中卒という札を貼られた日
事の始まりは、義妹がうちに顔を出すようになってからでした。彼女は都内の中堅企業に勤める大卒で、「うちの会社って、最低でも大卒だからさ」と、何かにつけて口にする人でした。
私が中学卒業のまま社会に出たのには事情があります。進学を控えた時期に両親が事故に遭い、一命は取り留めたものの、進学どころではなくなったのです。そのことを話しても、義妹の反応は変わりませんでした。
「事情はあれど、中卒は中卒でしょ」
そう言って、彼女は冷蔵庫を勝手に開け、麦茶を注いでいました。
学校に通えなかった代わりに、私は十代のころから飲食店で働いてきました。けれど、そういう事情を並べたところで、義妹の見方が変わらないことは、最初の数分で察しがついたのです。
夫の実家は、義母が一人で切り盛りしてきた小料理屋でした。ところが、その義母が体調を崩して入院することになり、夫から頭を下げられて、私は義実家で同居しながら店を手伝うことになりました。
夫も店に入ることになりましたが、もともと料理や事務に深く関わっていたわけではありません。私は皿洗いから始まり、仕込みの補助、接客、レジ、手が空けば床拭きまで、できることを片っ端から覚えていきました。
義母が店に立てない間、料理は夫が中心になって回すはずでした。ただ、夫は細かな仕込みや味付けの調整が苦手で、私は義母に電話で確認しながら、煮物や小鉢、下ごしらえを少しずつ引き受けるようになりました。結婚前に飲食店で働いていた経験が、ここで役に立ったのです。
義妹はそれを見て、「中卒でも皿洗いくらいならできるし」「うちの兄と結婚できてよかったね」と笑うのです。返す言葉を探しているうちに、彼女はもう次の話題に移っていました。
気づけば、店の中枢にいた
店の現場に少し慣れてきたころ、事務作業も少しずつ回ってくるようになりました。最初に夫から頼まれたのは、伝票を箱に入れておくことや、業者に品番を伝えることくらいでした。
けれど、義母の入院が長引くにつれて、夫の粗さが目立つようになりました。数量を一桁間違えて発注したり、月末の請求書を放置したりすることが何度もあったのです。
「悪い、これも見ておいてくれ」
そう言われるたびに、私の机に紙の山が積まれていきました。最初は補助のつもりだったはずが、いつのまにか店の実務のほとんどを私が担うようになっていました。夫は「手伝わせてやっている」つもりでいたようですが、実際には、私が抜ければ何ひとつ動かない状態に近づいていたのです。
給与明細はありませんでした。タイムカードもなく、生活費として月に数万円を渡されるだけでした。「家族なんだから」と夫は言い、私はその言葉に飲み込まれていました。
半年が過ぎるころには、余りがちな食材を小鉢に活用して廃棄を減らし、常連客の好みをノートに残して接客に生かすようになりました。仕入れ先も見直し、月次の売上は前年同月比で8%伸びました。
それでも、義妹の口ぶりは変わらないのです。
「中卒なりに健気に頑張ってて偉いじゃん」
「お兄ちゃんに捨てられたら大変だもんね」
そう言われるたびに、胃の奥が固くなる感覚がありました。
私はそのころから、義妹が送ってきたLINEを、消さずに残すようにしていました。深い考えがあったわけではありません。店の数字を追うようになってから、紙もLINEも、何となく捨てずに残す癖がついていたのです。
「出ていけ」と言われた夜
義母が退院した日のことです。私はその日、月末の締め処理と仕入れの発注が重なり、事務作業が押していました。夫は「俺が先に帰って飯を作る」と言って、店を出たはずでした。
夜の7時半、義妹から電話が入りました。
「ご飯はいつ出てくるのよ」
義妹の話では、夫は「商工会に顔を出すだけ」と言って出かけ、そのまま飲み会になだれ込んでしまったようでした。義母は退院直後で台所に立てず、義妹は「私がやることじゃない」と言って、何も作らずに私を待っていました。
朝6時に起きて仕込みをし、昼は取引先に頭を下げ、夕方から帳簿を開く生活が、もう何カ月も続いていました。あと30分で帰れるから、と伝えた私に、義妹はかぶせるように言いました。
「あんたの段取りが悪いだけよ」
「嫁のくせに家事がおろそかになるなんてありえない」
冷蔵庫のものを使って自分たちで作ってくれないか、と頼んだ私に、義妹はいよいよ声を荒げました。
「中卒のくせに、こんなんで役立ってるつもりなわけ?」
「こんな中卒女を嫁としてもらってやったっていうのに!」
「家事もまともにできないなら、出ていきなさいよ」
スマホを持つ手は冷えていました。けれど、不思議と頭は冴えていました。私は息を一度だけ吐いて、こう返したのです。
「じゃ、遠慮なく」
電話の向こうで、義妹が黙りました。
「え?」と、ようやく漏れた声は、さっきまでの勢いが嘘のように細くなっていました。「ちょ、ちょっと待って。冗談だよね?」と続ける義妹に、私はこう伝えました。
「荷物は明日まとめます。今後の作業は対応しません」
そして通話を切りました。
その夜、私は店に戻り、未処理の請求書、発注待ちの品目、業者の連絡先を一枚にまとめて、事務机の上に置きました。鍵はフックに掛けたままにしました。私が逃げたと言わせないため、最低限の引き継ぎだけは形にしておきたかったのです。
