「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。
おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。
横隔膜ヘルニアであることがわかったおなかの子は、肺の発達が不十分で、生まれてすぐに人工呼吸器が必要でした。このため、私も子も眠らせた状態で帝王切開をおこなうことになりました。3人目の子にして初めての帝王切開で、全身麻酔の負担も大きかったうえ、息子の容態急変で休もうに休めません。今回は私が人生で一番つらかった、産後1週間のお話です。
痛みと共に息子のもとへ
帝王切開のあと目を覚ますと、これまでの出産にはなかった激しい痛みと猛烈な寒気が襲ってきました。術後、体温は34℃台まで下がっていたそうで、電気毛布にくるまれていました。
少し目を覚ましては眠るというもうろうとした数時間を過ごし、やっとのことで起き上がれるようになった翌朝、看護師さんがばたばたとやってきました。「息子さんの容態が急変しました。たぶん、このまま手術になります。今からNICUに行きましょう」。
生かされている息子
私が戸惑っていると、看護師さんが数人現れ、あっという間に点滴とベッドごとNICUに連れて行かれました。息子はNICU内の手術室におり、たくさんの管につながれて人工呼吸器の音に合わせて体が膨らんだりすぼんだりを繰り返しています。
生きているというよりは生かされているといった感じで、何かしなければ死んでしまうというのが素人目にもわかりました。泣いてしまうとおしまいな気がして、夫の手をぎゅっと握って我慢し、震える声で「頑張れ」と繰り返していました。
つらかった息子のお見舞い
息子にはその後、横隔膜の穴を閉じる手術と人工肺の装着手術が同時におこなわれました。手術は無事成功しましたが、首に太い管をつけられ、ぴくりとも動かない息子は、やはり「生かされている」という感じのままです。
入院中、1日2〜3回はNICUにお見舞いに行っていましたが、何も変化はなく、お見舞いのたび痛々しい息子を見るのがつらかったほどです。それでも「何かしてやらなくちゃ」という義務感だけで、痛む体を引きずりながらNICUと授乳室を行ったり来たりしていました。
人工肺離脱後、初めて感じた息子の生
それから2日ほど経ち、また息子の容態が悪くなってきました。人工肺のフィルターが許容量を超えてしまい、「人工肺離脱、状態が悪ければ付け替え」という手術をおこなうことになり、息子はギリギリのところで人工肺を離脱したのです。
5時間にも及ぶ手術後、人工呼吸器を挿入された息子は少し苦しそうではありましたが、今度は自分の力で必死に胸を動かしているように見えました。
「生きてる!」
これまで我慢していた涙が一気に溢れました。
産後の入院中は自分の体も痛むなかで息子の手術が2度もおこなわれ、非常につらかったです。ただ、息子の命に関わる処置はすべてこの入院中におこなわれたため、私の退院後は比較的穏やかに過ごすことができました。息子は母親がいつでも駆け付けられるうちに頑張ってくれていたのかもしれないなと、今になって思っています。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
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監修/助産師REIKO
著者:岩崎はるか
2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。