義母「失敗作の孫ね?」生まれたわが子を品定め!?⇒同居強行の夫も見限り、退院した私が向かった場所とは

私は20代の専業主婦です。新しい命を授かり、夫とともに完成したばかりのマイホームでの暮らしを心待ちにしていました。
引っ越し業者のトラックを待っていた、よく晴れた朝。ピンポーンと鳴ったチャイムに笑顔でドアを開けると、そこには手ぶらの義母が立っていました。そして作業員たちが、義母のものと思われる見慣れない家具を続々と運び込み始めたのです。
「で、私の部屋はどこ?」悪びれずに放たれた義母の言葉に、私の頭は真っ白になりました。
聞いてない!
状況が飲み込めず立ち尽くす私に、後ろから夫が軽い口調で言い放ちました。「あ、言ってなかったけど、今日から母さんも一緒に住むから。母さんひとりになっちゃったし、俺たちが面倒見るの普通でしょ?」
事前の相談は一切なく、どうやら数カ月前、私が妊娠初期のひどいつわりで伏せっているのをいいことに、水面下で勝手に同居の話をまとめていたようなのです。「業者とのやり取りは全部俺がやっておくよ」と夫が妙に張り切っていたことも、やっとつながりました。
「そんな急に言われても困る!」と慌てて抵抗しましたが、夫は「ひとまず1カ月だけ! 落ち着いたら俺がちゃんと説得するから」と言い訳を並べる始末。妊娠後期の大きなおなかと段ボールの山を前に、ここで声を荒らげる気力なんて残っておらず、私はいったん現状を受け入れるしかありませんでした。
静かに進めた準備
しかし「落ち着いたら俺が説得する」という夫の言葉は、早々に裏切られます。同居が始まると、義母は私の予想をはるかに超える態度をとるようになりました。
「妊娠は病気じゃないんだから、家事くらい当然でしょ」
日ごろから「私なんて姑にいびられながら全部やった」と豪語する義母には、若い嫁は鍛えるものというゆがんだ信念があるようです。ソファにふんぞり返り、「お茶、もっと熱くして」と要求し、食事のメニューまで細かく指定するくせに、生活費は一切出しません。
夫に助けを求めても「母さんも悪気はないんだから、うまくやってよ」と面倒くさそうにされるだけ。「1カ月だけ」の約束は当然のように反故にされ、ズルズルと同居が続くうちに私は臨月を迎えました。
夫に何度訴えても「気にしすぎ」と笑って流される状況に、日に日に実家の両親への相談ごとが増えていきました。同居3カ月目に入るころには、意を決して自治体の無料法律相談にも足を運ぶように。言い逃れさせない証拠を残すため、私自身のお守り代わりに、義母とのやり取りをスマホで録音し始めたのもこのころでした。
感動の出産直後……
私は無事に娘を出産しました。産声を聞いた夫は喜びの涙を流し、病室は一時、温かい空気に包まれました。しかしその日の午後、夫が仕事に戻ったあと、廊下から、面会に来た義母の大きな話し声が聞こえてきました。私は嫌な予感がして、シーツの下でそっとスマホの録音アプリを立ち上げました。
ガラッとドアを開けて入ってきた義母は、赤ちゃんを見てデリカシーのかけらもない言葉を放ちました。「なにこれ! なんか小さくない? 大丈夫なの? 私のときはもっと丸々として立派だったのに、出来が悪いわねぇ……失敗作?」
私をねぎらうことも、孫をかわいいと言うこともなく、まるで品定めのような物言い。この人に私たちへの愛情はみじんもない――。そう冷ややかに悟った瞬間、私の中で最後の迷いが消え去りました。
退院の日。私は新居には戻りませんでした。迎えに来てくれた両親と自分の実家へ向かい、新居に帰ると思い込んでいた夫には「娘をあの家に連れて帰ることはできません」とだけメッセージを送信したのです。
証拠を手に……!
