台風の夜の出会い
その日は台風に備え、雨風が強まる前にアパートへ向かい、敷地に置いてある掃除用具や工具を室内に片付けていました。
ところが、帰るころには雨が強くなっていました。車を走らせていると、道端にずぶ濡れで身を寄せ合う女性と、小さな女の子の姿が目に飛び込んできたのです。
車を停めて声をかけると、親戚の家に向かう途中、目的の駅の一つ手前で電車が運転を見合わせてしまったとのこと。タクシーもつかまらず、そのときはまだ雨風が弱かったため、やむなく歩いて親戚宅を目指したそうです。
しかし、途中で雨が激しくなり、慣れない道で迷ってしまったうえ、スマホの充電も切れてしまったと言います。
「寒いよ……」
泣きじゃくる女の子を見て、僕は「よかったら、車で親戚のお宅まで送りますよ」と声をかけ、ふたりを乗せました。
車内で女性のスマホを充電し、親戚の方に連絡を取ってもらいました。ところが、親戚宅へ向かう道路は、土砂崩れで通行止めになっていたのです。
僕からの小さなお願い
困っている親子を見て、僕は近くにあるアパートのことを思い出しました。調べてみると、幸いアパートの周辺には差し迫った危険はなさそうでした。
「すぐ近くに、僕が管理しているアパートがあります。今は誰も住んでいないのですが、よかったら今夜はそこに泊まっていってください」
しかし、女性は「助けていただいたうえに、そこまでしていただくのは申し訳ないです……」と遠慮する様子でした。
少しでも気兼ねせずに休んでもらえたらと思い、僕はこう続けました。
「では、その代わりにひとつお願いがあるのですが……。泊まってみて、気になったことを教えてもらえませんか?」
日々手入れはしているものの、実際に部屋を使った人の感想を聞ける機会はなかなかありません。
「少し改装したいとも思っているんですが、どこをどう変えたらいいか迷っていて。『こんな部屋だったら住みたいな』というアイデアもあれば、ぜひ。落ち着いてから、何か思いついたらで大丈夫です」
女性は少しほっとしたように微笑み、「それなら、ぜひ協力させてください」とうなずいてくれました。
アパートに到着し、2階の一室へ案内しました。置いてあった予備のタオルや毛布を手渡すと、女性は安堵の表情を浮かべました。
「本当にありがとうございます……!」
「この部屋は電気も水道も使えますので、気兼ねなく休んでくださいね」
女性は部屋を見回し、「こんなにきれいにお手入れされているのに、誰も住んでいないなんて……」と驚いていました。

親子が残してくれた数枚のメモ
翌朝、台風が過ぎて天候が回復すると、親子は「本当に助かりました」と笑顔でお礼を言ってくれました。
帰り際、女性が差し出したのは、数枚のメモでした。
「参考になるか分かりませんが……。お部屋の感想と、こんなふうにしたら素敵だなと思ったことを、娘と一緒に書いてみました」
「わざわざありがとうございます」
目を通すと、きれいに手入れされていて気持ちよく過ごせたという感想に加え、部屋づくりのアイデアがイラストやコメントでまとめられていました。
古さを生かしたレトロな内装や、壁紙の選び方、子どもが喜びそうなデザインなど、僕には思いつかなかった工夫ばかり。古いから仕方がないと諦めていた部分も、見せ方次第で魅力になるのだと気づかされました。
僕はそのメモをもとに、知り合いの工務店に相談。アパートを少しずつ改修していくことにしました。
後日、そのことを報告すると、親子はとても喜んでくれました。そして、改修を終えた部屋にも遊びに来てくれたのです。
SNSの投稿から、思いがけない展開に!
部屋を見た女性から、「写真を撮って、SNSで紹介してもいいですか?」と聞かれました。僕は喜んで了承し、入居者募集のページも紹介してもらうことにしました。
その数日後、アパートについての問い合わせが相次ぐようになったのです。
驚いてきっかけを尋ねると、あのお母さんのSNS投稿を見たという方が次々に。投稿には、生まれ変わった部屋の写真とともに、「大家さんが親切で、温かみのある、レトロでおしゃれなアパート」と書かれていました。
「古い建物だけど、すごくおしゃれ!」
「こんな親切な管理人さんがいるアパートに住みたい!」
投稿は拡散され、内見の希望も次々に入るようになりました。その後、入居が決まっていき、入居者ゼロだったアパートは、ついに満室になったのです。
あの夜、雨に濡れていた親子との出会いが、こんな形でつながるとは思いもしませんでした。
親子がくれたアイデアと、アパートの魅力を伝えてくれた投稿。その後押しのおかげで、大切に手入れしてきた建物に再び人が暮らすようになったことが、何より嬉しかったです。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者が特定されないよう、固有名詞などに変更を加えながら構成しています。