震災発生! 替えの生理用ナプキンがきれる
2011年3月11日東日本大震災発生時、私はひとりで横浜・関内にいました。用事をすませ自宅に帰ろうとした矢先、大地震が発生。海老名にある自宅に帰る交通手段がなくなりました。しかも、震災がおきた当日、私は生理2日目。
地震がおきた直後はまだ開いている店がありました。そこで私は、まずトイレでナプキンを替えてから、歩いて横浜駅へ移動することに。自宅がある海老名は横浜駅から発着する沿線にあり、横浜駅まで行って電車が再開するのを待とうと思ったからです。
そうして、徒歩で30分ほどかけて横浜駅へ着き、まだ開いていた喫茶店でトイレなどもすませ、電車が再開するのを待っていました。そのときに替えた生理用ナプキンが持ち歩いていた最後の1個でした。
生理用ナプキンを求め歩き回る
喫茶店で電車の再開をまっていたものの、しばらくたっても電車が再開する気配はありません。経血量が多く、生理2日目は2~3時間で生理用ナプキンを交換しないと漏れてしまう私。ナプキンの替えがなくなってしまっていた私は不安になり、ひとまず喫茶店を出て生理用品を探すことにしました。
喫茶店にいたため気付かなかったのですが、震災が発生して数時間経つころには、コンビニを含め多くの店が閉まっており、ナプキンが買える店が見つかりません。私は本当に困ってしまいました。それでも20分ほど探すと1件あいている薬局を見つけることができ、そこでなんとか生理用ナプキンを購入することができました! しかし、困難はまだ続いたのです。
生理用ナプキンゲット! でもトイレが見つからない!
生理用ナプキンを手に入れて、生理用ナプキンを交換しようとしたものの、今度はトイレが見つかりません。さっきまでいた喫茶店に戻ってみたものの、そこも既にしまっていました。
限界にきていた私は、泣きそうな顔をして歩いていたのだと思います。すると、心配してくださった年配女性に「大丈夫?」と声をかけていただいたのです。
私が事情を説明すると、そこからほど近い場所にあるご自身が経営する花屋のトイレを貸してくださることになったのです。「普段はお客さんに貸さないから、あんまりきれいじゃないんだけど……」そう言いながら貸してくださったのですが、限界に近かった自分にとっては本当にありがたかったです。
この経験を通じて学んだことは、生理用ナプキンは多めに持ち歩くべきだということです。その日は用事を済ませたらすぐに帰る予定でしたから、最低限の生理用ナプキンしか持ち歩いていませんでした。震災ではなくても、いつどこでどんなイレギュラーなことが起こるかわかりませんし、いつでも生理用品が買えるともかぎりません。いざというときのために、生理用品含めてしっかりと備えておきたいと思った出来事でした。
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監修/助産師REIKO
著者/レイトン愛加