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急死した母に会いに行くのを止める義母「うちの法事が優先よ!」私「じゃあ嫁辞めますね」法事当日、義母が青ざめたワケ

玄関に置いた大きな荷物を見つけた義母が、血相を変えて駆け寄ってきました。

「どこに行こうとしてるの!?」

私はつい1時間前、兄からの電話で母の急死を知らされたばかりでした。今から新幹線に乗れば、夜には実家へ着く。母の顔を見て、兄と一緒にこれからのことを決めなければならない。そう思い、荷物をまとめていたのです。

けれど、事情を知った義母の口から出たのは、耳を疑うような言葉でした。

それが、10年間続いた我慢に終止符を打つきっかけになったのです。

急死の知らせと、玄関での押し問答

兄からの電話を受けたとき、私はスマホを握ったまま、しばらく声が出ませんでした。

母は自宅で倒れ、そのまま帰らぬ人になったといいます。頭の中が真っ白になりながらも、実家へ戻らなければという思いだけはありました。最低限の着替えをバッグに詰め、玄関で新幹線の時間を確認していたとき、義母が声をかけてきました。

 

「そんな大きな荷物を持って、どこへ行くの?」

「実家です。さっき兄から連絡があって、母が亡くなったそうで……」

 

自分で口にした途端、また胸が詰まりました。義母は驚いたように目を見開き、しばらく黙っていました。けれど、私が靴を履こうとすると、すぐに玄関へ下りてきたのです。

 

「今から行くの? 週末の法事はどうするつもり?」

 

その言葉を聞いて、私は顔を上げました。義母は以前から、私が実家のことを優先するのを快く思っていませんでした。母に電話をしただけで、「結婚したのに、いつまで実家のことばかり気にしているの」と言われたこともあります。

 

それでも、母が亡くなったと伝えた直後まで、同じように言われるとは思っていませんでした。

 

「母のことなので、まずは実家へ戻ります。法事のことは、戻ってからできる範囲で対応します」

「戻ってからって……。こちらにも予定があるのよ。急にいなくなられたら困るでしょう」

母が亡くなったと伝えた直後に、義母の口から出てきたのは、私を気遣う言葉ではなく、週末の法事の心配でした。

 

「すみません。でも、今は母のところへ行かせてください」

 

そう言って荷物を持ち上げようとすると、義母は私の前に立ちました。

 

「もう亡くなっているんでしょう。今すぐ行ったところで、何が変わるの?」

 

その言葉に、息が詰まりました。

 

母の死を知ってから、まだほとんど時間はたっていません。顔を見たい。兄のそばにいたい。娘として、母のためにできることをしたい。そう思うのは当然のことだと思っていました。

 

けれど義母にとって大事なのは、私の気持ちでも、亡くなった母のことでもなく、自分が予定していた法事の準備だったのです。

 

「法事までは、まだ日があります。必要なことがあれば、夫にも相談します。だから、今日は行きます」

 

私がそう伝えると、義母は不満そうに顔をしかめました。

 

「あなたのお母さんだって、娘が嫁いだ家の法事を放り出してまで来てほしいとは思わないんじゃない? それに、こんな時期に亡くなるなんて、間が悪いわね。週末にはうちの法事があるのに」

 

母が悪いわけではありません。亡くなる時期を責められる理由など、どこにもないはずです。最後に顔を見たい。きちんと別れを告げたい。そう願う娘の気持ちを、母が拒むとは思えませんでした。それなのに義母は、母の死さえも「嫁ぎ先の都合」を乱すもののように扱ったのです。

 

悲しいのか、悔しいのか、自分でもわからないまま、手が震えました。それでも、ここで義母の言うことを聞くつもりはありませんでした。私は母のもとへ行く。その気持ちだけは、もう変わりませんでした。

 

 

「じゃあ嫁辞めます」

押し問答は平行線をたどりました。私が食い下がるたびに、義母の声は大きくなっていきます。そして、とうとうこう言いました。

 

