突然のことに戸惑いはありましたが、私は「家族になった以上、できる限り支えよう」と思い、義母と一緒に介護を頑張ることを決意しました。
介護と家事に追われる日々
私は結婚後も仕事を続けるつもりでしたが、現実は想像以上に大変でした。
義母は「他人を家に入れたくない」と介護サービスをほとんど利用せず、義父の介護は家族中心。そのうち介護も家事も、なぜか私ひとりの担当になっていったのです。
夫は仕事を理由にノータッチ。義母も「慣れてる人がやった方が早いから」と言うばかり。介護に加えて掃除、洗濯、料理まで毎日ひとりでこなし、私は仕事との両立が難しくなってしまいました。夫や義母に「介護か家事、どちらかだけでも手伝ってほしい」と何度もお願いしましたが、聞く耳を持ってもらえません。結局、私は仕事を辞めざるを得ませんでした。
唯一の救いは、義父がとても心やさしい人だったこと。
いつも「ありがとう」「悪いな」と声をかけてくれ、その言葉に何度も救われました。
しかしその後、義父の病状が急変。入院後まもなく、帰らぬ人となりました。
義母と夫の本音
義父の葬儀が終わったあと、義母は信じられないことを言いました。
「お金がある人だったから結婚したけど、ずっと我慢ばっかりだったのよ。やっと肩の荷が下りたわ~」
やさしい義父にそんな言い方……。私はショックで言葉を失いました。すると今度は夫が、耳を疑う発言をしたのです。
「父さんもいなくなったし、もうお前を家に置いておく理由もない。離婚してくれ」
「正直、お前には父さんの世話をしてもらえて助かった。でも、もう必要ないから」
義母も隣で大賛成の様子。私はその瞬間、自分がただの介護要員としてしか見られていなかったことに気付き、大きなショックを受けました。
解放と新たなスタート
でも時間が経つにつれ、悲しみより解放感の方が大きくなっていきました。
夫への愛情なんて、とっくに冷めていました。心やさしい義父が気がかりで離婚できずにいただけだったのです。最期まで見届けることができた今、もう何も心配はいりません。私は夫と離婚する決意を固めました。
夫は以前から準備していたのか、証人欄まで記入済みの離婚届を差し出してきました。
私はそれを受け取り、「わかった、出してくるね」とその場をあとにし、後日、無事に離婚が成立しました。その後、家を出て久しぶりに自由な生活を取り戻したのです。
「助けてほしい」と連絡が
ところが離婚後しばらくして、元夫と元義母から電話がかかってきました。
話を聞くと、義父は生前から福祉団体などへ寄付を続けていて、ほとんど財産が残っていなかったそうです。義父の遺産をあてにして、すでにあれこれお金を使っていた二人は、生活がどんどん苦しくなっていったのだとか。
その後、元夫から何度も連絡が来るようになりました。
「頼む……悪かった。俺たち、本当に生活が苦しいんだ」
「今になって分かった。全部お前に押しつけてた」
義母も「あなたには苦労ばかりかけてしまった」と謝ってきましたが、私の中ではもう全部終わった話。気付くのが、遅すぎたのです。私は「もう縁の切れたお二人のことなので、ご自身で解決してください」と伝え、電話を切りました。
後から親戚づてに聞いた話では、家のことをすべて私に任せきりだった元夫と義母は、生活が一気に回らなくなり、家は荒れ放題になったそう。義母は、近所の人に「お嫁さんに全部押しつけていた」と愚痴をこぼしてしまい、周囲から冷たい目を向けられるようになったのだとか。元夫も家事と仕事の両立に苦労しているらしく、ようやく私が当たり前のようにやっていたことの大変さに気付いたそうです。
元夫と義母に振り回された時間は戻りません。でもこれからの人生は、自分のために使えます。今度こそ前を向いて、自分らしく歩いていこうと思います。