慌てた夫が義母を連れて実家へやってきました。両親が同席する中、戸惑う2人の前で、病室での「あの暴言」を再生。それを聞いた義母は、「ちょっとした言葉の綾じゃないの。ホント大げさねぇ」と取り繕おうとします。
その瞬間、ずっと黙って聞いていた私の父が静かに口を開きました。「娘からこれまでのひどい仕打ちはすべて聞いております。そのうえ孫まで侮辱されてはたまりませんな。そんなに『出来が悪い』とおっしゃるなら結構。どうぞ、ご自分の『出来の良い』息子さんとお2人で、立派に生きていってください」義母は顔を真っ赤にして黙り込みました。
ようやく事態を悟った夫は真っ青になり、私に向かって必死にすがりついてきました。「母さんには俺から言って出て行ってもらうから! 頼む、帰ってきてくれ!」私はそんな夫を冷ややかに見つめ、言い放ちました。「今さらでしょ? 勝手に同居を決めて、私が何度助けを求めても気にしすぎだって笑ったのは誰?」
私は、当面は別居し、離婚協議を進めると宣言。夫はここで初めて、自らの無責任さが招いた「家庭崩壊」という現実を突きつけられ、言葉を失っていました。その後、家事ができない夫と上げ膳据え膳を期待した義母は新居ですぐに大げんかになり、同居はあっけなく破綻したそうです。夫は調停の末に非を認め、私への解決金の支払いと養育費の負担を約束しました。
もちろん、その後、離婚は無事に成立しました。義母に「出来が悪い」と言われた娘ですが、今では毎日すくすくと育ち、誰よりもかわいい笑顔を見せてくれています。あんな最高の宝を手放した人たちのことは忘れて、私は両親のサポートを受けながら、明るく平和な毎日を満喫しています。
◇ ◇ ◇
自分の経験や価値観を基準に相手を評価し、傷つける言葉を放つことは、家族の尊厳を踏みにじる行為です。そして、一番の味方であるはずのパートナーがそれを軽く扱えば、2人の信頼関係を自ら崩すことにもなります。家族だからこそ、相手を支配しようとせず、誠実に向き合っていくことが大切なのではないでしょうか。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、生まれたばかりの娘を義母に侮辱された女性が、証拠を手に実家へ戻りました。女性は夫と義母の言動に区切りをつけ、娘との暮らしを守るのでした。
続く2つ目のエピソードでは、義母から学歴や家系を理由に見下されてきた女性が、娘まで傷つけられてしまいます。義母の心ない言葉に限界を迎えた女性は、母として決断を下すことになり……。
「嫁の遺伝子が足を引っ張る」孫を差別した義母→10年後、媚びる義母に娘が放ったトドメの正論

夫は医師です。結婚当初から、義母はその肩書きを折に触れて誇示し、嫁である私を「格に合わない存在」として扱い続けていました。
私が家庭の事情で高校に進学できなかったことは、義母にとって格好のネタです。会うたびに学歴を引き合いに出され、見下すような言い回しを繰り返されました。
娘が生まれてからも、それは変わりません。むしろ娘が成長するにつれて、私への嫌悪は少しずつ娘にまで向けられていくようになっていたのです。義母の言動が娘をどれほど傷つけていたのかを知ることになるのは、この少し後のことでした。
そんなある日、義母から1本の電話がありました。来週末に孫たちを集めるから、娘も参加するよう伝えてほしいという内容でした。
娘がお友だちと約束をしているかもしれないので、予定を確認してみると伝えると、義母は「質が悪い学校で出会った友だちなんて付き合う必要ない」と言い放ちました。義母の言葉のひとつひとつには、トゲがあります。
小学校受験をさせなかったことに対しても「教育を疎かにした」と責められ、学歴のない女は考えが浅はかだとまで言い切られました。
極め付けは「母親の遺伝子が残念だと、子育ても苦労するわね」という言葉。電話を切った後も、耳にこびりついて離れませんでした。
許しがたい義母の言動
義母からの侮辱は、それ以前から何度も繰り返されていました。最初は「性格だから」と受け流すようにしていました。でも、同じような侮辱が繰り返されるうちに、それが単なる口癖ではなく明確な見下しだと感じるようになっていったのです。
娘の進学についても中学こそは受験をさせて優秀さを示すよう何度も求められ、「娘のしたいことを応援したい」と答えるたびに「底辺の考えはさっさと捨てろ」と遮られました。
「どうせ女だから跡取りにはなれない」「男の子なら大事にしてもらえたのに」という言葉も容赦なく投げつけられます。
性別や学歴をめぐって私と娘を値踏みするような発言は何度も繰り返され、そのたびに私は黙って受け止めるしかありませんでした。
孫差別
孫の集まりが開かれた日の夕方、予定よりも早い時間に娘が泣きながら帰ってきました。何かあったのかと尋ねると、娘はぽつりぽつりと話し始めました。
