兄弟での扱いに露骨な差があることは、結婚前から薄々感じていました。
長男夫婦は何かにつけて優遇され、次男である夫はそれを当然のように受け入れていたのです。夫は「昔からこうだから」と苦笑いするだけで、深く傷ついた様子も見せませんでした。
そのある種の諦めが、逆に私の胸をざわつかせていましたが、当時はまだ「そういう家風なのかもしれない」と自分に言い聞かせていました。
そんなタイミングで、私と義姉、両方の妊娠がわかったのです……。
嫁の序列
おなかが目立ち始めたころ、義母からこんなメッセージが届きました。
「週末、うちの会社に来てくれない? 伝票整理や備品の仕分けを手伝ってほしいのよ」
「座ってできることだからいいでしょう?」
体調を考えて断ろうとしたのですが、義母は「妊娠中だからって甘えないで!」「嫁としての義務ってものを果たさなきゃ」と畳みかけてきます。
仕方なくそのときは行ったのですが……実際には「ついでに」という名目で掃除まで頼まれました。「ちょっとくらい、いいでしょ」と言うのです。
それからも、義母は内容を少しだけ軽いものにして頼みごとを繰り返しました。私が断ろうとするのを察すると、「そんなにたいした作業じゃないから」「妊娠中も適度に動いたほうがいいのよ?」と言って、逃げ道を塞いでしまうのです。
一度、「お義姉さんも、手伝いに来てるんですか?」と尋ねたことがあります。私に対しては、義母は「あちらは体調が安定していなくて……」と説明していました。ところが親族の集まりで、義母が「跡取りを産む嫁に無理はさせられないでしょう」と話しているのを聞いてしまいました。体調の問題ではなかったのです。
義姉もまた、その空気を当然のものとして受け取っていました。私が産休に入ったことを知ると、「コンビニのこれ買ってきて、うちに届けてくれる?」と軽くメッセージを送ってくるように。断ると、「気が利かないのね……」と一言だけ返ってきます。
最初のうちは「嫁同士、仲良くしていきましょうね!」と言ってくれていたのに……。
とある妊婦健診の帰り、電車の窓に映る自分の顔を見て、思いました。私はいつから、こんなに疲れた顔をするようになったのだろう、と。
露骨な出産祝いの格差
出産後、初めて義実家を訪れた日のことは、おそらく一生忘れないと思います。
長男夫婦への出産祝いについては、以前から聞いていました。義父母がマイホームの頭金として100万円を援助したというのです。それを義母は「出産祝い」と呼んでいました。
一方、私たちに手渡されたのは、小さな封筒に入ったカタログギフトでした。自宅に戻ってから中を確認し、念のため公式サイトで調べてみると、2,000円のコースだとわかりました。
「……2,000円」と思わずつぶやいた私。一緒にいた夫も、さすがに言葉を失っていました。
高価なお祝いを期待していたわけではありません。つらかったのは金額ではなく、長男夫婦とあまりにも露骨に差をつけられたことでした。
翌日、私たちは義母に電話を入れました。
「お義兄さんたちにはマイホームの頭金を100万円援助していましたよね? さすがに、この扱いの差はあんまりだと思うんですけど……」
そう言うと、義母は「わかってないわねぇ」と言って、こう続けました。
「長男夫婦は、立派な跡取りを産んでくれたの。それに比べて……あんたたちには、2,000円でも十分すぎるくらいよ」
受話器を持つ手が、一気に冷たくなりました。おなかを痛めて産んだわが子が、最初からこんなひどい扱いを受けなければならないなんて……。
頭ではわかっていたことのはずなのに、改めて突き付けられると、思っていた以上に重い現実であることを実感しました。
手痛い反撃
私はすっと息を吸い込み、気持ちを落ち着けて、義母にこう告げました。
「何もわかってないんですね」
自分でも驚くほど、静かな声が出ました。
「え?」
と返す義母。
実は、義父が経営している会社は、ここ数年赤字続き。義父から直接相談を受け、私たちが毎月、金銭的な支援を続けていたのです。もちろん、やり取りの記録や送金履歴も、手元に残っています。長男夫婦に渡された頭金についても、当時から無理をして用意されたものだろうとは感じていました。けれど、その後の経営状況を聞いて、あのときの違和感が間違いではなかったのだと確信しました。
