横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気(※)。おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。
(※)心臓や肺を圧迫するために心臓や肺の発育が悪くなります。これにより心臓の機能の低下や肺低形成・肺高血圧症をきたすため、出生後に手術を受けたあとも酸素療法や心不全に対する治療が長期に必要になることがあります。
3人目の子を妊娠していたとき、私はおなかの子に「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患があることを告げられました。ショックだったものの、その場ではそれほどうろたえることがなく、冷静に対応して看護師さんに驚かれたのを覚えています。今回はそんな私の当時の心境や、落ち込まずにいられた理由をご紹介します。
上の子の世話で精一杯
息子の横隔膜ヘルニアが指摘された妊娠28週目の健診のとき、私は当時未就園児だった上の子2人をつれて病院にきていました。病気を確認するための念入りなエコーや、転院の手続きなどで待ち時間が長かったため、上の子たちはかなり機嫌が悪く、私は正直その対応でいっぱいいっぱい……。
あまりおなかの子のことを考えると、帰りの運転もおぼつかない気がしたので、なるべく考えないようにして帰路につきました。
うれしかった夫の言葉
家について、私は仕事中の夫に今日の健診についてLINEを送りました。すぐに夫から電話がかかってきて、詳しく説明していきました。病名は横隔膜ヘルニア、県立こども病院へ転院になること、そして、医師の態度から察するに軽い病気ではないことを伝えました。
夫は一つひとつ冷静に受け止めてくれて、「とりあえず健診の日は全部有給休暇をとる」という現実的な対応策だけを言ってきました。励ますでも慰めるでもないこの態度は、複雑な心境だった私にとって本当にありがたかったです。
自分の病弱だった経験が強みに
横隔膜ヘルニアである息子を設備の整っている県立こども病院で出産することになったのですが、実は私も子ども時代、難病指定の病気になって他県のこども病院に入院していました。
それ以外にも喘息やアレルギーなど常に何かしらの体調不良と共に大人になった私にとって、病気は絶望するものではなく、向き合って一緒に暮らしていくものという認識があります。病弱な自分だからこそ、すぐにおなかの子の病気と向き合う覚悟ができました。
検索魔になった私だったけど
それ以降、時間ができたらおなかの子の病気について調べるようになりました。しかし、病気に関する情報は少なく、次第に私が調べるのは一時保育やファミサポといった方面に。これがかえってよかったのだと思います。
一時保育やファミサポの手続きなどでおなかの子の病気について話すと、頭の中がどんどん整理されていきました。ひとりで抱え込まず、いろいろな人に話を聞いてもらえたことで、落ち着いた状態で残りの妊娠期間を過ごすことができました。
妊娠中期におなかの子の病気がわかり、うつうつとした妊娠期間になるかと思いきや、上の子の世話など良い意味で忙しく、病気のことを考え過ぎずに済みました。出産後は凄まじいストレスだったので、妊娠中を穏やかに過ごして心身ともに力を温存しておけたのはつくづくよかったと思います。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
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監修/助産師REIKO
著者:岩崎はるか
2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。