念願の妊娠、出産! だけど…
結婚後、なかなか子宝に恵まれず、不妊治療に通い始め、タイミング法をおこなっていましたが、2度のつらい化学流産を経験しました。「神様があきらなさい」と言っている、と本気で思っていました。
半分あきらめながらも治療を続け、超音波検査で赤ちゃんの入った袋が見えたときの感動は、今でも忘れられません。2回化学流産したこともあり、妊娠中はちゃんと育ってくれるか不安でしたが、特に問題なく順調に経過し、あっという間に出産を迎えました。
初めてのことでもうろうとしながらも、無事に出産。夫も立ち会ってくれ、私たちにとって忘れられないものとなりました。病室に戻り2人で喜んでいたのですが、息子の呼吸が安定しないため、保育器で様子を見ることに。私も夫も不安でしたが、それ以上に生まれてきてくれてやっと会えた喜びのほうが大きく、次の日からの母子同室を楽しみにしていました。
ところが、次の日の朝、医師から「午前中いっぱい様子を見て、大学病院に転院するか決めます」と言われ、祈るような気持ちで午前中を過ごしました。息子に何が起こっているのか? どういう状況なのかわからず不安でいっぱいでした。お昼前、小児科の先生から告げられた言葉は、私たち夫婦にとって衝撃的なものでした。
大学病院で検査?
「呼吸が安定しません。専門の所で見たほうが安心なので、今から転院しましょう。 それと、染色体異常の可能性があります。検査をしたほうがいいでしょう」。 言葉が出ませんでした。昨日まで、生まれてきてくれたこと、不安だけど楽しみな育児、「早く抱っこしたい」と夫と2人で話していたことが、なんだか夢のようでした。
それから、1時間もしないうちに救急車が来て息子は大学病院へ。夫も手続きのため、追いかけるようにして大学病院に行ってしまい、産婦人科の病室で部屋にひとり。あまりの展開に状況が飲み込めず、泣くことしかできませんでした。
しばらくして戻ってきた夫とは、何を話していいかもわからず、2人ともお互いに心配かけまいと「大丈夫、きっと大丈夫」と声を掛け合うことしかできませんでした。
それから退院まで、できる限り搾乳して昼から夕方まで息子のいる大学病院に会いに行き、産婦人科に戻って休むを繰り返していました。 おっぱいは張って痛いのに息子はそばにおらず、他の人の赤ちゃんの声で眠れない……。入院中、先生やスタッフのみなさんにとても良くしていただいたのですが、ひとりで産婦人科に入院していることがとてもつらかったです。
検査結果は…
息子よりひと足先に私が産婦人科を退院し、3日後に大学病院を息子が退院することに。 息子の退院の時点では検査結果は出ておらず、後日結果を聞きに行くことになりました。
初めての育児、丸1日を息子と初めて過ごすことに不安もありましたが、何より息子を抱きしめることができて、うれしかったです。 慣れない育児に悪戦苦闘しながら、毎日はあっという間に過ぎていき、息子が生まれて1カ月後、大学病院に検査結果を聞きに行く日が来ました。
夫婦2人とも眠れぬ夜を過ごしたかと思います。 結果は「21トリソミー(ダウン症候群)」でした。 先生がいろいろ説明してくれたことがほとんど耳に入らず、帰りの車の中では、ただぼんやり外を眺めていました。 本当に自分の息子がそうなのだろうか? 何かの間違いでは? そんなことを延々と考えていたような気がします。
息子はもう生後3カ月を迎えました。 正直、今でも結果を完全に受け入れることができているかは自分にはわかりません。ですが、800〜1,000人に1人の確率でしか生まれない「ダウン症候群」。そんな息子に選ばれた私は、息子が教えてくれること、息子からしか学べないことがきっとあり、私しかできないことがきっとあると思い、毎日の子育てに奮闘しています。 涙が出ることもあるけれど、「私が今悩んでも不安が息子に伝わるだけ。息子が思い悩んだときに一緒に悩んで考えよう」と思い、前向きに育児に取り組んでいます。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
監修/助産師 松田玲子
イラストレーター/みいの
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著者:塩田 沙織
現在、3カ月の息子の育児に奮闘中。育休前は、介護福祉士として病院勤務。