家事も育児も私任せになった夫
私が職場復帰したあとも、夫はほとんど家事や育児をしませんでした。
仕事から帰ってくるなりソファに寝転がり、「メシは? 俺、疲れて帰ってきてるんだけど。まだできてないの?」と平然と言ってきたことも。私だって仕事を終えたばかりなのに……。
娘のお迎えや夕食の準備、洗濯、片づけ、翌日の保育園の支度などは、ほとんど私がやっていました。
「私も働いているんだから、少しはやってほしい」と伝えたことも何度かありましたが、夫は「あとでやる」「今は疲れてる」と言うばかり。結局、待っていても家事は終わらないため、私がやるしかありませんでした。
ワンオペ生活が続き、少しずつ疲弊していった私。そんなある日、私の母から久しぶりに連絡がありました。
私の実家は遠方だったため、両親と娘が会える機会はそれほど多くありませんでした。しかし、その週末は両親がこちらまで来る予定があるとのことで、土曜日に一緒に出かける約束をしました。
娘も祖父母に会えると知って大喜び。ところが、その予定を夫に伝えると、思いがけない言葉が返ってきたのです。
それぞれの両親に対する夫の態度の差
「え、まさかうちに泊めないよな? 泊まるならホテルにしてもらってよ。俺、気を遣うの苦手だから」
私の両親がこちらに来る話をすると、すぐさま夫はあからさまに嫌そうな顔をして、そう言ったのです。私の両親は最初から宿泊する予定などありませんでしたが、その言い方には引っかかるものがありました。
しかも、その直後のこと――。
「あ、そうだ。明日、うちの親が泊まりに来るから」
あまりに当然のように言われ、私は耳を疑いました。今日は木曜日。義両親は金曜から土曜にかけて泊まりに来るというのです。
「ちょっと待って。今初めて聞いたんだけど」と言うと、夫は悪びれる様子もなく、「有休取ったし、たまには親孝行しようと思って」と言ったのです。
義両親がわが家に泊まりに来たのは、それが初めてではありません。
問題は、義両親が来るたびに、食事の準備や布団の用意、後片づけなどをするのが私だったことです。夫にとっての「親孝行」は、自分の両親を家に招き、私にもてなしてもらうことだったのでしょう。
さすがに納得できず、「うちの両親は日帰りだし、家には来ないよ。外で会う予定だから安心して」「でも私は明日も仕事だし、娘は保育園だから、あなたの両親のおもてなしはできない。自分でやってね」とはっきり伝えた私。
さらに、「明後日の土曜日は、娘を連れて両親に会いに行くから」と念を押しました。夫は不満そうな顔をしていましたが、そのときは何も言い返してきませんでした。
ところが土曜日、さらに信じられないことが起きたのです。
義母の暴言と夫の同調
金曜日、予定どおり泊まりに来た義両親。
そして次の日、土曜日の朝、娘と出かける準備をしていると、義母が突然、「孫は置いていってちょうだい」と言い出したのです。
一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。
「今日は私の両親と会う約束をしていますから、一緒に連れていきます」と答えると、義母は不満そうに、「せっかく私たちが来てるのに、あなたの親のところへ連れていくなんて」「嫁なんだから、もっと夫の親を大切にするべきでしょう」と言いました。
腹が立ちましたが、できるだけ冷静に、「私の両親も久しぶりに孫に会うのを楽しみにしています。前から約束していたので、予定を変えるつもりはありません」と伝えた私。
すると義母は、さらに思いもよらないことを口にしました。
「そもそも、普段から息子に家事をやらせてるんでしょう? そんな嫁に孫を任せて大丈夫なのか心配だわ」
私は言葉を失いました。
実際には、家事も育児もほとんど私のワンオペ。おそらく夫が義母に、自分に都合のいい話をしていたのでしょう。
それでも私は、そばにいた夫が事実を説明してくれるのではないかと、ほんの少し期待していました。しかし、その期待もすぐに裏切られることに……。
夫は私をかばうどころか、「母さんの言う通りだよ。せっかく母さんたちが来てるのに出かけるのもどうかと思うし」「昨日の晩メシだってスーパーの総菜だったじゃん。ああいうの、俺はありえないと思う」と言ったのです。
義両親が泊まりに来た金曜日も、私はいつも通り仕事していました。帰宅後には娘の世話もあり、時間がなかったため、夕食の一部にスーパーで買った総菜を利用したのです。
それすら責められた瞬間、私の中で張りつめていた糸が切れました。
「……わかりました。そこまで言われるなら、もう出ていきます」
私がそう告げると、夫も義母も驚いた顔をし、みるみる青ざめました。これまで何を言われても大きく言い返さず、なんとか家庭を維持しようとしてきた私が、本気で家を出るとは思っていなかったのでしょう。
娘を連れて家を出て、離婚を決意
最低限必要なものだけをバッグに詰め、娘を連れて家を出た私。そのまま待ち合わせ場所へ向かい、両親と顔を合わせた瞬間、それまで我慢していたものが一気に涙として溢れ出しました。
事情を話すと、両親は私を責めることも、すぐに結論を出すよう迫ることもありませんでした。
「とりあえず今日は一緒に帰ろう」
そう言ってくれたため、私は娘とともに実家へ戻ることに。
家を離れて冷静になってみると、それまで「私が我慢すればいい」と思っていた生活が、決して当たり前ではなかったことに気づきました。
夫からは何度も連絡がありました。しかし、「悪かった」という謝罪はなく、「急に出ていくなんておかしい」「親も怒っている」と責めるような言葉ばかり。それを見て、私は夫婦としてやり直すことは難しいと感じ、離婚を決意しました。
その後は弁護士にも相談しながら、夫との話し合いを進めました。
離婚に向けては、それまでの夫婦のやり取りや生活状況がわかる記録なども整理。娘の今後の生活環境についても話し合いを重ね、最終的には私が娘と暮らしていくことになりました。
養育費についても取り決めをおこない、夫との離婚が成立しました。
義両親とは、あの日以来会っていません。
後になって元夫から聞いたのですが、義両親は「孫に会えなくなった」と嘆いているとのこと。しかし、少なくとも当時の私には、元夫や義両親と距離を置き、自分と娘の生活を立て直す時間が必要でした。
結婚生活を終わらせる決断には迷いもありましたが、家を出てからは、誰かの機嫌をうかがいながら夕食を作ったり、家事が行き届いていないと責められたりすることもなくなりました。娘の幸せを守るためにも、まず私自身が穏やかに過ごせる環境をつくることが大切だったのだと思います。
あの日、「もう出ていきます」と口にしたことで、ようやく自分の生活を取り戻すための一歩を踏み出せたのだと感じています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。