うちの子、聞こえていないかもしれない…
第1子である息子を出産後、産院で受けた聴力検査。息子はなぜか、何度も同じ検査を受けました。理由を看護師さんに質問すると、「羊水が耳にたまっていたりして、正確な結果が出ないとこもあるんですよ」と。
私は嫌な胸騒ぎを覚えつつも、帝王切開での傷の経過がよかったため、退院に備えて荷物を整理していました。そのとき、誤って荷物を崩し、“ガタン!”と大きな音が部屋に響きました。幸い個室だったため、誰かの迷惑になることはありませんでしたが……、息子はかわいい寝顔でスヤスヤと眠ったままでした。
「お母さん」と呼んでもらえない?
退院時に聴力検査の話になり、大きな病院で再検査するようにと医師に告げられました。言われるがまま、生後1カ月も経たないうちに大きな病院を受診しましたが、精密検査には眠り薬を使うため、生後3カ月ごろを過ぎないとおこなえないとのことでした。
私や夫の呼びかけ、音が鳴るおもちゃ、大きな生活音にもまったく反応せず、顔色ひとつ変えない息子。「まだ確定ではない」「やっぱり音に反応しない……」。いろいろな考えが交互に押し寄せ、私は悶々とする日々を過ごしていました。
息子が「先天性難聴」だと確定した日
生後3カ月を過ぎてからの精密検査で、息子は「重度の先天性難聴」と診断され、医師とは今後の治療についても話しました。私たち夫婦にとっては、覚悟はしていたものの、つらい宣告でした。
当時の私は難聴に対する知識がまったくなく、聞こえない=お話ができない=「お母さん」とは呼んでもらえない……と思い、不安だらけで、先のことを考える気持ちの余裕はありませんでした。しかし、診断結果はショックでしたが、それと同時に、確定したことで少し吹っ切れたような気もしました。そして、それは夫も同じだったようです。
息子の障害が確定した日に夫が言った言葉
病院を出るときの私は、もう前を向く決心がついていました。夫も同じように感じていたようで、帰りの車の中で「ある程度の年齢まで親が最善を尽くせば、大丈夫ってことだな!」と言いました。そして、息子を見つめながら「とおちゃんとかあちゃん、頑張っちゃうよ〜」と。
それからは、いくつもある選択肢の中から、息子の成長に合わせてその都度、夫婦でしっかりと話し合い、現在では人工内耳を装用し、聴覚を活用する方法を選択しました。
現在は、理解ある幼稚園、療育関係のスタッフにも恵まれ、息子の語彙数は多く、起きている間ずっとしゃべるくらいの元気いっぱいの5歳児です。「お母さん、聞いて」「お母さん、見て」と、毎日いろいろなことを話してくれます。名前を呼んで振り返る……歌に合わせて踊る……そんな当たり前だと思われる出来事が、難聴児の親である私たち夫婦にとっては大きな喜びで、とても尊い光景なのです。
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監修/助産師 松田玲子
著者:古川 かずこ
自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。