ずっと心の奥にくすぶっていた「書道をもっと究めたい」気持ち。40歳のとき19年勤めていた会社を辞め、夫の海外転勤で移住したインドネシアで書道の達人のママ友に出会いました。それをきっかけに、私は20年ぶりに書道を再開。改めて書道を楽しみ、今までできなかったことにもチャレンジしました。そして、これからの自分の目標ができました。
最初はうまく書けず嫌いだった書道
小学校1年生から両親のすすめで始めた書道。最初はじょうずに書くことができず、あまり好きではありませんでした。でも、コツコツと毎週1回の書道教室へ通い何度も何度も練習を繰り返し、気が付けばきれいな字が書けるようになっていました。
そして学校の競書会や、大きな書道コンクールでも賞をいただけるように。この経験が自信につながりました。達成感を得ることができ、書道がどんどん好きになっていったのです。
でも、運動することが書道以上に好きだった私。先生にも高校生までは書道を続けるようすすめられていましたが、そのときの私は運動を優先したくて小学校卒業に合わせ書道をやめることにしました。
中学、高校でも学校代表として書道コンクールに出展する機会をいただけましたが、圧倒的に練習時間が足りていない状況で、書道を継続している生徒にはまったくかないませんでした。自分で選んだ道でしたが、悔しさと書道を続けなかったことに対する後悔の気持ちが芽生えていました。
19年務めた会社を退社、念願の書道再開
その後、大学、会社勤め、そして結婚後は小さな子どもとの生活で書道とは無縁の生活を送っていました。でも、心の片隅で書道を自分の納得できるところまで究めたい気持ちがありました。冠婚葬祭で記帳したとき、手紙を書くときなどふとした瞬間に書道への思いが再燃し、自分の字に満足できませんでした。何か書道を再開するきっかけはないかと探していましたが、教室へ通うことは子育て中の私にとってはハードルが高く、また通信講座を受けても継続できるかそのころの私には自信がありませんでした。
それから時は流れ、40歳のとき夫の海外転勤が決まり、家族でインドネシアへ。私は19年間勤めていた会社を辞めました。これが私にとって大きな転機となりました。40代でのインドネシア生活は大きな環境の変化で体力的にも大変なことがたくさんありましたが、それ以上に素晴らしい出会いがありました。
なかでも同じ小学生の子どもを育てる女性との出会いです。彼女は書道の先生で、私たち家族より1年前にインドネシアへ来ていました。そして、ちょうどインドネシアでボランティアの書道教室を始めようとされていました。私はすぐに書道をさせてほしいと伝えて始めました。
学ぶ幸せ、そして自分の好きを発見
本当に久しぶりの書道でした。私は先生の所属されている書道協会に入会し、毎月ペン字、小筆の作品を書き、添削してもらうようになりました。週1回のレッスンが楽しみになりましたし、子どもの手が離れてきたこともあり自分時間が作れるようになったので 自宅でも練習しました。そのかいあって級も上がり、達成感を得ながら書道ができるようになりました。
書道教室には同じように転勤で帯同された女性が参加されていました。話してみると同じようにもっときれいに書けるようになりたいと思っている方々が多くいました。また、子育てが落ち着きヨガやゴルフ、英会話など子育て中に諦めていたことを再開して楽しんでいる方もいました。いくつになってからでも再チャレンジできることを実感しました。
ある日、学校の先生から学校内での書道ボランティアの依頼を受け、経験のないことでしたが、子どもと触れ合うのが大好きなのでチャレンジすることにしました。一人ひとりに鉛筆の持ち方から姿勢、書き方のポイントを伝えていきます。子どもたちの一生懸命な姿、「ありがとう」の言葉に元気と勇気をもらい、また教えることの難しさや楽しさを知りました。私はこの経験で人に教えることが好きな自分を発見しました。
まとめ
滞在中にジャパンフェスティバルが開催されインドネシア人の皆さんに書道の魅力を伝える機会がありました。日本語の奥深さや行書の美しさなど。日本の漫画ブームの影響もあり書道にとても関心を持ってくれました。本当に素晴らしい経験ができました。
日本へ帰国後も同じ書道協会で学び続けています。現在は教室が遠くひとりでの練習ですが、 全国に仲間ができたことで相談があれば連絡して励まし合っています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように!
著者:Pたろー
間もなく40代後半へ。根っからのミーハー心で、これから迎える更年期もポジティブに過ごしたい。