を何度も読み返しながら、私の中で何かが静かに固まっていきました。怒りというよりも、覚悟に近い感覚でした。
「存分に楽しんできて」そう返信したとき、私の中では決断が下りていました。この人とこれ以上一緒にいることはできないと思いました。
感情的になる前に、やるべきことを冷静に進めなければなりません。そう自分に言い聞かせながら、私は電話を手に取りました。
強い味方
電話をかけた相手は、夫と旅行中の義母でした。
義母は娘が交通事故に遭って入院していることを知りませんでした。夫から義両親には「娘が風邪をひいてしまったので家で休んでいる」と伝えられていたようです。義母と話をする中で、夫のうそが明らかになりました。
事実を知り、電話の向こうから聞こえる義母の声のトーンが変わりました。すぐに帰ると言ってくれましたが、私には少しだけ時間が必要でした。予定通り旅行を楽しんでもらうようにお願いしました。
離婚を決意した以上、娘の生活環境を守るための準備を進めたかった私。転校せず、友人たちと同じ学校に通い続けられる環境を残しておきたいと思っていました。
義母は私の話を静かに聞いてくれました。そして、「家はあなたたちがそのまま使いなさい。息子には帰宅後、私から厳しく言って荷物をまとめさせ、放り出すから」と言ってくれたのです。
私は夫が不在の間に離婚届を用意し、必要な準備を進めていきました。娘の病室に通いながら、隙間の時間でできることを1つ1つ片付けていったのです。
旅行から帰宅
旅行から戻ってきた夫は、まだ義母から何も聞かされていないらしく、私を見て「機嫌が直ってるな、何かいいことでもあった?」とのんきに話しかけてきました。
私は穏やかに「離婚することにしました」と答えました。
夫は最初、冗談だと思ったようです。しかし手渡された離婚届を見て、顔色が変わっていきました。
この家は今後も私と娘が使い、夫だけが出ていくようにと義母が言っていたこと、そして旅行中に離婚の準備を進めていたことを伝えると、夫はようやく事態の重さを察したのでした。
その後の話
その後、離婚の手続きは滞りなく進められました。
住まいについては、義両親に家賃という形で支払いをするつもりでいましたが、「孫の養育費の足しにしなさい」と言って受け取ってくれませんでした。孫の暮らす環境を守りたいという思いが義両親にもあったようで、心強い限りです。
今は娘と2人で、静かに日々を送っています。大変なことはたくさんあります。でも少しずつ前を向きながら、穏やかに過ごせている時間が増えてきました。
◇ ◇ ◇
家族全員で楽しみにしていた旅行だからこそ、誰1人欠けることなく、みんな笑顔で出発したかったはずですよね。それにもかかわらず、うそをついてまで強行した夫の行動は、あまりに自分勝手ではないでしょうか。
本来、家族とは楽しいときだけでなく、苦しいときにこそ手を取り合い、支え合うもの。最も守るべき存在をないがしろにした代償は、あまりに大きかったと言えるでしょう。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、大事な娘より自分優先!?父親の自覚がない夫たちに、母たちが下した決断をご紹介しました。
久しぶりに会えた娘を冷たい言葉で突き放したり、娘が事故で入院しているにもかかわらず旅行を優先したり。どちらの夫も、父親として娘に向き合うべき場面で、自分の気持ちや都合を優先していました。
子どもを守るために必要なのは、肩書きだけの父親ではなく、安心して頼れる大人の存在です。相手の言動で子どもが傷つくと感じたときは、我慢で済ませず、周囲の力も借りながら、子どもが安心して過ごせる環境を守っていきたいですね。