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母の葬儀当日、夫「妹の結婚式に来なければ離婚だ!」私「後悔しない?」強気な夫の声が一瞬で震え始めた本当のワケとは?

母が亡くなったことを伝えたとき、義妹から最初に返ってきたのは、お悔やみではありませんでした。

「式はもう明後日で」
「新郎側にも、お義姉さんが来るって話していて」
「葬儀って、日程を少し後ろにずらせないんですか」

スマホを握ったまま、私はしばらく返事ができませんでした。母を送る準備をしている私に、義実家が求めていたのは、葬儀ではなく結婚式を優先することだったのです。

そして結婚式当日の朝、夫は葬儀場にいる私へ電話をかけてきました。

「親の葬式と妹の結婚式、どっちが大事なんだ?」

その一言で、私はようやく分かりました。この人たちに、もう何を説明しても無駄なのだと。

始まりは、母の入院より結婚式だった

母が入院して3カ月が過ぎたころのことです。私は仕事の合間に病院へ通い、着替えを届け、医師の説明を聞く。帰宅してから、また仕事に戻る。そんな生活が続いていました。

 

父はすでに他界していて、母にとって身内は一人娘の私だけです。迷う理由はありません。

 

ところが夫が気にしていたのは、母の病状ではありませんでした。義妹の結婚式が近づき、兄嫁の私にも出席してほしい、親族として顔を出してほしいと言い出したのです。

 

それだけなら、まだわかります。けれど話は、ただの出席ではありませんでした。私は店舗や展示会の空間デザインを仕事にしていて、業界内では少し名前を知られていました。夫はそのことを、勝手に義妹たちへ話していたようです。

 

さらに新郎側にも、

 

「うちには業界で少し知られたデザイナーがいる」

 

そんなふうに話を盛っていたと、あとから聞きました。義妹と義母が本当に欲しかったのは、私の手伝いというより、新郎側へ見せるための肩書でした。受付まわりを少し見てほしい、当日は親族にも紹介したい。そんな話を、私が出席する前提で進めていたのです。

 

けれど母の病状が悪くなってから、私は早い段階で、結婚式には関われないと伝えていました。母のそばにいたい。病状が思わしくない。今は結婚式のことまで考えられない。そう何度説明しても、夫は「病院にいれば安全だろ」「毎日行かなくてもいい」と平気で言います。

 

義母まで「娘の門出を祝ってあげたら、お母さまも喜ぶんじゃないかしら」と笑いました。その笑い方が忘れられません。相手を言い負かした人の笑い方でした。私は反論しながらも、ここで感情を爆発させたら余計に面倒になると思っていました。

 

母のことで頭も体もいっぱいで、義実家と争う気力まで残っていなかったのです。

 

 

少しずつ削られていった心

夫の言い分は、だんだん露骨になっていきました。母の検査日に義妹の式場との打ち合わせが重なったときも、「検査なんて延期すればいい」「1回ぐらい中止でもいいだろ」と言われたのです。

 

耳を疑いました。がんの経過を見るための検査です。中止していいわけがありません。

 

私は言い返しましたが、夫は「妹は一生に一度なんだぞ」と怒鳴るだけでした。私にも仕事がありました。締め切り前は深夜まで資料を開き、仮眠だけ取って病院へ向かう日もあります。食欲は落ち、冷蔵庫に入れた豆腐も手つかずのまま何日も過ぎ、気づいたときには傷んでいました。夜は病院から連絡が来る気がして、携帯電話を胸の上に置いたまま朝を迎えることも……。

 

夫はそんな私を見ても、「最近ずっと機嫌悪いよな」と言うだけです。機嫌の問題ではありません。何を食べても味がせず、歯を磨いている最中に急に涙が出る。そういう毎日でした。

 

それでも母の前では普通を装いました。病室では仕事の話をして、売店のプリンを半分こする。帰り際に「また明日来るね」と言うと、母は「無理しなくていいよ」と小さく笑いました。そのたびに、無理しないわけにはいかないと思っていました。

 

 

亡くなった直後に言われたこと

義妹の結婚式の2日前、母は急変して、そのまま亡くなりました。病院からの電話を受けて駆けつけたあと、手続きに追われ、気がつけば夕方です。喪主を務めるのは、私しかいませんでした。

 

震える指で義妹に連絡し、母が亡くなったこと、葬儀の準備に入ること、結婚式には出席できないことを伝えました。返ってきたのは、お悔やみではありません。

 

「それは大変でしたね……でも、式はもう明後日で」
「新郎側にも、お義姉さんが来るって話してしまっていて」

「今さら来られないなんて、私が大げさに話したみたいになるじゃないですか」

 

口調こそ取り繕っていましたが、話が進むにつれて本音が混じっていきました。

 

「葬儀って、日程を少し後ろにずらせないんですか」

 

そう言われたとき、私は一瞬、返す言葉を失いました。たしかに、火葬場や葬儀場の都合で葬儀の日程が動くことはあります。でも、それは遺族が故人を送るために調整するものであって、結婚式に出てほしいから母の葬儀を後回しにする、という話ではありません。

 

その夜、夫からも何度も電話が来ました。結婚式当日の朝には不在着信が何件も残り、やっと出ると、開口一番「本当に来ないつもりか」と怒鳴られました。

 