「嫁はうちの法事の準備をしていればいいの。あなたはもう、うちに嫁いだんだからうちの人間なの。自分の都合で動かれたら困るの」

 

母が亡くなったことまで、「自分の都合」と言われたように感じました。これまでも、義母に何か言われるたび、私が我慢すれば収まるのだと思ってきました。夫の母親なのだから、波風を立てない方がいい。そう自分に言い聞かせて、何度も飲み込んできたのです。

 

けれど、その日は無理でした。

 

「じゃあ……、嫁辞めます」

 

義母は「え?」と言って、意味がわからないという顔で、私を見ました。

 

「母のもとへ行くことさえ許されない家で、これ以上、嫁として振る舞うつもりはありません。離婚も含めて考えます」

 

口に出した途端、迷いは消えていました。
 

 

夫の本性と、態度の急変

私が玄関で義母と言い争っている最中、夫が仕事から帰ってきました。荷物を抱えた私と、興奮した義母を見て、夫はようやく事情を尋ねました。

 

母が亡くなったこと。すぐに実家へ戻ろうとした私を、義母が止めたこと。母の死を「間が悪い」とまで言われたこと。

 

すべてを話しても、夫が最初に口にしたのは、私へのいたわりではありませんでした。

 

「母さんも、法事のことで気が立っていたんだよ」

 

その言葉を聞いたとき、私は悟りました。この人は、今日も私ではなく母親の側に立つのだと。

 

「私、もうこの家では暮らせない。離婚も考えてる」

 

夫は、驚いたように私を見ました。

 

「離婚って……そこまでの話じゃないだろう」

「私にとっては、そこまでのことだよ」

 

私は、これまで夫に訴えてきたことを、もう一度話しました。料理を出すたびに、義母から「まずい」「味がない」と責められてきたこと。私の実家を「程度が低い」と見下されたこと。学生時代の友人の結婚式の二次会も、久しぶりの同窓会も、法事や親戚付き合いを理由に断らされたこと。

 

そのたびに私は夫へ相談していました。けれど、返ってくるのはいつも同じ言葉でした。

 

「母さんは、そういう人だから。まともに受け取るなよ」

 

けれど、受け取らずに済むはずがありません。何度訴えても取り合ってもらえないうちに、私は自分の感じ方の方が間違っているのではないかと思うようになっていました。

だから数年前から、義母に言われたことや、その日に起きたことを、スマホに記録していたのです。後で読み返したとき、自分が大げさに受け止めていたわけではないと確認するためでした。

 

最近では、義母が声を荒らげ始めたときだけ、録音することもありました。その日も、義母に実家へ戻るのを止められた時点で、録音を始めていました。

 

「今日のことも、残ってるから」

 

私がそう告げると、夫は黙り込みました。

 

しばらくして、「俺だって、板挟みで苦しかったんだ」と絞り出すように言いました。

けれど、私はもう聞き流せません。

 

「お義母さんが私を責めているとき、一度でも止めてくれた? 私の味方だと言ってくれたことが、一度でもあった?」

 

夫は答えませんでした。目を伏せたまま、ようやく「……なかったかもしれない」とつぶやきました。それでも、私が離婚まで考えているとわかると、夫は急に焦り始めました。

 

「今回の法事は俺が何とかする。母さんにも、もう口を出させない。だから、離婚なんて言わないでくれ」

 

その言葉を聞いて、怒りより先に、むなしさが込み上げました。

 

「法事をどうするかだけの問題じゃないよ。お母さんが亡くなった私に、実家へ行くなと言った人を、あなたは止めなかった。それなのに今になって、離婚だけはやめてほしいと言われても、もう遅い」

 

夫は何も言い返せませんでした。私はそれ以上話すのをやめ、実家へ向かうための荷物を手に取りました。

 


 

