旅行の出発を翌日に控えた午後、事態は一変しました。下校途中、娘が通りかかった車と接触したのです。
運転していた方が素早くブレーキをかけてくれたおかげで、大怪我は免れました。ただ擦り傷や打撲が多く、頭部への影響を確認するために数日の検査入院となったのです。
連絡を受けた夫は「大きな怪我じゃないならよかった」と胸をなでおろしました。
しかし、まだ7歳の娘がどれほど怖い思いをしたかを思うと胸が締め付けられます。もっと注意すべきだったという後悔が波のように押し寄せました。
旅行はキャンセルしない!
検査入院が決まっている以上、旅行はキャンセルすることになるでしょう。そう伝えると、夫の返答は予想を超えるものでした。
ホテルのキャンセル料が惜しい、義両親が楽しみにしている——そう繰り返しながら、夫は私と娘を留守番させて自分と義両親だけで旅行に行くと言い切ったのです。
娘が事故に遭って入院していることは、夫の中では旅行を中止する理由にならないようでした。私の制止も、キャンセルを求める訴えも、夫には届きません。
私の了承はいらないという言葉を残して電話が切れたとき、呆然としたまましばらく動けませんでした。
その夜、遅く帰宅した夫は私とろくに口も利かず、翌朝、本当に旅行に出発していったのです。まさか本当に行くとは思っていませんでした……。
最後の旅行
旅行先に着いたと夫からメッセージが届いたのは、10時過ぎのことでした。娘の様子を尋ねる言葉の後に、こんな一文がありました。「大したことなくてよかったよ。これで俺たちも安心して旅行を楽しめる」
入院中の娘がまだショックで怯えている中で、父親が「旅行を楽しめる」と自分本位に喜んでいる——その言葉を何度も読み返しながら、私の中で何かが静かに固まっていきました。怒りというよりも、覚悟に近い感覚でした。
「存分に楽しんで来て」そう返信したとき、私の中では決断が下りていました。この人とこれ以上一緒にいることはできないでしょう。
感情的になる前に、やるべきことを冷静に進めなければなりません。そう自分に言い聞かせながら、私は電話を手に取りました。
強い味方
電話をかけた相手は、夫と旅行中の義母でした。
義母は娘が交通事故に遭って入院していることを知りませんでした。義両親には「娘が風邪をひいてしまったので家で休んでいる」と伝わっていたよう。義母と話をする中で、夫の嘘が明らかになりました。
事実を知り、電話の向こうから聞こえる義母の声のトーンが変わりました。すぐに帰ると言ってくれましたが、私には少しだけ時間が必要です。予定通り旅行を楽しんでもらうようにお願いしました。
離婚を決意した以上、娘の生活環境を守るための準備を進めたかった私。転校せずに友人と通い続けられる環境を残しておきたいと思っていました。
義母は私の話を静かに聞いてくれました。そして、「家はあなたたちがそのまま使いなさい。息子には帰宅後、私から厳しく言って荷物をまとめさせ、放り出すから」と言ってくれたのです。
私は夫が不在の間に離婚届を用意し、必要な準備を進めていきました。娘の病室に通いながら、隙間の時間でできることを一つひとつ片付けていったのです。
旅行から帰宅
旅行から戻ってきた夫は、まだ義母から何も聞かされていないらしく、私を見て「機嫌が直ってるな、何かいいことでもあった?」と呑気に話しかけてきました。
私は穏やかに「離婚することにしました」と答えました。
夫は最初、冗談だと思ったようです。しかし手渡された離婚届を見て、顔色が変わっていきました。
この家を私と娘のために今後も貸す、夫だけ出ていくようにと義両親が言っていたこと、そして旅行中に離婚の準備を進めていたことを伝えると、夫はようやく事態の重さを察したのでした。
その後の話
その後、離婚の手続きは滞りなく進められました。
住まいについては、義両親に家賃という形で支払いをするつもりでいましたが、「孫の養育費の足しにしなさい」と言って受け取ってくれませんでした。孫の暮らす環境を守りたいという思いが義両親にもあったようで、心強い限りです。
今は娘と2人で、静かに日々を送っています。大変なことはたくさんあります。でも少しずつ前を向きながら、穏やかに過ごせている時間が増えてきました。
◇ ◇ ◇
家族全員で楽しみにしていた旅行だからこそ、誰一人欠けることなく、みんな笑顔で出発したかったはずですよね。それにもかかわらず、嘘をついてまで強行した夫の行動は、あまりに自分勝手ではないでしょうか。
本来、家族とは楽しいときだけでなく、苦しいときにこそ手を取り合い、支え合うもの。最も守るべき存在を蔑ろにした代償は、あまりに大きかったと言えるでしょう。
【取材時期:2026年3月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。