私は喪主として葬儀に出なければならないこと、どうやっても無理だということを説明しました。けれど夫は聞きません。

 

「お前の母親のせいで、俺の大事な妹の結婚式を台無しにするつもりか」

 

その言葉を聞いた瞬間、手の先が冷たくなりました。怒りより先に、体がすっと遠のく感じがありました。母が亡くなった現実だけでも息が苦しいのに、その死を「せい」と言われた。その事実が、胸に鈍く刺さりました。

 

 

 

葬儀場で終わったもの

夫はなおもまくしたてました。

 

「親の葬式と妹の結婚式、どっちが大事なんだ?」

「妹を優先しないなら、離婚だ離婚!」

 

私は一度、息を吸い直しました。壁に手をついたまま、受話器を握り直します。

 

「……いいけど後悔しない?」

 

夫は一瞬だけ黙りました。

 

「え?」

 

その声でわかりました。夫は本気で離婚したかったわけではない。私を脅せば、また折れると思っていたのです。

 

「だから、離婚でいいわ。今日は母の葬儀に出るから」

 

夫はすぐに「そういう意味じゃない」と言いました。取り消したい、忘れてくれ、今は式のことで頭に血が上っているだけだ。言うことが一気に小さくなっていきます。でも、もう聞く気にはなれませんでした。

 

「話は葬儀が終わってからにしましょう」

 

そう言って、私は電話を切りました。

 

 

葬儀が終わったあと、私は司法書士と弁護士に相談しました。今住んでいるマンションは、もともと母の持ち物です。相続人は私だけで、夫に所有権があるわけではありません。

 

最初、夫は本気にしていませんでした。

 

「夫婦で住んでた部屋だろ。俺にも半分くらい権利があるはずだ」
「名義が誰だろうが、俺を勝手に追い出せるわけないだろ」

 

そんなふうに言っていました。けれど代理人を通じて名義や相続関係、退去期限について正式に伝えると、夫の声は少しずつ弱くなっていきました。

 

「……本当に、俺には何もないのか」

 

結婚式の朝のような勢いは、もうありませんでした。さらに夫は、離婚すれば私が持っている財産の半分を当然もらえると思っていたようです。最初は「弁護士なんて大げさだ」「脅すつもりか」と強気でした。

 

けれど弁護士から書面が届き、私への直接連絡を控えるよう伝えられると、夫はようやく事態の重さを理解したようでした。

 

実際には、夫が想像していたような財産はありませんでした。マンションは母から相続したもので、夫婦で築いた財産ではありません。私が結婚前から持っていた貯金も、離婚時に夫婦で分ける財産には基本的に含まれないと説明を受けました。

 

仕事用の口座についても、結婚後のお金の出入りがあるため、弁護士に中身を確認してもらいました。けれど、口座に残っている金額をそのまま夫婦で半分にするような単純な話ではありません。売り上げが入っていても、そこから材料費や外注費、税金などを支払う必要があります。確認した結果、夫が期待していたような大きなお金は残っていませんでした。

 

結婚後に夫婦で築いた財産も、ほとんどありませんでした。生活費の大半は私が負担し、夫が家計に入れていたのは毎月2万から3万円ほど。残りは趣味や飲み代に消えていたのです。

 

夫が思い描いていた「半分」は、現実にはどこにもありませんでした。母の葬儀より妹の結婚式を優先しろと言った人が、今度は自分の住む場所とお金の話だけをしている。その姿を見て、私は怒りよりも、ただ冷めていきました。

 

 

取り戻した日常

その後のやり取りは、代理人を通して進みました。別居、条件調整、書類の往復。時間はかかりましたが、夫は最終的に折れました。離婚が成立するまでには数カ月かかりました。

 

義妹からは、その間に一度だけ連絡が来ました。

 

「新郎側には、体調不良で欠席したと伝えています」

「もしどこかで聞かれても、話を合わせてもらえませんか」

 

そんなお願いでした。

 

私は「事実と違う説明に合わせるつもりはありません」とだけ返しました。後日、その話は義妹の夫にも伝わったようです。夫との離婚協議が進む中で、義母が親族に愚痴をこぼし、そこから話が回ったと聞きました。すると義妹からは、

 

「余計なことを言わないでください」

「向こうの家に、私が責められました」

 

というメッセージが届いたのです。もちろん私は返信しませんでした。私が何かを言いふらしたわけではありません。自分たちがしたことを、身内の中で隠しきれなくなっただけ。

 

私自身、離婚してすぐに元気になったわけではなく、母のいない部屋に帰るのは、今でもつらい日があります。けれど、夫の顔色を見て予定を変えたり、義実家の都合に合わせて謝ったりする時間はなくなりました。

 

朝起きて、洗濯機を回す。冷蔵庫を見て、足りないものを買って帰る。そういうことに使える気力が、少しずつ戻ってきています。

 

 

母の看病と死は、私にとって大きすぎる出来事でした。その最中に、夫と義実家の本性も見えました。私の気持ちを、夫は大事にしてくれなかった。私が限界でも、自分たちの都合を優先する。そこがわかった以上、もう一緒にはいられませんでした。両親がいない私にとって、離婚は寂しい決断でもありました。それでも今は、あのとき自分を守る方を選んでよかったと思っています。

 

【取材時期:2026年4月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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