義両親の介護をラクだとバッサリ→「お任せします」チェンジした結果

私は45歳の会社員。同い年の夫と2人暮らしで、大学生の娘は一人暮らし中です。ある日、夫から「義母が入院して、要介護の義父を一時的に施設に預けた」という話を聞かされました。義父はもともと在宅介護が必要で、これまでは義母がフルで面倒を見てきた人です。
問題は、そのあと。夫から「義母が退院した後、2人まとめて家で介護してほしい」と告げられたのです。私はフルタイム勤務で、しかも義両親には昔から嫌われ気味。そんな私がメイン介護者に?不安と嫌な予感が胸いっぱいに広がっていきました。しかし夫は、「俺は一人っ子だから、お前がやるしかない」と押し切り、話し合いの余地はゼロ。こうして私は、義母が入院し、退院しても義母1人ではもう義父の面倒を見れないため義両親を引き取ることに。こうして義父の面倒を見ることになったのです。
在宅ワークと義父の「呼びつけ介護」
夫のひと言で、仕事×介護の両立生活がいきなり始まりました。 義父は在宅介護が必要な状態ですが、声だけは異常に元気。 私が在宅勤務の日になると「おい!! 早く来い!」 「呼んだらすぐ来るのが嫁だろ!」と家中に怒鳴り声が響き渡るのです。
リモート会議中もお構いなしに怒鳴り声が響き、私は会議相手に謝るばかりの日々。 義父の部屋に入ると「テレビがつまらん!別の番組に変えろ!」と言うのです。私が「それだけですか?枕元にリモコンがありますから、自分で……」と言いかけると、義父は「寝たきりの俺に無理させる気か!なんて鬼嫁だ!」と言い放ったのです。私の提案はすべて“反抗”扱い。何をしても怒られ、できていても文句を言われ……。夫に相談しても「在宅なら融通きくだろ?俺は外で仕事してんだからさ」 と言い、一切手伝ってくれず。
1週間も経てば、私は寝不足とストレスで体重が3キロ落ちていました。 それでも義父の呼び出しは止まりません。私の生活も、仕事も、体力もどんどん削られていきました。
娘の帰省と「ダブル介護」の現実
ある日、帰省した娘が「どうしておじいちゃんがここにいるの? お母さん、全部ひとりで介護してるの? どうして言ってくれなかったの!?」と慌てて私へ視線を向けました。私は義母が入院中で、義父を在宅で介護していることを娘に話しました。
娘は怒りと心配が入り混じった顔で「お父さんは何もしてないの!?」 と激怒! そして「私も手伝うよ」と言い、義父の部屋へ向かいました。しかし、義父は娘にも容赦なく「子どもなんか寄こすな!」とバッサリ。怒鳴り声が続いても、娘は落ち着いて必要なケアだけをこなし、その姿に私は救われる思いでした。しかし現実はさらに厳しくなり、義母の退院が決まり「義父+義母」のダブル介護がスタート。 義母は義母で手強く「こんな味付けじゃ食べられない! 作り直し!」「清拭が下手! もう一回やり直して!」と、とにかくダメ出しの嵐。仕事と介護の両立に限界を感じ、私が退職を決意したことを夫に告げると「は? 仕事辞めるってマジ?3食昼寝付きで家にいられて、介護を理由に仕事まで辞めてズルいよな。 俺なんて朝から晩まで働いてんのにさ」とひと言。
私の中で何かが音を立てて崩れました。娘にも退職することを伝えると「どうしてお母さんが犠牲になるの? そんなのおかしいよ!」と激怒! このとき私は、“耐えるしかない”と思っていました。娘が動き出すまでは……。
娘の一芝居、夫の誤算
ある日、娘が再び帰省し、夫に向かって「お父さん、お母さんに“介護を理由に仕事まで辞めてズルいよな”って言ったんだって?」と問いかけました。すると夫は悪びれることなく笑いながら「介護を理由に仕事辞めてラクしてんだろ?三食昼寝付きでいいよな〜」と吐き捨てたのです。その言葉に、娘はあえて軽い調子で「そうだよね〜。じゃあ“戒め”に離婚届でも書いとけば?」と仕掛けたのです。すると夫はまんまと乗せられ、「そうだな!離婚したら三食昼寝付きの生活を手放すことになるんだもんな!だから“離婚届を書いておけば言うこと聞くだろ”って意味だよな!」と得意げに言いながら、離婚届に署名したのです。そして「俺はいつ離婚してもいいから。あいつがちゃんとやるなら離婚しないでやるよ」と言い放ったのでした。
