穏やかな日常から一転、予想だにしなかった休日の悪夢
最近、妻は高齢になった義父から実家である地域密着型の中規模クリニックを引き継ぎ、若くして「院長」という重責を担うことになりました。仕事の責任が重くなる中でも、休日は必ず娘と公園で泥だらけになって遊んでくれる、私にとって自慢のパートナーです。
休日の朝は、家族三人で食卓を囲み、たわいない会話をしてからそれぞれの時間を過ごすのが我が家の定番の過ごし方。この日も、朝から気持ちの良い青空が広がっており、平凡ながらもかけがえのない平和な休日になるはずでした。
ただ、一つだけ普段と違っていたのは、妻が地域の休日診療の当番にあたっており、朝早くからクリニックへ出勤していたことです。「お昼すぎには落ち着くと思うから、夕方は一緒に買い物に行きましょうね」と笑顔で出かけていった妻の背中を見送りながら、私は娘と二人きりでお留守番をすることになりました。
午前中はご機嫌に遊んでいた娘ですが、昼食の時間が近づくにつれて、少し様子がおかしくなっていきます。普段なら喜んで食べるはずの好物のうどんに全く手をつけることなく、だるそうにソファにごろんと横たわってしまったのです。おでこに手を当ててみると、はっとするほど異常な熱さを感じます。慌てて体温計を脇に挟むと、液晶画面には39度を超える数字が表示されていました。
愛娘の急変と、信じられない場所での最悪な再会
次第に娘の呼吸は荒くなり、顔は真っ赤に染まっていきます。苦しそうにうなされる小さな体を抱きしめながら、私の心臓は早鐘のように打ち鳴らされていました。すぐにどこかの病院へ連れて行かなければなりませんが、今は休日。冷静に考えを巡らせた結果、一番確実で安心なのは、まさに今、妻が休日診療を行っているクリニックへ向かうことだと判断しました。
急いで車の後部座席に娘を寝かせ、安全運転を心がけながらも急いで車を走らせます。後部座席から聞こえる「んんっ……」という苦しげな小さな声に、胸が締め付けられるような思いでした。
数十分後、見慣れた妻のクリニックの駐車場に車を滑り込ませ、私はぐったりとする娘を両腕にしっかりと抱きかかえて自動ドアを潜り抜けました。待合室には数人の患者さんが静かに順番を待っています。
一刻も早く事情を説明して診察をお願いしようと、焦る気持ちを抑えながら受付カウンターへと向かいました。しかし、そこから顔を上げたスタッフの女性と目が合った瞬間、私の全身からサッと血の気が引いていくのを感じたのです。
そこに座っていたのは、学生時代に付き合っており、度重なる浮気と暴言の末に泥沼のような別れ方をした「元カノ」でした。
彼女がなぜ、妻のクリニックで働いているのか。頭が真っ白になる中、派遣会社から最近新しい事務スタッフが入ったと妻が言っていたのをふと思い出します。まさかそれが、自分の過去の因縁の相手だとは夢にも思いませんでした。
私に気づいた元カノは、一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐにニヤリと口角を上げて見下すような視線を送ってきました。
「え? なんであなたがここにいるの? もしかして私への未練タラタラで、わざわざ勤務先を調べて会いに来たとか? 相変わらず気持ち悪いわねw」
娘が苦しみ、私の腕の中でぐったりとしているこの状況を見てもなお、彼女はヘラヘラと笑いながら信じられない言葉を投げかけてきたのです。
命より私怨を優先する元カノ、深まる絶望と焦燥
私の腕の中で、娘の息遣いはさらに浅く、熱を帯びていました。こんなところで相手のつまらない挑発に乗っている暇はありません。私は怒りを必死に腹の底に押し込み、ただただ、熱が高いこと、一刻も早く医師に診てもらいたいということを、必死の形相で訴えかけました。
しかし、元カノは小馬鹿にしたような態度を一切崩そうとしません。
「あー、ごめんなさいね。今日はもう予約の患者さんでいっぱいで、本日の診察受付は終了しちゃったのよw」
待合室を見渡しても、待っているのは数人だけです。休日診療で完全に受付を締め切る時間でもありません。明らかに、私に対する個人的な嫌がらせで受診を拒否しているのは明白でした。
「こんな底辺の男の子どもなんて、どうせ後回しにされて当然でしょ? どこか遠くの救急病院でも探して行けば? まぁ、私に土下座して頼むっていうなら、先生に話くらい通してあげてもいいけどw」
受付の奥で、爪をいじりながらクスクスと笑う彼女の姿に、激しい怒りと絶望が入り混じった感情が渦巻きます。もし私一人の問題なら、どんな罵倒をされても無視して別の病院を探したでしょう。しかし、今の私には一分一秒を争うかもしれない大切な娘の命が預けられているのです。
