義母の介護を私に任せきりにした夫
義母との介護生活は、想像していた以上に大変なものでした。
当初は仕事を続けながら身の回りの世話をしていましたが、家事と介護に追われ、疲労は溜まっていく一方。それでも義母から感謝されることはほとんどなく、きつい言葉を投げかけられることもありました。
「一緒に介護する」と言っていた夫にも助けを求めましたが、返ってきたのは、「もうちょっと広い心で、やさしく見守ってやれよ」という言葉だけ。
夫は仕事が忙しいことを理由に家を空けることが多く、家事も介護もほとんど私任せ。私が疲れていると訴えても、「俺だって仕事で疲れてる」と言われ、まともに取り合ってもらえませんでした。
やがて義母の体調は悪化し、1人で歩くことも困難に。
常に目を離せない状態が続き、仕事との両立が難しくなった私は、悩んだ末に退職。介護サービスも利用しながら、義母の世話を中心とした生活を送るようになりました。
その一方で、夫が家にいる時間は相変わらずわずかでした。
「いつか夫との子どもを授かって、家族で穏やかに暮らしたい」――そんな未来を思い描いていた私は、「今を乗り越えればきっと」と自分に言い聞かせながら過ごしていたのです。
義母を看取った直後、夫から衝撃の告白
同居を始めてから3年ほど経ったころ、義母が亡くなりました。
悲しみはもちろんありましたが、長く続いた介護生活が終わってほっとしたのも事実。これから少しずつ自分の生活を取り戻していこうと、私は考えていました。
ところが、義母を見送って間もなく、夫から信じられないことを告げられたのです。
「母さんもいなくなったことだし、これからはお互い自由にやっていこう」
「恋人が妊娠したから、離婚してくれ」
一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。
私が義母の介護に追われていた間、夫は別の女性と関係を持っていたのです。
しかも夫は悪びれるどころか、「彼女はまだ23歳だし、かわいいんだよ。お前とは全然違う」「母さんには悪いけど、このタイミングで介護が終わってよかったよ」などと言い始めました。
義母のために仕事まで辞めた私に、よくそんなことが言えたものだと思いました。
怒りと悔しさで体が震えましたが、その場で離婚に応じることだけはしたくありませんでした。夫に言われるがまま家を出て、何もかも失った状態から人生をやり直すのは嫌だったのです。
それに、介護を終えたばかりの私には、仕事も生活基盤もありませんでした。
まずは自分の足で立てる状態に戻ろう――そう決めた私は、夫の要求にすぐには応じないことにしました。
離婚を拒んだ私が夫に尽くした理由
数日後、夫は離婚届を私に差し出しました。
私はそれを受け取らず、「離婚なんて嫌よ。だって、まだあなたを愛してるもの」と答えました。
もちろん、本心ではありません。夫を取り戻したかったわけでもありません。
これ以上、夫の都合だけで私の人生を振り回されたくなかったのです。
私は離婚を急がず、その間に仕事を探し、自分名義の貯蓄や今後の住まいについても少しずつ考え始めました。
同時に、家ではあえて夫に穏やかに接しました。
夫の好物を作ったり、家の中を整え、それまでと変わらない生活を続けられるようにしました。
すると夫は、次第に家で過ごす時間を増やすようになっていったのです。
一方、妊娠していた不倫相手は出産が近づくにつれて、当然ながら夫に今後について具体的な話を求めるようになったそう。
「いつ離婚するの?」
「赤ちゃんが生まれたら、どこで暮らすの?」
「父親としてちゃんとしてくれるよね?」
夫はそんな話をされるたびに、面倒そうな顔をして帰宅しました。そしてある日、私にこんな愚痴をこぼしたのです。
「最近あいつ、俺に当たってばっかりなんだよ。会っても離婚とか子どもの話ばっかりでさ。全然楽しくない」
その言葉を聞いた瞬間、私は妙に納得してしまいました。
ようやく見えた夫の本質
