記念日の前の、給湯室で
その日は朝から落ち着きませんでした。今週末で結婚7年目です。レストランの予約は半年前から取っていました。子どもも楽しみにしていて、保育園の連絡帳に「おうちにかえったらおでかけ」と書いてあったのを、前夜に見たばかりです。
その日の午後、給湯室で後輩に呼び止められました。会社の中で、いつも明るく振る舞っている後輩です。
「先輩、今週末、結婚記念日でしたよね」
何気ない雑談だと思いました。ただ、夫の名前まで知っていたので、少し違和感を覚えたのです。そのあとに続いた言葉は、自分でも処理が追いつきませんでした。
「実は私たち、ちょっと前から会ってるんですよね」
「彼、なかなか先輩に言えないみたいだったので。私から言ったほうが早いかなって」
「結局、私を選んでくれたんです」「このネックレス、先輩が前にかわいいって言ってましたよね」
「先輩は、おねだりしなかったんですか? 私は『かわいい』って言っただけで、すぐ買ってもらえました」
そう言って、後輩はスマホの画面をこちらに向けました。そこには、夫とのやり取りと、ネックレスを着けた後輩の写真が並んでいました。
「早くちゃんと話すから、もう少し待って」
画面を直視するだけで精いっぱいでしたが、その一文だけは嫌でも頭に残りました。
見下しの言葉と、空っぽの感情
後輩は、笑いながら続けました。
「先輩には会社でいつもお世話になってるのに、本当にごめんなさい〜」
「旦那さん、先輩より私のことを女として見てくれてるみたいです」
私は、自分でも驚くほど落ち着いた声を出していました。
「そう、よかったね」
後輩の顔から、笑みが消えました。勝ち誇った表情が、ほんの一瞬で崩れたのがわかったのです。
「は?」
その声には、驚きよりもいら立ちがにじんでいました。泣くか怒るかすると思っていたのでしょう。
「もう十分よ。教えてくれてありがとう」
返事をしたあと、自分の声が他人のもののように聞こえました。胸の奥は熱くなっているのに、顔だけが冷えていくようでした。
その日のことは、断片しか覚えていません。マグカップをデスクに置いて、午後の業務をこなしました。保育園のお迎えにも、いつも通りの時間に着いたのです。子どもが「ホテルランチ、あと何回寝たら行くの?」と聞いてきたとき、喉の奥が詰まりました。笑って答えたつもりでしたが、声が少し震えていたと思います。手をつないで歩く指先だけが、やけに冷たかったのを覚えています。
家に戻り、子どもの夕食を作りました。卵焼きを焦がしたのは、結婚してから初めてだったと思います。子どもを寝かしつけたあと、リビングで動けなくなりました。怒りより先に、情けなさが来ました。どうして私だけが、子どもの明日の準備をしながら、夫の裏切りまで受け止めなければならないのだろう、と思ったのです。
記念日の取りやめと、静かな準備
夫が帰宅したのは、日付が変わるころでした。私は、後輩から聞いた話と、彼女が着けていたネックレスのことを、声を荒らげずに伝えました。
夫は最初こそ「誤解だ」と言いかけました。けれど、後輩から見せられたやり取りの内容と、彼女が着けていたネックレスの話を具体的に伝えると、黙り込みました。しばらくして、夫は「本気ではなかった」と言いました。後輩に頼られて、まだ男として見られている気がして浮かれたのだと。言い訳にもならない言葉でした。
その瞬間、夫婦として何かが終わったのだと思いました。不倫そのものも許せませんでした。でも、子どもが指折り数えていた家族の予定の裏で、夫が別の女性とそんなやり取りをしていたことが、一番こたえました。
もう、この人を信じて家族を続けることはできない。そう思ったのです。
週末のレストランはキャンセルし、子どもには「ママの体調がよくないから、また今度ね」とだけ伝えました。
そこから数週間、私は淡々と動きました。家計の通帳を整理し、児童手当や保育料の手続きについても、市役所で確認しました。スマートフォンに残っていた他のやり取りも、別のクラウドに保存したのです。市役所の無料法律相談にも、平日の休みを取って足を運びました。夫や後輩への請求については、弁護士に任せることにしました。
夫には家を出てもらい、離婚については弁護士を通して話し合うことになりました。子どもとの面会交流の条件も、離婚協議とあわせて弁護士に相談しながら進めることに決めたのです。
それでも、夜になると不安が押し寄せました。養育費は受け取れる見込みがあるとはいえ、それだけで不安が消えるわけではありません。子どもとの生活を、自分の収入でどこまで支えられるのか。家計簿のページをめくる手が止まらず、数字を書き写しているうちに、ノートに涙がぽとりと落ちた夜もあります。保育園の延長料金、学資保険、家賃。足りない数字ばかりが目に入りました。
後輩からの「心配」
職場では、後輩と顔を合わせる日々が続きました。正直、耐えられませんでした。給湯室の前を通るだけで、あの日の声が耳に戻ってくるようでした。それでも、感情だけで辞めるわけにはいきません。子どもとの時間を守れて、今より収入面でも安心できる会社に移る必要がある。そう考えて、転職活動を始めたのです。
