異変は、義母との電話で始まりました。義母は、息子は仕事で疲れているのだから運転は嫁がしろ、と当然のように言います。
私も同じく仕事終わりだと伝えても、男のほうが大変に決まっていると聞く耳を持たず、夫婦で分担するなど嫁の怠慢だと責められました。
さらに東京出身の私に、義実家に都会の変な価値観を持ち込むな、葬儀で恥をかかせるな、と一方的に釘を刺します。何を話しても返ってくるのは、田舎ではありえない、常識がない、という言葉ばかり。嫌な予感が胸に広がりました。
雑用係として扱われた朝
義実家に到着したのは夜遅くのこと。それなのに翌朝早く、義母は私に「醤油を買ってきなさい」と命じました。
最寄りのコンビニまでは片道3キロ。この後お寺へ向かうために車は使うからと、徒歩で行くようにと言います。結局、偶然出会ったご近所の方が醤油を分けてくださり事なきを得ましたが、義母はそれすら面白くない様子でした。
目立つことをするなと叱られ、何をしても小言が飛んできます。葬儀の準備では雑用を一手に押し付けられ、夫とは別行動にされました。
嫁は雑用をすべて引き受けろ、というのが義母の考えだったのです。私は少しずつ、義実家に来たこと自体を後悔し始めていました。
10キロ先の葬儀場へ「歩け」
そして、すべてが決壊したのは葬儀場への移動のときでした。葬儀の設営を手伝うため、夫はすでにわが家の車で先に出発していました。
義実家に残された移動手段は、義母が運転する車1台のみ。気まずい気持ちで出発時間を尋ねると、義母は「嫁はよそ者なんだから、家族の車に同乗しようなんて図々しい。自分の足で来なさい」と言いました。
葬儀場までは10キロほど。そもそも、喪服にパンプスという格好で歩ける距離ではありません。土地勘のない場所でスマホの電波も弱く、地図アプリが入らないことも考えられ、無事に着く自信もありません。そう訴えても、義母は甘えるなの一点張りでした。
走れば告別式には間に合う、遅刻するな——その言葉を最後に、義母は車に乗って出て行ってしまいました。
東京からわざわざ駆けつけた嫁に対して、この仕打ち。もう、ここにいる理由がないと思いました。
新幹線に乗った決断
私は葬儀に行くのをやめました。喪服を脱ぎ、タクシーを呼んで最寄りの駅へ向かい、東京行きの新幹線に乗ったのです。
葬儀の開始時刻が迫るころ、義母から怒りのメッセージが届きました。私は正直に、もう帰る旨を返信します。義父には申し訳ない気持ちがあるものの、到着してから浴びせられ続けた暴言や雑用の押し付けは、すでに私の限界を超えていたのです。
義母は「長男の嫁が葬儀を欠席するなんて家族の恥だ!」と激昂してきましたが、私は静かに告げました。「よそ者は車に乗るなとおっしゃったのはお義母さんですよね? 葬儀でも、家族ではない私が出る幕はありませんから」と。
嫌なことを我慢し続けて壊れるより、自分の意思で線を引こう——そう決めていました。夫には事情をすべて伝え、理解が得られなければ離婚も辞さない覚悟です。
崩れる義母の立場
事情を聞いた夫は迷うことなく私の側に立ち、葬儀が終わるとすぐに会場を出て車で帰路につきました。義母が泣いて引き止めても振り切ったようです。
あれから、私たちは義実家に帰省していません。義母はしばらく落ち込み、家に引きこもりがちになったと親戚から聞いています。
私は過去を引きずる性格ではないので、義母が自分の言動を心から省みてくれるなら関係を考え直す余地はあると思っています。ただ、夫の中にはまだ整理のつかない感情があるようです。今後のことは、夫自身の気持ちに委ねたいと思っています。
◇ ◇ ◇
家族や親族の間には、世代や地域による価値観の違いがあるものです。それ自体は自然なことですが、自分の考えだけが正しいと信じ、相手を見下したり排除したりすれば、大切な人との関係は壊れていきます。
歩み寄る姿勢がなければ、気付いたときには誰もそばにいない——そんなことを考えさせられる体験談でした。
【取材時期:2026年2月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。