そして翌朝。娘から記入済みの離婚届を手渡された私は、そのまま家を出ました。ダイニングテーブルには『楽な介護はあなたにお任せします。元・妻より』と1枚のメモだけを残し……。その後、離婚届は無事受理され、私は晴れて“元・妻”に。
数日後、元夫が娘の家へ怒鳴り込んできましたが、私は静かに「私はもう、あなたの嫁じゃありません。あなたの望んだ“三食昼寝付きの生活”、存分に楽しんでください」とひと言。元夫は何も言い返せず帰って行きました。私と娘は3食昼寝つきとはいきませんが、穏やかな日々を過ごしています。
◇ ◇ ◇
介護は、家族の誰かひとりが背負っていいものではありません。限界を超える前に助けを求めること、ときには“離れる”という選択をすることも、自分と家族を守る大切な行動なのかもしれません。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、仕事と介護の両立に追い詰められた女性が、夫から「ラクしてズルい」と心ない言葉をぶつけられる様子が描かれていました。そんな彼女の前に、最強の味方として現れたのは大学生の娘。娘が仕掛けた「離婚届」という大胆な作戦によって、傲慢だった夫は思わぬ現実を突きつけられることになります。
続く2つ目のエピソードでも、夫の冷酷な本性が浮き彫りになっていきます。自分をかわいがってくれた義母が亡くなり、悲しみに暮れる主人公に対し、夫は「代わりに介護を引き継げ」と平然と言い放ちます。そんな彼女を救ったのは……!?
義母が他界…葬儀後に遺品整理していると私宛の1通の手紙が→夫と離婚したワケは

結婚してすぐ、私たちは義両親の近くに住み始めました。義母はやさしく、近くに暮らしていても不満はなかったのですが……。
叱られてばかりの私に、義母がくれた“ひと言”
夫はいつも私を叱りました。料理には毎日ダメ出しをされ、親戚の名前が覚えられずに夫に聞こうとすると「ちゃんと覚えろよ」と怒られます。夫には聞きづらく、つい義母を頼ってしまうと、義母に話しました。
義母は少し困ったように笑いながら、「1回会ったくらいで覚えられるわけないわよ。料理も慣れよ。私も昔は苦労したわ」と言ってくれました。さらに、「私には何度でも聞いていいからね。もう私の娘なんだから、絶対に怒らないからね」と笑顔で続けてくれたのです。
私はその言葉に救われました。結婚してからずっと小さく縮こまっていた心が、ふっとほどけた気がしました。
義母が病気に…夫が真っ先に口にしたのは
そんな穏やかな時間は、突然終わりました。義母にがんが見つかり、転移している可能性もあるというのです。
私は言葉を失いました。義母はまだまだ元気で、教わりたいこともたくさんあるのに……。あまりに突然で、心が追いつきませんでした。ところが、夫の口から出てきたのは、義母の体を案じる言葉ではありませんでした。
「もし何かあったら、父さんのことどうしようかな……」
「母さんには父さんの介護をしてもらいたかったのに」
義父は介護が必要な状態ですが、夫の口から出るのは“介護”のことばかり。私はショックを受けながらも、「明日は私が行くよ。お義父さんも不安だろうし」と言いました。すると夫は心配する様子もなく、「これからいろいろ頼むわ」とだけ言ったのです。
その瞬間、胸の奥に小さな違和感が残りました。
「茶箪笥に…」義母が私にだけ打ち明けたこと
それから1カ月後。私は義母が入院している病院へ、1人でお見舞いに行ったときのこと。義母は静かに言いました。
