動画ではダシ夫さんがステップファミリーとなるまでの道のりを元女子の英翔さんが質問! その様子を紹介します。
※記事の内容は動画公開当時(2021年12月)の情報です。
ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声をご紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。
30歳のとき女性から男性へ
ダシ夫さん(画像左)は、現在34歳で既婚。30歳のときに性別変更を行い、女性から男性になりました。シングルマザーの女性と結婚し、一児の父をしています。
「ダシ夫」という名前は、子どもが急に「パパ」「お父さん」と呼ぶのは恥ずかしいかな?と思い、お子さんにつけてもらったあだ名。
英翔(画像右):いつ性別を変更しましたか?
ダシ夫:28、29歳くらいの時にホルモン注射を始めて、手術をしたのは30歳。(英翔さんがホルモン注射を開始したのは20歳)
英翔:治療を始めるのが、遅くなった理由はありますか?
ダシ夫:女子サッカーをしていたんです。アスリートがホルモン注射をするとドーピング扱いになってしまうので、引退後に治療を始めたので遅くなりました。
シングルマザーとスピード結婚! 子どもの反応は?
英翔:いつ結婚したの?
ダシ夫:手術をしてすぐです! 3月に手術をして、6月に奥さんと出会って。8月に交際をスタートして、翌年1月に結婚しました。
英翔:奥さんとの馴れ初めは?
ダシ夫:職場に共通の知人と来て、そこで名刺交換しました。その後、ご飯に行ったり二人で出かけるようになって、仲良くなりました。
英翔:奥さんはダシ夫さんが女性って知っていた?
ダシ夫:最初は言ってなかったんですけど、知人から聞いていたみたいです。
英翔:知ったときの奥さんの反応は?
ダシ夫:「あ、そうなんだ」っていう感じで、自然に受け入れてくれました。
英翔:結婚したときの、お子さんの反応は?
ダシ夫:当時子どもは小学3年生だったんですけど、めちゃくちゃ大人な対応でした。
妻が「ママは結婚したいんだけど、どう思う?」って聞くと、「ママの人生だからママが決めればいいよ」と言って認めてくれました。
英翔:そんな子どもに育てたママもすごい!
ダシ夫:当時は僕が「元女子」であると伝えていなかったんですが、小学6年生のときにカミングアウトしました。「びっくりした! そうなんだね! 遊びに行ってくる~」と意外にもあっさりした反応でした。
実母へのカミングアウトと拒絶
英翔:友達にカミングアウトするのも勇気がいりますが、家族にカミングアウトするのはもっとハードルが高いじゃないですか。親にカミングアウトしたタイミングは?
ダシ夫:サッカーを辞めてから言ったので、29歳のとき。うちは僕が小学4年生のときに両親が離婚していて。母はシングルマザーで、ずっと母に言うのが怖かったんです。サッカーを引退するタイミングで、初めて母に電話で伝えました。
「今まで隠しててごめんね。自分は性同一性障害で、女性が好き。男性になるために手術がしたいんだ」
「同性を好きになることはいいけど、体にメスを入れるとか手術するのは受け入れられない……待って欲しい」と言われました。
でも当時の僕は「男として社会に出たい、男として過ごしたい!」と強く思っていたので、「待ってくれ」っていうのは、どのくらい待てばいいのか想像できなくて……。結局理解してもらえないまま、初めてのカミングアウトが終了しました。
親の理解を得られないまま、海外で手術
英翔:その後も、話し合いはした?
ダシ夫:何度かトライしたけれど理解してもらえなくて。でも「やっぱり手術したい!」と思ったので、母には言わずに勝手に海外へ行って手術を済ませて帰ってきました。
英翔:僕はタイに行く3日前にカミングアウトした! 話があるって言ったときに、親は妊娠か結婚のどっちかだと思ったらしい。そしたらまさかの性転換ですから。
お母さんに手術したことはいつ言ったの?
