

看護師の妻と2人の娘
両親が子育てに奮闘していたのは、平成になったばかりのころでした。まだ「家事や育児は母親が担うもの」という空気が色濃く残っていた時代です。そんな中でも、母は看護師として働いていたため、日勤だけでなく夜勤に入る日も少なくありませんでした。
そのため、母が夜勤のときは、父が夕飯の支度やお風呂、寝かしつけ、翌朝の朝食作りまで、ひと通りの家事と育児を担っていました。子どもだった私にとって、母がいない夜や朝はやはり寂しいものでしたが、父がそばにいてくれたことで、不安はずいぶん和らいでいたように思います。
父は必要なことを1つずつ覚えながら、家のことも子どもの世話も、当たり前のようにこなしてくれていました。昭和30年代生まれの父親としては、かなり珍しいタイプだったかもしれません。
好奇心と負けず嫌い
父は好奇心旺盛で、興味を持ったことには何でも挑戦する性格です。
ある日、母が作る卵焼きに興味を持った父は、自分も作ってみたいと思ったそうです。フライパンに油を引いて、少しずつ卵を焼いてはクルクルと巻かれていく様子に、とても興味を持ったのだとか。
最初は卵がフライパンにくっついたり、焦げてしまったりして、キレイに巻くことができませんでした。それでも、母の厳しい指導と父の負けず嫌いな性格で、何度も練習を重ねました。やがて父は、きれいな卵焼きを作れるようになり、チーズ入りやソーセージ入りなど、自分なりのアレンジまで楽しむようになっていったのです。
編み込みができるお父さん
姉が小学校に入学すると、毎朝、髪をまとめて登校するようになりました。母は姉の髪をきれいに編み込み、整えて送り出していたのですが、その様子を見て、父は今度は編み込みにも挑戦することに。
大きな手と太い指では、子どものサラサラした柔らかい髪の毛を扱うのは、とても難しかったと思います。それでも、卵焼きのときと同様、母の厳しい指導のもと、何度も何度も練習を重ね、見事に編み込みを習得することに成功!
私が小学校に通うようになってからも、父はよく髪を編み込んでくれました。当時の私は、それがとてもうれしくて、学校の先生に「先生見て! お父さんが編み込みしてくれるんだよ!」といつも自慢していたのを覚えています。
今では「イクメン」という言葉がすっかり定着しましたが、私が幼いころは、まだ母親が家事や育児の中心になるのが当たり前とされる時代でした。そんな中で、卵焼き作りや編み込みを覚え、当たり前のように家のことを担っていた父は、まさに時代を先取りしていた存在だったと思います。
看護師として働く母にとっても、娘たちにとっても、父はとても頼もしい存在でした。好奇心を持って何でも挑戦する父の姿に、母も私たちもたくさん助けられてきたのだと、今改めて感謝しています。
著者:米田綾子/30代女性・岩手県在住。元化粧品研究員で、現在は地元で土木技術職として働いている。趣味はバレエ。
作画:おはな
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年2月)
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