そのことを、後輩はどこからか聞きつけてきました。
「子持ちで時短勤務希望なんですよね? そういう人を、わざわざ採用する会社ってあるんですかね」
私は「心配ありがとう」とだけ返しました。書類選考で落ちるたびに、自分には何も残っていないような気がしました。履歴書を書きながら、隣の部屋で眠る子どもの寝息を何度も確認したのです。この子の生活だけは崩したくない。その気持ちだけで、何とか踏ん張っていました。
数カ月後、後輩からの「報告」
転職が決まり、夫とは別居したまま、弁護士を通して離婚の話を進めていました。後輩と夫の関係は、まだ続いているようでした。そんなある日、後輩から連絡が来ました。
「先輩、転職先ってどんな会社なんですか?」
「子持ちの先輩を採用するくらいだから、結構ゆるい会社なんですかね」
返事をしないでいると、後輩は勝手に話を続けました。
「明日、地元で有名な会社との商談を任されたんですよ」
「彼って仕事もできるし、本当に最高〜。うまくいけば昇格に近づくらしくって」
私は、少しだけ沈黙してから言いました。
「じゃあ、明日の商談に来るのって、あの人なんだ」
「実は私の転職先、その会社なのよ」
「部長から、明日の商談に同席するよう言われているの。資料確認と条件面のチェックを任されていて、私も判断材料を出す立場なのよ」
電話の向こうで、後輩の声が止まりました。
商談の席と、財務資料
翌日の商談は、淡々と進みました。会議室に入った瞬間、夫の顔が固まったのを覚えています。資料を出す手が震えていました。動揺しないよう、用意していた質問を一つずつ確認しました。
商談後、提出された資料をもとに、部長とあらためて財務状況を確認しました。私が在籍していたころとは状況が変わっており、黒字見込みだったはずの数字は赤字に転じていました。自己資本比率も低く、新規事業の伸び悩みが他の事業にも影響していることが、資料から見えてきたのです。
私は、夫が相手先の担当者であることも含めて、部長に事情を共有しました。そのうえで、数字と条件面だけを見て、契約を見送るべきだと伝えたのです。
「事情がある中で、よく冷静に対応してくれたね。判断材料も妥当だったと思う」
部長は、そう言ってくれました。
崩れていく二人
その日の夕方、後輩から電話が来ました。声が震えていました。
「契約を見送るなんて、ひどいですよ」
「あの人、昇格のためにすごく張り切っていたんです。大事なチャンスだったのに」
私は、財務資料で見えた事実を、淡々と伝えました。黒字見込みが赤字に転じていること。今期を乗り越えられるかどうかの状態であること。社内では人員整理の可能性もささやかれていること。
「私情で断ったわけじゃない。数字を見て、会社として無理だと判断しただけ」
そう言うと、電話の向こうが静かになりました。
「それに、私の転職先を『子持ちでも入れるゆるい会社』みたいに言っていたよね。その会社の判断に、今さら情だけ求められても困るよ」
数日後、夫からも連絡が来ました。契約の見直しと、家庭のやり直しを頼む電話です。後輩はしつこかっただけ、付き合ったのは流されただけ、もう別れるつもりだ、家族の大切さを思い直した、と続けたのです。子どもにも会いたい、と。
私は答えました。
「業務上の判断は変わりません」
それから、少し間を置いて続けたのです。
「それと、私生活でも、あなたとやり直す理由はありません。子どものことは、弁護士を通して話しましょう」
電話を切ったあと、私は着信履歴を閉じました。リビングから、子どもの「ママ、おなかすいた」という声が聞こえました。
あれから、夫の会社では噂通りの人員整理があり、夫も以前のような立場ではいられなくなったと人づてに聞いています。後輩は、夫から「家庭に戻りたい」と言われたうえ、職場でも居づらくなり、結局退職したそうです。私に見せつけていた話を自分から周囲に漏らしていたらしく、周囲の目は想像以上に冷たかったようです。離婚の手続きは、弁護士に任せて淡々と進めました。
記念日の翌週、私は子どもの夕食の卵焼きを焦がしました。リビングで動けず、自分のごはんは食べられませんでした。それでも今は、保育園の帰り道に夕飯の買い物をして、子どもと今日あったことを話せるようになりました。あのネックレスのことを思い出す日は、もうほとんどありません。家族の形は変わりましたが、私たちの生活は、少しずつ前に進んでいます。
◇ ◇ ◇
裏切りを知ったとき、本当はすぐに泣いたり怒ったりしたくても、現実には、子どもの夕食や翌日の準備など、感情より先に生活を回さなければならない場面もあるのでしょう。
冷静に見える人ほど、傷ついていないわけではなく、必死に踏ん張っているのかもしれません。つらいときこそ、ひとりで抱え込まず、証拠を残す、相談先を探すなど、できることから暮らしを守っていきたいですね。
【取材時期:2026年4月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。