「特別に許してあげる」

母の葬儀を終えたのは、義父の三回忌を翌日に控えた夜でした。

 

葬儀を終え、実家で兄と最低限の手続きを済ませてから、いったん同居していた家へ戻った日の夜、義母が私の部屋の前に立っていました。息子が頭を下げたから、今回の帰省だけは特別に許してあげる、私と息子の寛大さに感謝しなさい、と。

 

母を亡くして実家へ戻った私の行動さえ、義母の中では「許してあげる」ものなのだと思うと、言葉を失いました。葬儀と法事は別の日です。日程は重なっていないと伝えても、準備が重なっていると言い張りました。そして法事の料理も、親戚への連絡も、席次表も、すべて私の担当だと一方的に押し付けてきました。

 

「少しはご自身でやっていただけませんか。母を見送ったばかりで、実家の手続きも残っていて、とても法事の準備まで手が回りません」

 

そう伝えました。

 

けれど義母は、「これは昔から嫁の仕事」「伝統だ」と取り合いません。当日ひとつでもミスがあったら覚悟しなさい、とまで言いました。私は「わかりました」とは、ついに一度も言いませんでした。引き受けられないことは、その場ではっきり伝えました。念のため、その夜、夫と義母には「母を見送ったばかりで、実家の手続きも残っています。義父の三回忌の準備は引き受けられません」と、メッセージでも送っておきました。

 

持ち出したい荷物は思っていた以上に多く、夜のうちにすべてを運び出すことはできませんでした。私は翌朝、残りの荷物をまとめてから実家へ戻るつもりで、その晩だけ自室で休みました。

 

 

法事当日、義母が焦ったワケ

義父の三回忌当日、私は朝から自室で荷物を整理していました。

 

昼前になると、親戚が少しずつ集まり始めました。ところが、仏間の準備は中途半端なまま。料理は人数分に足りず、返礼品も用意されていません。席順も決まっておらず、到着した親戚たちは所在なさそうに座敷で待っていました。

 

やがて義母が、私の部屋の戸を勢いよく開けました。

 

「ちょっと、どういうことよ! 料理も返礼品も足りないじゃない!」

 

私は手を止め、義母を見ました。

 

「私にはわかりません。準備は引き受けられないと、お伝えしましたよね」

 

「そんなの聞いてないわよ! 嫁なんだから、普通は言われなくてもやるものでしょう!」

 

義母の声は、座敷にいる親戚にも聞こえていたはずです。私はスマホを手に取り、義母に見せました。

 

「母の葬儀を終えたばかりで、こちらの法事の準備まではできません。そうお伝えしたメッセージも残っています」

 

そのとき、廊下に出てきた親戚の一人が、義母に声をかけました。

 

「お嫁さんのお母さま、亡くなったばかりなの?」

 

義母は、何も答えませんでした。

 

「そんな時期に、法事の支度まで任せようとしていたの?」

 

責めるような声ではありませんでした。けれど、義母にとっては、怒鳴られるよりこたえたのだと思います。親戚の視線が集まる中、義母は唇を震わせたまま黙り込みました。

 

そこへ夫が駆け寄ってきました。

 

「母さん、もういいから。俺が何とかする」

 

夫はそう言いましたが、私は首を横に振りました。

 

「もう、あなたが何とかするかどうかの問題じゃない。私は今日、ここを出るから」

 

夫の顔色が変わりました。

 

「本気で言ってるのか。母さんとは別居する。だから、もう一度やり直そう」

「それを、私が傷つけられる前に言ってほしかった」

 

私は、荷物を入れたバッグのファスナーを閉めました。

 

「母が亡くなった日に、私は実家へ行くことさえ止められた。母のことまで侮辱された。それでもあなたは、お義母さんを止めなかった。もう十分です」

 

その日のうちに、私は実家へ戻りました。

 

後日、私はスマホに残していた記録と、義母に実家へ戻るのを止められたときの録音を持って、弁護士に相談しました。

 