「支援は打ち切ります」「今月分で、最後にしますから。これ以上の支援は一切おこないません」
「信じられない……」とつぶやいた義母。義父は義母に心配をかけまいとしたのか、己のプライドを守るためか、義母には資金繰りのことは一切話していなかったようでした。
昔から義兄との扱いの差を感じていた夫。義実家の中で、唯一夫に寄り添ってくれたのが義祖父だったそう。その義祖父が作った会社を守りたい、という一心で、夫は支援を続けてきたのです。私も何度か「もうやめたほうがいい」と夫に言いました。けれど夫は、義祖父が守ってきた会社だけは見捨てたくない、と言って聞かなかったのです。
「そんな……うちが赤字……?」
「まさか、次男たちに援助を受けてたなんて……」
義母ほど露骨ではないにせよ、義父もまた、夫を「家業を継がなかった次男」として距離を置いていました。義父からも軽く扱われていた夫は、家業に関わらないよう、早めの段階で家を出ていました。地元から少し離れた安定した企業に就職し、私と結婚。それからは異例の出世を果たし、今では管理職です。一方の私も、別の会社でリーダーを任され、キャリアを築いていました。
私たちは毎月決して少なくない金額を援助していましたが、それでも十分生活できるだけの収入があったのです。
馬鹿にしていた私たちから援助を受けていたことを知った義母は不服そうでしたが、だんだんとその声からは勢いが消えていきました。
「援助をやめるって……じゃあ、会社はどうなるのよ……」
「私たちにはもう関係のないことです」と伝えた瞬間、不思議なほど落ち着いた気持ちになりました。
続けて私は、「今後の連絡は夫を通してください。うちの子どもに会うのも控えてくださいね。これからは、長男ご夫婦とそのお孫さんだけを大切にしてあげてください。では、失礼します」と一気に伝え、電話を切りました。
義母の「待って! ちょっと待ってよ!」という声を最後まで聞かずに切ってしまったのは、失礼にあたるのかもしれません。ただ、電話を切ったあとの気持ちは、今までにないくらい爽快なものでした。
家族3人での新たな生活
当時、私たちは義実家の敷地内にある離れで暮らしていました。
その日のうちに、私と子どもは夫が手配したホテルへ移りました。
後から聞いたのですが、夫は以前から義実家と距離を置くべきか迷っていたそうです。けれど、あの電話をきっかけに「もう限界だ」と腹をくくり、その週末、2人で新居を探し始めました。
荷物の本格的な搬出は数日後でしたが、その夜をしのぐために必要なものだけは夫が急いでまとめてくれており、ホテルで3人で静かに過ごしました。
その後――。
義実家の物流会社は、それから半年後に資金繰りが限界を迎えたと聞きました。複数の取引先との関係悪化や金融機関からの追加融資拒否も重なってのことで、私たちの支援打ち切りがその一因になったのかどうかは、今となってはわかりません。
私たちは義父母と距離を置いており、その後しばらくして、2人は離婚したと親族から聞きました。会社の経営が本格的に悪化すると、長男夫婦も義父母との関わりを避けるようになったと聞きました。義父母が頭金を援助して建てた家も、結局は処分されたと聞いています。
義実家での理不尽な扱いに怒っていたのは本当です。でも一番堪えたのは、自分自身の「慣れ」でした。
義母の言葉に傷つきながら、義姉に軽くあしらわれながら、それでも「これが普通なのかもしれない」と自分に言い聞かせていた時期がありました。誰かに怒りをぶつける前に、「いつものことだから」と流していた自分がいました。
子どもの誕生さえ軽んじられたことは、今でも許せません。でも、あの言葉があったからこそ、私はようやく目を覚ませたのだと思います。新居はあたたかい日差しが入ってくる家です。もう誰と比べられることもない。そんな当たり前のことが、とても幸せです。
【取材時期:2026年2月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。