「私はもう長くないでしょう。お葬式代は用意してあるから、前もって口座から引き出しておいて。私に何かあってからでは引き出せなくなるからね」
さらに、寝室の茶箪笥の上から2段目にあるノートの存在を教えてくれました。葬儀社や親戚の連絡先、段取り――“その日”に向けた準備が丁寧に書き残されているといいます。私は泣きそうになりながら、「すごいですね」としか言えませんでした。
そしてもうひとつ、義母は私にお願いしました。「茶箪笥の片付けは、あなたにお願いしたいの。あれは私の大事な嫁入り道具だから」
私は頷き、「丁寧に扱います」と伝えると、義母は「あなたのおかげで、穏やかな最期を迎えられそうよ」と言いました。
義母の死後、夫「母さんの代わりに…」その瞬間
それからほどなくして、義母は急変し、あっという間に旅立ってしまいました。2週間後、遺品整理の最中、夫は茶箪笥を見て言いました。「あんな古くてボロい箪笥、捨てちまえよ。売っても金にならないし、ゴミにしかならないだろ」
私は「あれは形見だよ。なんでそんなことを言うの」と言い返しました。夫は最初の1日だけ顔を出し、金目の物がないか確認すると帰ってしまいました。
そして、「母さんの代わりに、これから父さんの面倒を頼むな。母さんがしていたことは全部、嫁であるお前が引き継ぐんだ」と言ったのです。
私は静かに答えました。「私が引き継ぐのは、お義母さんの意思だけ。お義母さんの遺言どおり、私は家を出ていきます」
茶箪笥の奥に残された、義母からの警告
夫は目を丸くしました。「遺言? そんなの知らないぞ」
私は、義母に頼まれて片付けた茶箪笥の引き出しの奥に手紙が隠されていたことを伝えました。私宛ての手紙。そこには、こう書かれていたのです。
――すぐにこの家から逃げなさい。
――この家に嫁いだ女は一生こき使われる。ボロ雑巾にされる前に逃げなさい。
夫は信じられないと怒りましたが、私ははっきり言いました。義母はあなたたち(義父や夫)に失望していたのだと。自分をこき使い、感謝の気持ちもない。入院しても、お見舞いにもほとんど来なかった。それがすべてです。
夫は「金を稼いで家を守っているのは男だ。女より男が大切にされるのは当然だろ」「離婚なんて許さない」「嫁としての責任を放棄するな」と言ってきましたが、私の気持ちは揺れませんでした。
私が「介護を自分でやりたくないだけでしょ。そんなに大黒柱のお義父さんが大事なら、あなたが世話をすればいいじゃない」と言うと、夫は「そんなの俺の仕事じゃない」と吐き捨てました。
夫はしぶりましたが、親戚の女性が味方になってくれ、どうにか離婚することができました。離婚後、夫は義父の面倒を見ていたようですが、心身ともに疲れ果て、嫌がる義父を施設に入れたと聞きました。親戚の話では、かつて威張っていた面影はなくなり、ひとりでひっそりと暮らしているとのことです。
私は、義母から病院で言われた「自分に誇りを持って、強く生きてね」という言葉を胸に、自分の人生を自分の足で歩いていきたいと思います。
◇ ◇ ◇
家族であっても、理不尽に耐え続ける必要はありません。自分の人生を守る選択は、決して「わがまま」ではないはずです。自分を大切にする勇気が、未来を変える第一歩になるのかもしれませんね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回の2つのエピソードに共通していたのは、自分勝手な理屈で妻を追い詰めた夫たちが、最後には「自分の身内」から愛想を尽かされるという結末でした。妻の苦しみを見ようとしなかった夫たちとは対照的に、妻の頑張りや痛みに気づき、手を差し伸べてくれた家族がいたことが印象的でした。
本当の味方は、苦しいときの頑張りや痛みをちゃんと見てくれている。絶望の淵で差し伸べられた温かい手が、新しい人生を歩み出すための大きな勇気を与えてくれた、そんな希望を感じるエピソードでした。