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「お母さん」と呼んでもらえない…?息子は重度の先天性難聴。不安だった日々、そして5年後の現在

新生児約1,000人に対しておよそ1人の赤ちゃんが先天性難聴と言われています。私の息子も、その1人。当時、難聴に対する知識がまったくなかった私は、聞こえない=お話ができない=「お母さん」とは呼んでもらえない……と思っていました。不安でいっぱいになり、先のことを考える気持ちの余裕すらなかったのです。そんな状況の中、夫が私にかけた言葉について、そして5歳に成長した息子の現在の様子をお話しします。

うちの子、聞こえていないかもしれない…

第1子である息子を出産後、産院で受けた聴力検査。息子はなぜか、何度も同じ検査を受けました。理由を看護師さんに質問すると、「羊水が耳にたまっていたりして、正確な結果が出ないとこもあるんですよ」と。

 

私は嫌な胸騒ぎを覚えつつも、帝王切開での傷の経過がよかったため、退院に備えて荷物を整理していました。そのとき、誤って荷物を崩し、“ガタン!”と大きな音が部屋に響きました。幸い個室だったため、誰かの迷惑になることはありませんでしたが……、息子はかわいい寝顔でスヤスヤと眠ったままでした。

 

「お母さん」と呼んでもらえない?

退院時に聴力検査の話になり、大きな病院で再検査するようにと医師に告げられました。言われるがまま、生後1カ月も経たないうちに大きな病院を受診しましたが、精密検査には眠り薬を使うため、生後3カ月ごろを過ぎないとおこなえないとのことでした。

 

私や夫の呼びかけ、音が鳴るおもちゃ、大きな生活音にもまったく反応せず、顔色ひとつ変えない息子。「まだ確定ではない」「やっぱり音に反応しない……」。いろいろな考えが交互に押し寄せ、私は悶々とする日々を過ごしていました。

 

息子が「先天性難聴」だと確定した日

生後3カ月を過ぎてからの精密検査で、息子は「重度の先天性難聴」と診断され、医師とは今後の治療についても話しました。私たち夫婦にとっては、覚悟はしていたものの、つらい宣告でした。

 

当時の私は難聴に対する知識がまったくなく、聞こえない=お話ができない=「お母さん」とは呼んでもらえない……と思い、不安だらけで、先のことを考える気持ちの余裕はありませんでした。しかし、診断結果はショックでしたが、それと同時に、確定したことで少し吹っ切れたような気もしました。そして、それは夫も同じだったようです。

 

 

息子の障害が確定した日に夫が言った言葉

病院を出るときの私は、もう前を向く決心がついていました。夫も同じように感じていたようで、帰りの車の中で「ある程度の年齢まで親が最善を尽くせば、大丈夫ってことだな!」と言いました。そして、息子を見つめながら「とおちゃんとかあちゃん、頑張っちゃうよ〜」と。

 

それからは、いくつもある選択肢の中から、息子の成長に合わせてその都度、夫婦でしっかりと話し合い、現在では人工内耳を装用し、聴覚を活用する方法を選択しました。

 

 

現在は、理解ある幼稚園、療育関係のスタッフにも恵まれ、息子の語彙数は多く、起きている間ずっとしゃべるくらいの元気いっぱいの5歳児です。「お母さん、聞いて」「お母さん、見て」と、毎日いろいろなことを話してくれます。名前を呼んで振り返る……歌に合わせて踊る……そんな当たり前だと思われる出来事が、難聴児の親である私たち夫婦にとっては大きな喜びで、とても尊い光景なのです。

 

 

監修/助産師 松田玲子


著者:古川 かずこ

自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。

 

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