ダシ夫:奥さんと結婚するタイミングで、
●タイで性転換手術を受けた
●戸籍上、男になった
●この女性と結婚する
っていうのを全部言ったら、プチパニック! 「ちょっと待って聞いてないよ」って。
その後に結婚の挨拶をしたんですけど、奥さんに僕のお母さんと兄を会わせたときに、修羅場になっちゃって。奥さんには可哀想な思いをさせてしまいました。
結婚への強い憧れ
ダシ夫:母と何度か話し合いをしても、上手く噛み合わず衝突してしまって。でも「自分たちのタイミングで結婚したい」っていうのがあったので、母とは親子の縁を切って一旦距離を置いて、結婚に踏み切りました。
英翔:親子の縁って切れないじゃないですか? でも、縁を切ってでも結婚するのは、中々の覚悟がありますよね。
ダシ夫:「自分の人生は自分の好きなように生きたい」っていうのもあったんですけど、性転換をしている我々にとって結婚は、夢のまた夢みたいな話。
特に僕は幼少期に両親が離婚して、兄の暴力から逃げるために友人の家に預けられたりしていて、「普通の家庭」に強い憧れがあったんです。LGBTの僕は温かい家庭なんて、一生築けないと思っていた。夢にまで見た「結婚」ができるなんて、うれしかった。
英翔:結婚して3年経ったそうですが、その間にお母さんと連絡は?
ダシ夫:何回か連絡を取ったり、誕生日に贈り物をしたりはしてるんですけど、もうちょっと時間が必要なのかなって感じです……。理解してもらう、受け入れてもらうという段階までは、まだいっていないのかもしれません。
英翔さんの母が「男性になった僕」を理解してくれるまで
英翔:僕は今、母と仲良くしているんですけど、そうなるまでに時間はかかりますよね。バリアがあるのがわかるんですよ。お母さんとは仲良くしたい?
ダシ夫:義両親に良くしてもらっているのと、子どもにも「おじいちゃん、おばあちゃんだよ」って紹介もしたいので、今後母とも仲良くなりたいです。
英翔:どんなことがあっても連絡を取り続けた方がいいのかなって思います。僕も、最初は母にずっと拒否られていたんですよ。お母さんに「会おう」って言ってもドタキャンされたりとか……。親は、性別が変わった自分の子どもとどう接していいかわからない。
しかも母は中国人っていうのもあって(中国はもっとLGBTへの差別がひどい)。そんな中で妹が母に「“お姉ちゃん”は“お兄ちゃん”になったけど幸せそうだよ」って言ってくれて。実際に僕と会ったときに、昔より幸せそうだなって思ってくれたみたいです。
「幸せでいること」が理解につながる
英翔:うちの母は性同一性障害、元女子、LGBTのことは何も分かってないんです。「分かんないけど、英翔が幸せならそれでいいんじゃない?」って言ってくれています。自分たちが幸せでいることが、理解への近道なのかなって思います。
ダシ夫:今を楽しんでいることは、知ってもらいたいなって思います。今が、人生で一番幸せ。
自分が父親になって初めて、母の気持ちが分かるようになってきました。子どもは愛おしくて、大切な存在です。僕の子どもには、ありのままの自分でいてほしい。ありのままの選択をしてほしい。そのために、そばでずっと見守っていきたいと思っています。
「世の中の子どもたちにも、僕と同じように性別で悩んでほしくない」と思い始めて、SNSで性同一性障害であることを発信し始めました。すると、僕に救われたという声がたくさん届いたんです。子どもたちがありのままの自分をもっと愛せるように、誰かの救いになればと思っています。
カミングアウトしたときの奥さんの自然な反応と、結婚報告時のお子さんの対応が素敵です。ダシ夫さんファミリーの仲良しな様子は、Instagramで見ることができます。
また、元女子英翔さんの最新の動画はYouTubeチャンネルから投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。