義母の介護で心身ともに疲れ切っていたころ、私は何度も夫に助けを求めました。しかし夫は私を支えるどころか、「もっと母さんにやさしくしてやれ」と言って、仕事を理由に逃げ続けていました。
そして今度は、出産を控えて不安を抱えている女性から、父親として当然の責任を求められると「面倒だ」と逃げようとしている夫。
相手が元気で、自分にとって都合のいいときだけ一緒にいる。しかし、相手が苦しくなり、自分の助けを必要とした途端に背を向ける。
「この人は、相手がつらいときに支えるのではなく、逃げる人なんだ」――私には、ようやく夫の本質がはっきり見えた気がしました。
それに気づいてからは、夫との関係に迷いはなくなりました。すでに仕事も決まり、少しずつ生活を立て直せる見通しもついていたことも、一因です。
あとは、私自身が納得できるタイミングで、この結婚を終わらせるだけでした。
戻ってきた夫に私が渡したもの
その後も夫は、不倫相手との将来について具体的な話を進めようとしませんでした。
当然、不倫相手も黙ってはいなかったようです。夫がいつまで経っても離婚を進めず、父親として今後どうするのかも曖昧にしていたため、とうとう愛想を尽かされたようでした。
夫は私に、「もうあいつとは無理かもしれない」「やっぱりお前といると落ち着く」と話すように。
そしてある日、何事もなかったかのように、「やっぱりお前が一番だった。離婚しなくてもいいかもな」と言ったのです。
思わず笑いそうになりました。
自分から離婚を求め、不倫相手との子どもまでできたのに、その相手から責任を求められると逃げ、今度は居心地のいい私のところへ戻ろうとする。
最後まで、夫が考えていたのは自分のことだけでした。
「そう? 私は離婚したいけど」と告げて、今度は私から離婚を切り出しました。
目を見開き、「え? だって離婚したくないって言ってただろ?」とあわて始めた夫。
私は夫に、離婚を拒んでいた間に自分の生活を立て直していたこと、そして義母の介護から今回の不倫までを通して、もう夫とは共に人生を歩めないと判断したことを伝えました。さらに、すでに保存していた不倫の証拠をもとに、慰謝料についても話し合うつもりだと告げました。
夫は「やり直そう」「今度こそ大事にする」と繰り返しましたが、私の気持ちは変わりませんでした。
妻にも不倫相手にも見限られた夫のその後
その後、私たちは離婚しました。
不倫の証拠を確保していたこともあり、話し合いの末、夫から私へ慰謝料が支払われることに。
また、不倫相手との間に生まれた子どもについては、夫には父親としての責任があります。夫と不倫相手がその後どのような関係になったのか詳しくは知りませんが、夫は子どもの養育について向き合わざるを得なくなったようでした。
離婚後、共通の知人から聞いた話では、夫は以前のような暮らしを続ける余裕がなくなり、生活をかなり見直したそうです。
しかし、それは私にはもう関係のないこと。
私は、義母を介護した経験を生かし、介護に関わる仕事に就きました。
もちろん、あの3年間を「いい経験だった」と簡単に片づけることはできません。それでも、自分の生活を自分で選べるようになったことが、何よりもうれしかったです。
夫から離婚を求められたとき、勢いに任せてすぐ離婚していたら、仕事も生活基盤もない私はもっと苦しい状況に置かれていたかもしれません。
すぐに答えを出さず、自分の生活を整える時間を作ったことで、最後は夫に捨てられるのではなく、私自身の意思で結婚生活を終わらせることができました。あのときのとっさの判断は、間違っていなかったと思っています。
◇ ◇ ◇
家族の介護は、1人で抱えるには大きな負担です。まして、その大変な時期にパートナーへすべてを任せ、自分だけ別の場所に逃げていい理由にはなりません。
大切なのは、相手が苦しいときにこそ支え合えるかどうかではないでしょうか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。