他の孫たちは歓迎されたのに娘だけが輪に入れてもらえず、昼食の時間も、娘だけ質素な食事が出されたそう。しかもそれは初めてではないと言います。
娘は、義母の家に行くたびに除け者にされていたのだと、涙ながらに打ち明けてくれました。私にショックを与えまいとして、ずっとひとりで抱えていたのでしょう。
まだ8歳の子どもが、義母の家でずっと傷ついてきたのだという事実に、胸が締め付けられる思いでした。
翌日、私は義母に電話しました。娘だけを仲間外れにしていた件を問い詰めると、「泣いていたなんて知らなかった」「いつも態度が悪いからそれなりの対応をしただけ」と言い張ります。
義母は「証拠でもあるの?」と開き直り、あろうことか娘の訴えを「注目を浴びたいだけの嘘よ」「愛情不足の子がやりがちな狂言ね」と一蹴したのです。
それを聞いて、もう我慢する必要はないと確信した私。「あなたがしたことは最低ですよ」という言葉が、自然と口をついて出ました。
義母との絶縁
義母は「一応息子の血が入っているから呼んであげた」「声を掛けてあげただけでも感謝すべき」と続けました。そして娘が私に似てきたからかわいくないとまで言い放ちます。
私は一つひとつに静かに答えながら、今後一切関わらないことを伝えました。義母は、せいせいしたと言わんばかりの口調でしたが、私に動揺はありませんでした。これ以上傷つけられることはないという静かな確信があったのです。
その夜、帰宅した夫にすべてを打ち明けました。夫は苦渋に満ちた表情で黙って聞いていましたが、「娘にそんな仕打ちをしていたなら、もう家族として付き合う必要はない」と断言。
それ以来、わが家と義実家の交流は完全に途絶えました。
10年後、義母が……
それから10年が経ったころ、久しぶりに義母から連絡がありました。娘が有名大学の医学部に合格したと聞いて、お祝いをしたいと言うのです。
「さすが私の孫」「うちの家系の遺伝子のおかげ」という言葉に、あのころの光景が重なります。
私が返信に迷ってスマートフォンの画面を見つめていると、横から覗き込んだ娘が端末を手に取りました。そして、迷いのない手つきで自らメッセージを打ち込んだのです。
「お祝いは不要です。それよりもまず、長年母へ浴びせてきた暴言について謝罪してください」
義母からは戸惑ったような返信がありましたが、娘は淡々と続けました。これまで母に浴びせてきた暴言を、私たちが忘れていないこと、娘が子どものころの仕打ちをすべて覚えていることを伝え、安易な口先だけの謝罪は受け入れないと突き放しました。当時、私が夫と話していたことを娘はすべて覚えていたのです。
義母は馴れ馴れしい言葉で取り繕おうとしましたが、娘が折れることはありません。医師の家系とのつながりが力になると言われても「父がいれば十分です」と静かに返し、祝福も人脈も一切受け取りませんでした。
さらに2年後、義母から「謝りに行きたい」としつこく連絡がくるようになりました。あてにしていた他の孫たちが医学部進学を断念したそうで、唯一、医師の道へ進んだ私の娘を「将来の跡取り」として頼ろうとしているようでした。
私は「今さら何を言われても、会うつもりはありません。自分のしたことの重さを噛み締めながら、余生を過ごしてください」と伝え、電話を切りました。
自慢の娘
その後、義母の連絡先をブロックし、夫もそれ以来、一切の接触を断っています。義実家では跡取り問題が続いているようですが、私たちには関係のないことです。
現在、娘は医学部で充実した日々を過ごしています。「お父さんのような、患者さんの心に寄り添える医師になりたい」と、目標に向かってまっすぐに突き進む姿は、私の自慢です。
それ以上に嬉しいのは、娘の周りにいつも友人たちがいて、困っている人に静かに手を差し伸べてきた子だということです。義母の家でつらい思いをしながらも、娘は強く、そしてやさしい人に成長しました。
◇ ◇ ◇
「学歴」や「家系」といった外側のステータスだけで人の価値を決めつけ、ましてや罪のない子どもを差別することは、本来あってはならないことです。誰しもが、自分だけの可能性や優しさを持っており、それは周囲の大人が決めつけるものではありません。
その人らしさを尊重し合える関係を大切にしていきたいですね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、娘を“失敗作”のように扱った義母に、母たちが下した決断をご紹介しました。
生まれたばかりの娘を義母に侮辱されたり、学歴や家系を理由に自分だけでなく娘まで見下されたり。どちらの女性も、大切なわが子をまるで出来や血筋で判断するような言葉を向けられ、深く傷ついてしまいました。
子どもの価値は、性別や家系、学歴で決まるものではありません。身近な家族から心ない言葉を向けられたときは、無理に受け入れ続けず、子どもが安心して自分らしく育つ環境を守るために、必要な距離を取ることも大切ですね。