夫と離婚に向けた話し合いをするにしても、話がまとまらず調停を申し立てることになるにしても、これまで何があったのかを整理しておくことは大切だと言われました。

 

義母から受けてきた言動。それを夫に相談しても、止めてもらえなかったこと。母が亡くなった日にも、夫が私ではなく義母をかばったこと。私は、覚えていることを一つずつ書き出していきました。

 

同居を始めたばかりのころ、義母から離婚届を突きつけられたことも、そこで初めて話しました。

 

「言うことを聞かない嫁は、いつでも出ていけるようにしておいた方がいい」

 

そう言われた夜、怖くなった私は、兄に相談のメッセージを送っていました。削除できずに残っていたそのやり取りも、相談資料として見てもらいました。

 

私が受けてきたことを一つずつ言葉にしていくうちに、ようやくわかりました。私はずっと、家族として扱われていたのではありません。義母の言うことに従う存在として、この家に置かれていただけだったのです。

 

 

 

母が遺したもの

しばらくして、義母から電話がありました。


親戚に事情を知られ、肩身が狭くなった。息子とも以前のように話せなくなった。だから、もう一度やり直せないか、と。

 

そして最後には、こう言いました。

 

「離婚して、あなた一人でどうやって生きていくの」

 

私は、静かに答えました。

 

「自分で働いて、生きていきます。母もずっと、そうして私を育ててくれましたから」

 

母が残してくれたのは、大きな財産ではありません。実家に置かれていたアルバムと、少しの預金。それから、兄と私に宛てた短い手紙でした。そこには、「自分を大事にしなさい」と書かれていました。

 

母は、私を育てるためにずっと働き、最後まで私のことを気にかけてくれた人です。そんな母の死を、法事の準備より後回しにしていいもののように扱った義母とは、もうわかり合えることはないと思いました。

 

 

離婚が成立して、半年がたちました。あの日、玄関で荷物を抱えながら震えていた自分を、ときどき思い出します。母のもとへ向かうことさえ許されないのかと、悔しくて、悲しくて、声も出ませんでした。

 

それでも私は、母に会いに行きました。

 

棺の中の母は、いつもと変わらない穏やかな顔をしていました。自分のことは後回しにして、私を育ててくれた母。最後にその顔を見たとき、こらえていた涙が一気にあふれました。

 

あの日、義母に止められても実家へ向かって、本当によかったと思います。母の顔を見て、きちんと別れを伝えられたことは、今も私の支えになっています。

 

今は仕事を続けながら、少しずつ生活を立て直しています。夫から連絡が来たこともありましたが、やり取りは必要なことだけにとどめました。もう以前のように、相手の機嫌をうかがいながら暮らすことはありません。

 

母が手紙に書いてくれた「自分を大事にしなさい」という言葉を、ときどき思い出します。

 

あのころの私は、つらくても我慢することが、家族のためなのだと思っていました。けれど、母を亡くした日にまで我慢を求められて、ようやく気付いたのです。私が守ろうとしていたものは、私を大切にしてくれる関係ではなかったのだと。

 

母は最後に、私がこれ以上我慢し続けなくていいことを、教えてくれたのかもしれません。

 

あの日、義母に止められても母のもとへ向かい、最後にきちんと顔を見て別れを告げられたこと。今は、そのことを何よりよかったと思っています。

 

◇ ◇ ◇

 

結婚して家族になっても、その前に一人の人間であり、それぞれに大切な人がいます。母親を亡くした悲しみに寄り添うどころか、「嫁だから」と我慢を強いる義母と、それを止めない夫に、限界を迎えたのも無理はないでしょう。家族という言葉で尊厳まで奪われる関係なら、一度立ち止まって考えるべきなのかもしれません。離れることは自分を守るための大切な選択なのではないでしょうか。

 

【取材時期:2026年4月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

読者からの体験談をお届けします。

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