妊娠中からずっと支えてくれた義家族
私は24歳で双子を妊娠しました。義家族もとても喜んでくれて、常に私の体を気にかけてくれていました。初めての妊娠はつわりがひどく、おなかもどんどん大きくなってきたので、妊娠中期で仕事ができなくなりました。それからは家で安静にしていたつもりだったのですが、妊娠26週のときに突然の腹痛で、夜間に病院へ運ばれたのです。
病院で義母は、私のおなかや背中を一晩中さすっていてくれました。結局私は妊娠27週目に切迫早産で入院。義母は毎日顔を見せにきてくれて、時々私の好きな料理を作ってきてくれました。
産後直後から神経質になってしまった私
孤独な2カ月の入院生活も、義家族と夫によって乗り越えられました。そして妊娠37週、無事に元気な双子を出産できたのですが……。産後の私に大きな変化があらわれました。私は突然、極度の神経質になってしまったのです。
イライラの矛先が最初に向いたのは、産後の手続きをしに病室に来てくれた、保険会社の人でした。いつもお世話になっているはずなのに、なぜか拒否感があり、子どもたちにも触らせたくないという思いが込み上げたのです。その場はひたすら自分の気持ちを抑えてしのぎました。
義家族と過ごした壮絶な半年間…
退院後は当分の間、義実家で暮らすことになりました。私と双子のために、部屋も整えて迎えてくれました。しかし私の神経質さは、義家族にも向いてしまったのです。まず、私が子どもを寄せ付けたくなかったのは、義実家で飼っている犬でした。鳴き声や足音、子どもに近づく姿がどうしても許せなくなってしまったのです。
また、義両親が子どもの頬にキスをすることも嫌でした。今はうれしいことだと感じるのに、そのころは本当に耐えられなかったのです。他にも、義家族が子どもに与えてくれる物も一つひとつ気になってしまうほどでした。私は7カ月で限界が来てしまい、家に戻ることに……。サポートが少ない中での育児はとても大変でしたが、その半面、私の神経質さは徐々に落ち着いていきました。
周りの理解で乗り越えられたガルガル期
義実家にいた7カ月間は、私にとって本当につらかったです。自分でも感情のコントロールができず、周りの人を傷つけたこともありました。しかし振り返れば、ペットのことも食べ物のことも、私が嫌ということに対し、義家族は全力で考慮してくれていたなと感じます。
わがままな私に、一生懸命に向き合って寄り添ってくれたことは、6年経った今でも感謝しきれません。産後の寝られない毎日や、慣れない環境での慣れない育児が、自分を神経質にしてしまっていたのだと、時間がたった今なら理解できます。そしてあの神経質な日々が、ガルガル期と呼ばれるものだったのだと、あとになってわかりました。
私が経験して思ったのは、ガルガル期は母親の本能の問題だけではないということです。初めてのことだらけの母親にとって、心の余裕の持ち方すらわからないのです。私はそのことに、ガルガル期が終わってから気づきました。「なんとかなる」「大丈夫」と思える余裕があったら、もう少しあの7カ月間を楽しめたのかなと、今になって思います。
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監修/助産師 松田玲子
著者:桜 七瀬
6歳双子の男の子と3歳の男の子、夫の5人家族。看護師資格を持っている。趣味はアンテリア雑貨や住宅公園巡り。読書や英会話の勉強も時間を見つけては続けている。