エスカレートする熱意
普段は夫が義父の暴走をなだめてくれていましたが、夫が数カ月に及ぶ長期出張に出たことで歯止めが利かなくなりました。大量の幼児用教材を買い込み、幼稚園から帰宅した息子につきっきりで問題を解かせる毎日。リビングの壁にはひらがなや九九、日本地図などの知育ポスターが所狭しと貼られ、その日のノルマが終わるまでは自由な遊びを許しません。
「忍耐力がないのは母親の甘やかしだ」
息子が泣き出すたびにそう責められ、私たち親子のストレスは限界に達していました。孫の将来を案じる気持ちは理解できるものの、5歳の幼児には過酷すぎる日々に、私はどうすることもできず途方に暮れていたのです。
息子の誕生日に響いた怒声
そんな息子の、5歳の誕生日。さすがの義父も、この日ばかりは勉強をお休みにすると言ってくれました。
私からのプレゼントは、息子がずっと欲しがっていたミニカー。嬉しそうに床を走らせて遊んだ後、息子は画用紙を広げてお気に入りのミニカーの絵を描き始めました。
穏やかな時間が流れていたのも束の間、部屋に入ってきた義父がその様子を見て表情をこわばらせました。
「こんな物があるから勉強に身が入らないんだ!」
突然声を荒げた義父は、息子からミニカーを無理やり奪い取ろうと手を伸ばしました。息子が必死に抵抗してもみ合いになった拍子に、強い力で引っ張られたミニカーは手から弾け飛んで床に激突。プラスチックの車体は、無残にも割れてしまったのです。「いくらなんでもひどすぎます」と抗議する私に、義父は悪びれる様子もなく言い放ちました。
「こんなおもちゃ、今すぐ捨てなさい。今から勉強しないと医者になれないんだぞ!」わが家は医療関係の家系でもなく、息子が医者を志しているわけでもありません。息子の人生は本人の意思を尊重したいと訴えても、「親が甘すぎる」と聞く耳を持たず、義父は自室に引きこもってしまいました。
ママ友の機転と問いかけ
ミニカーの事件から数日後の週末。息子の少し遅い誕生日祝いを兼ねて、幼稚園の仲良しの友だち親子が家に遊びに来てくれました。
子どもたちがリビングで楽しそうに遊ぶ様子を見守りながら、私はママ友に先日の出来事をため息交じりにこぼしました。「お義父さんに『あの幼稚園は遊びばかりだから、もっと教育熱心な園に転園させるべきだ』って言われてて……。机に向かう習慣がつかない園なんて無意味だって、一歩も引かないの」
子どもの自主性を尊重してくれる今の園に不満はないため、困り果てていると伝えると、ママ友は少し考え込んだ後、子どもたちの方に向かって声をかけました。
「ねえ、こないだの作品展で飾られてたあの絵、じいじに見せてあげなよ!」
その言葉に、一緒に遊んでいた友だちも「あの絵、すごいもんね!」と息子の背中を押しました。息子はハッとし、小走りで自分の部屋へと向かったのです。その慌ただしい足音を聞きつけたのか、「なんだ、騒がしいな」と義父が自室からリビングへ顔を出しました。ちょうどそこへ、息子が幼稚園から持ち帰った作品袋から一枚の画用紙を大事そうに抱えて戻ってきたのです。
「じいじ、これ見て!」息子が差し出した画用紙を見て、義父がいぶかしげな表情を浮かべたその時、ママ友がすかさず口を開きました。「あの、お孫さんの絵の才能について、先生がすごく驚いていたこと、ご存じないですか? おじい様の教育方針を気遣ってずっと言い出せなかったみたいですけど……」思いがけない言葉に、義父は改めてその絵に視線を落としました。
鞄から出てきた「特賞」
息子の手にあるのは、幼稚園の作品展で「特賞」の金色のシールが貼られた一枚の絵でした。画用紙の隅には「ぼくのじいじ」とつたない文字が書かれています。そこに描かれていたのは、大人が見ても驚くほど特徴を捉えた義父の似顔絵でした。眉間のシワや、いつも難しい顔をしている表情の癖まで、見事に表現されていたのです。
絵をじっと見つめたまま、義父は呆然と立ち尽くしました。「じいじは、いつもこんなに怖い顔をしているのか……」震える声でそうつぶやくと、義父の目から大粒の涙がこぼれ落ちました。「いい人生を歩ませたいと焦るあまり、この子の本当の才能を潰してしまうところだった」さらに義父は、亡くなった義母が美大出身だったことに触れ、「あいつの才能を受け継いでいるのかもしれないな」と目を細めました。
義父は膝をついて息子をきつく抱きしめ、「ごめんな」と何度も謝りました。そして私に向き直り、「申し訳なかった」と深く頭を下げたのです。思えば、男手一つで夫を育てる中で、義父は学歴や経済力でずいぶん悔しい思いをしてきたと聞いたことがあります。孫には絶対に苦労させたくないという、不器用ながらも深い愛情ゆえの行動だったのだと気づいたとき、私の胸のつかえもすっと下りていきました。
その日を境に、義父が勉強を強要することは一切なくなりました。代わりに、プロ仕様の上質なスケッチブックや色鉛筆をうれしそうに買ってくるように。相変わらず熱心な「教育じいじ」ではありますが、今は息子の好きなこと、やりたいことに寄り添ってくれています。
◇ ◇ ◇
子どもの将来を案じ、少しでも良い人生を歩んでほしいと願うのは、親や祖父母にとってごく自然な愛情の形です。しかし、大人が描く「理想のレール」が、必ずしもその子を幸せにするとは限りません。良かれと思った行動が、かえって子どもの可能性の芽を摘んでしまうこともあるでしょう。本当に大切なのは、自分の価値観を押し付けることではなく、目の前にいる子どものありのままの姿を見つめ、興味や関心に寄り添うこと。それが子どもが自分らしい花を咲かせるための、何よりの栄養になるのかもしれません。