翌朝、記録の取り方を変えた
翌朝から、夫と義妹の電話には出ませんでした。代わりに、私はLINEで一文だけ送りました。
「今後の連絡は、記録が残る形でお願いします。暴言が続く場合は弁護士に相談します」
義妹からは、午前のうちに何度も着信が並び、最後に長文のLINEが届きました。
「お兄ちゃんに手伝えって言われても、私、店の手伝いなんて一度もしたことないし」
仕込みの段取りも、仕入れ先の連絡方法も、彼女は何ひとつ知りませんでした。
「中卒の私でもできた仕事ですよ。今までずっと『中卒でもできる』って言っていましたよね。大卒のあなたなら、すぐに覚えられるはずです」
私はそう返して、画面を伏せました。
数時間後、夫からもLINEが来ました。仕入れ業者に電話したものの、「いつもの発注表と数量が違うので、確認できる方に代わっていただけますか」と言われ、続きが進まなかったそうです。帳簿は半年以上前から触っておらず、仕込みの手順も3カ月前から私任せでした。
「今までは家族だから生活費で済ませてたけど、これからは最低時給くらいは出す。だから戻ってきてくれ」
そう書かれた文面を、私はそのままスクリーンショットに残しました。家族として扱ってきたわけではなく、安い労働力として計算していたのではないか――少なくとも私には、そう読めました。
「離婚に向けて、別居中の生活費と、これまで店で働いてきた分の扱いを整理したいと思います。今後の連絡は、こちらが委任した弁護士を通してください」
私はそう返信しました。
伏せていた札
義妹から、改めて電話がかかってきたのはその数日後です。掛け売りの処理がわからない、教えてほしい、と言う彼女に、私はやんわりと断りました。
「中卒バツイチなんて、もらい手もいないんだから」
義妹はそう言って、最後にもう一度私を刺そうとしました。「まともな仕事にもつけないかもね」とも。
ここで、私は初めて口にしました。
「私、簿記2級は結婚前から持っていたの。今は1級の勉強を続けていて、調理師免許も持っているの」
電話の向こうで、義妹が急に黙りました。
調理師免許は、結婚前の勤め先で実務経験を満たして取ったものです。簿記2級も、そのころに夜間で勉強して取りました。義母の店を任されてからは、閉店後の30分と休日の午前だけ、1級の勉強を続けていました。毎日ではありません。それでも、通信講座の添削だけは止めませんでした。
義妹は、しばらく言葉に詰まったあと、「いつの間に、そんな時間どこに……」と小さく漏らしました。私はそれ以上、何も説明しませんでした。
記録が崩した店
調停に向けて、私は資料をファイル数冊にまとめました。義妹からの暴言LINE、夫の「最低時給」の一文、給与明細のない期間の労働時間メモ、改善前後の帳簿、廃棄記録、仕入れ比較表。弁護士は「少なくとも、勤務実態や経緯を説明する材料にはなります」と言いました。
夫は当初、離婚そのものに抵抗していました。けれども、未払いになっている可能性のある労務の対価や、別居中の生活費について整理されると、態度を変えました。常連や取引先に家族内の揉め事が知られることを、夫は極端に嫌がったのです。離婚は半年で成立しました。
店は、その後しばらくして一時休業に追い込まれました。発注ミス、予約連絡の取り落とし、請求書処理の遅れが重なり、一部の業者から掛け取引を止められたと、共通の知人から聞きました。義母からは一度だけ、荷物の受け取りに関する手紙が届きました。その中に、「娘には店を手伝う気がないようです」とだけ書かれていました。
私自身は、飲食店向けの会計事務所で、店舗運営の補助担当として働き始めました。簿記の資格と、店で積み上げた数字と現場の経験が、面接で評価されたのです。そして何度目かの挑戦で、簿記1級の合格通知が届きました。1級の封筒を、私は職場の自分の机の引き出しに静かにしまいました。
一人で暮らす部屋に移った最初の夜、私はようやくまともにご飯を食べました。あの夜、義母と義妹のために作る予定だった鯖の味噌煮を、自分のためにだけ煮ました。皿に盛って、味噌汁をつけて、テレビをつけずに食べました。
朝6時に起きる必要のない朝は、しばらく落ち着きませんでした。それでも半年もすると、その時間は1級のテキストではなく、自分の朝ご飯のためのものに変わっていきました。
中卒という言葉を、他人がどう使うかは止められません。けれども、その言葉だけで自分を測らせない準備は、これまでの十数年でちゃんとしてきたつもりです。閉店後の厨房で電卓を叩いていた時間も、結婚前の夜間に簿記の問題集を解いていた時間も、無駄ではありませんでした。あの鯖の味噌煮は、今もときどき、自分のためだけに煮ています。
◇ ◇ ◇
学歴や立場を理由に、誰かを見下していい理由にはなりません。家庭や親族の中では、「家族だから」という言葉で、負担の偏りが見えにくくなることもあります。違和感を覚えたときは、無理に飲み込まず、家族以外の身近な人や、弁護士などの専門家に相談することも大切なのかもしれませんね。
【取材時期:2026年3月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。