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「つらい…」介護で追い詰められ涙する母。頑固な祖父が嫁の介助を頑なに拒絶した理由【体験談】

生まれたときから父方の祖父母と同居していた私。家族のにぎやかな日常の中で、幼いころは祖母のやさしさに包まれて過ごしていました。しかし、小学6年生のときに祖母が急逝したことを境に、家の空気は大きく変わっていきました。そこで初めて、介護の難しさと家族それぞれの思いを強く意識するようになったのです。

祖母の急逝後、家の中に生まれた変化

祖母が亡くなったあと、家族は祖父・父母・私ときょうだいの6人になりました。祖父はもともと頑固で気難しい性格で、家族の輪に入ることが少なく、いつも怒っているような雰囲気を漂わせていました。それでも、唯一の孫娘だった私にはやさしく、お小遣いをくれることも多く、どこか心を許してくれているように感じていました。

 

やがて祖父の足取りが不安定になり、転倒やトイレの失敗が増えるようになりました。当時、介護施設でパートをしていた母が自然と介護を担うかたちになりましたが、嫁と舅(しゅうと)という関係もあって、祖父は母の介助を受け入れられない場面が多くありました。

 

母と祖父の気持ちの行き違いが重なり、家の中では怒鳴り合いが起きる日が続きました。

 

母の苦悩と、祖父の本音に気づいた瞬間

父は仕事が忙しく、私たちきょうだいが手伝おうとしても、母は「部活でけがでもしたら大変だから」と首を振り、結局ひとりで介護を続けていました。

 

私は、日に日に笑顔が減り、時にはこっそり涙を流す母の姿を見て、「介護とは、なぜここまで人を追いつめてしまうのだろう」と感じていました。

 

一方で、祖父が私に向けてくれるやさしさは変わらず、そばで過ごすうちに、「祖父もまた、嫁に手を借りることへの抵抗や、年齢を重ねた自分への悔しさを抱えているのではないか」と感じるようになりました。

 

誰かを頼ることは、祖父にとって大きな葛藤だったのかもしれません。

 

 

祖父の最期と、進路を決めた「原点」

祖父は、私が高校生のころに亡くなりました。長い期間、間近で在宅介護の現実を見てきた私は、「介護する側もされる側も救える仕事がしたい」という思いを強く持つようになりました。

 

そのまま福祉系の大学へ進学し、現在は介護施設の相談員として、利用者さまやご家族さまと向き合う日々を過ごしています。

 

介護の場には、支える側・支えられる側双方の気持ちが複雑に交差する瞬間が多くあります。私は、祖父と母の姿を通して、相手の尊厳を守る言葉遣いや態度の重要性を学びました。

 

まとめ

家族の介護を目の当たりにした経験は、つらさと学びが混ざったかけがえのない時間でした。介護する側だけでなく、受ける側もまた不安や葛藤を抱えているということを、祖父の姿から知りました。今、相談員として働くなかでも、あのころの思いが支えになっています。相手の尊厳を守り、できるだけ穏やかに関わるためにはどうすればいいか――。その問いを忘れずに、これからも向き合っていきたいと思っています。

 

 

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

 

著者:黄色咲子/20代女性・会社員。

 

※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年12月)

※一部、AI生成画像を使用しています

 

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シニアカレンダー編集部

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