診察中かもしれない妻に電話して助けを求めるべきか、それとも一刻も早く診てもらうために別の病院へ向かうべきか。どうすればいいのか、焦るばかりでした。
そのとき、娘の「パパ……くるしい……」というかすれた声が耳に届き、私は思わずカウンターに身を乗り出して、もう一度診察をお願いしました。
響き渡る足音。愛する家族を守るための「最強の宣告」
私が言葉にならない必死の訴えを続けていたその時です。騒ぎに気づいたのか、奥の診察室から足音が近づいてくるのが聞こえました。
「受付で何をやっているの? 先ほどから話し声が響いているけれど……」
自動扉の向こうから姿を現したのは、真っ白な白衣を身にまとった妻でした。院長としての威厳と、患者を心配する医師としての真剣な表情を浮かべた彼女の姿が見えた瞬間、張り詰めていた心の糸が少しだけ緩むのを感じます。
妻はすぐに私の腕の中でぐったりしている娘と、私の必死な様子を見て血相を変え、足早に駆け寄ってきました。
一方で、元カノの態度は一変します。慌てて背筋を伸ばし、猫撫で声を作りながら妻に取り入ろうとし始めたのです。
「あ、院長先生! すみません、この男性、昔の知り合いなんですけど、以前から私に未練があるみたいで……。今日も私を追いかけてきたんだと思います。子どもを診てほしいなんて言っていますけど、本当に具合が悪いのかも怪しいものです。今すぐお帰りいただきますから!」
元カノは、妻がこのクリニックの院長であることは知っていても、まさか目の前の「底辺の男」がその院長の夫だとは夢にも思っていないようでした。
妻はピタリと足を止め、元カノの顔を冷ややかに見据えました。その瞳には、普段の優しい妻からは想像もつかないほどの激しい怒りの炎が宿っています。
「……あなたが何を言っているのか、全く理解できないわ。急患の受け入れを個人的な理由で拒否するなんて、医療スタッフとして絶対に許されない行為よ」
静かですが、氷のように冷たく鋭い声が受付に響き渡ります。元カノは想定外の叱責に戸惑い、口をパクパクとさせていました。そして、妻は私と娘を庇うように一歩前に出ると、はっきりとした声で宣告したのです。
「それに、この人はストーカーなんかじゃない。私の大切な夫であり、その子は私の愛する娘よ」
その瞬間、元カノの顔からスッと血の気が引き、土気色に変わっていくのが手にとるようにわかりました。「え……? 夫? 娘……?」と呟いたきり、目を見開き、ガタガタと震え始めた彼女の姿は、ひどく滑稽に映りました。
守られた小さな命と、愚かな人間の末路
「すぐに診察室へ運んで! 処置の準備を!」
妻の的確で力強い指示のもと、娘はすぐに診察室へと運び込まれました。素早い対応と処置のおかげで、大事には至らず、数時間後には娘の呼吸も落ち着き、熱も徐々に下がり始めました。スヤスヤと眠る娘の顔を見て、私はようやく膝の力が抜け、深く息を吐き出すことができたのです。
その後、元カノがどうなったかというと……。
妻はクリニックの責任者として、急患の正当な理由のない受け入れ拒否という重大な就業規則違反を重く受け止め、派遣会社へ即座に事実を報告しました。当然のことながら厳正な処分の対象となり、彼女は周囲からの冷ややかな視線に耐えきれず、逃げるようにその日のうちにクリニックを去っていったそうです。
人を貶め、私怨で命を弄ぼうとした彼女には、相応のペナルティが下されたのだと思います。
今、我が家には再び穏やかな日常が戻ってきています。すっかり元気になった娘は、今日も妻と一緒に公園へ駆け出していきました。過去の因縁を自らの手で断ち切り、家族を守り抜いてくれた妻の頼もしさを前に、私は一生この人には頭が上がらないと苦笑いしながら、二人の背中を見守っています。
◇ ◇ ◇
高熱でぐったりとする愛娘を抱え、必死の思いで駆け込んだ病院。そこで元カノから嫌がらせを受け、診察を拒否された主人公の焦りは、計り知れないものだったでしょう。子どもの体調よりも個人的な感情を優先し、笑いながら見下す元カノの態度は、決して許されるものではありません。
医療の現場では、何よりも患者の命や健康を守ることが大切です。どのような事情があっても、個人的な感情によって必要な医療につながる機会が妨げられることがあってはなりません。
また、子どもの呼吸がひどく苦しそうだったり、意識がもうろうとして反応が鈍かったりする場合は、命に関わる可能性もあるため、ためらわずに119番へ連絡しましょう。一方、休日や夜間に子どもの急な体調不良で受診すべきか迷った場合は、小児救急電話相談「#8000」で医師や看護師に相談することもできます。子どもの命を守るためにも、症状に応じて適切に行動したいですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。