謝罪という名の連絡
久しぶりに弟の元妻から連絡が来たのは、ある平日の昼下がりでした。
画面には「お久しぶりです」という文字と、いくつものハートの記号が並んでいました。「一度ちゃんと謝りたくて連絡した」と彼女は書いていました。「私から婚約者を奪ってしまったこと、ずっと気になっていた」と。
私には、医師の婚約者がいました。その婚約者と関係を持ったのが、当時、私の弟の妻だった彼女です。彼女は弟と離婚し、私の婚約者だった人と再婚しました。結果として、私は婚約破棄に、弟は離婚に追い込まれたのです。
謝罪という言葉のあとに続いたのは、反省ではありませんでした。今はおかげさまで幸せだ、憧れのタワーマンションで暮らしている。文章のあちこちに、ハートと笑いの記号が散りばめられていました。
あなたたちの幸せの裏には、巻き込まれた被害者がいる。そう伝えても、彼女の返事は軽いものでした。
「わかってますって」
そして、弟によろしく伝えてほしい、と彼女は言いました。元夫に自分から連絡するのは気まずいから、姉から一言あると助かる、と。自分で言えないのか、と私が返すと、「男にはプライドがあるでしょう笑」と彼女。不甲斐ない男だったばかりに医者に横取りされたなんて、弟が傷ついて立ち直れない、とまで書いてきたのです。
私の弟は不甲斐ない男などではありません。やさしくて、友人にも職場の人にも慕われている、自慢の弟です。そう返しても、彼女は土木の現場仕事を汗臭いと笑い、元婚約者との洒落たレストラン通いを並べ立てました。
スマホを持つ手に、少し力が入りました。
マウントは止まらない
数日後、彼女はまた連絡してきました。弟は何か言っていたか、悔しそうにしていたか、自分に未練はあるか。そう次々と尋ねてきたのです。
「弟は、まったくどうでもいいという様子だったよ」
私が正直にそう送ると、しばらく既読のまま返信が止まりました。そして数分後、彼女から長文のメッセージが届いたのです。そこには、弟への不満がこれでもかと並んでいました。稼ぎが少ない、センスがない、特別感がない、退屈だった。そして、今の夫と出会わなくてもいつかは別れていた、とまで書かれていました。
大事な弟をここまで馬鹿にされて、私は腹の底が冷えていくのを感じました。それでも私は、自慢の弟だと静かに言い返しました。唯一の欠点は、あなたのような女を一度でも嫁にしてしまったことだけだ、と。
彼女は怒ったような文面を返してきて、それからまた医師の妻としての生活を語り始めました。夫がカードを渡してくれた、好きなだけ使っていいと言われた、選ばれた女と捨てられた女の差だと言い、年齢のことを持ち出して、私に結婚への焦りはないのかと尋ねてきました。
私には、特に焦りはありませんでした。婚約していたころ、私たちは結婚後の家計について何度も話し合っていました。家賃にいくらかけられるか、毎月の返済をどう組み込むか。数字を一緒に書き出したこともあります。だからこそ私には、彼女の語る生活が妙に思えて仕方がなかったのです。
最上階という嘘
終わりに、彼女は決め台詞のように言いました。
「タワーマンションの最上階に住んでいる」、「眺めが最高で空が近い」、「友人にもうらやましがられた」と。弟と結婚し続けていたらこんな生活はできなかった、とまで書いてきたのです。
「まあ、本当にそんな暮らしをしているのなら羨ましいこと」
私が話を合わせるように返すと、彼女はこう答えました。
「最上階の人にしかわからない悩みもあってぇ、1階に行くのが大変なんですよね~♡」
私は、画面に短く打ち込みました。
「でも、最上階は2階でしょ?」
「……えっ?」
返信が、止まりました。最上階が2階だなんてアパートじゃあるまいし、と彼女は書いてきました。私は静かに返しました。「だから、アパートなのよね」と。
実は、知っていたのです。
私の弟は、離婚したあと、現場の仕事で彼女たちの生活圏に近い地域へ通っていた時期がありました。そのころ、古い2階建てアパートの外階段を上がっていく彼女の姿を見かけたことがあったそうです。
さらに、離婚後の手続きに関する書類に記載されていた住所も、その建物と一致していました。だから私は、彼女がタワーマンションに住んでいるという話を信じられなかったのです。
「外から見ただけでしょう、友人の家かもしれない」
彼女は必死にそう書いてきました。けれど、住所まで一致している以上、友人の家だと言い切るのは無理がありました。
すべて見抜いていた
それだけではありません。私は婚約していたころ、彼の経済状況を最初から知っていました。
彼は、ごく普通の家庭で育ち、奨学金を借りて医師になった人でした。開業医ではなく勤務医で、彼の場合、収入は世間のイメージほど派手なものではありません。奨学金の返済もあり、そこに見栄のための支出まで重なれば、婚約中に彼と話していた家計感覚では、タワーマンションの家賃を払い続けるのは現実的ではありませんでした。
もちろん、堅実に暮らせば、十分に安定した生活はできたはずです。けれど、彼女はそれでは満足できなかったのでしょう。医師の妻になったのだから、それらしく見られたい。そう言って、高い服や美容代、友人に見せるための外食、見栄のための買い物まで重ねていたようです。
元婚約者も最初のうちは、彼女に嫌われたくなくて止められなかったのだと思います。けれど、奨学金の返済があるうえに、見栄のための支出まで膨らんでいけば、彼が婚約中に話していた家計感覚では、タワーマンション暮らしを続けるのはかなり難しかったはずです。
だから、タワーマンションで暮らしているという話が出た時点で、私は妙だと感じていました。謝罪したかったのではなく、確かめたかったのだと思います。自分は間違っていない、元夫を捨てて、新しい彼を選んだことは失敗ではない。
そう思うために、私が悔しがる姿を見たかったのでしょう。弟の未練をしつこく確認してきたのも、同じ理由だったのだと思います。けれど、私は悔しがらなかった。弟にも未練はないと知って、彼女が欲しがっていた反応はどこにも残らなかったのです。
それまで否定と言い訳を繰り返していた彼女の文章が、そこで急に崩れました。
彼女は、誤字だらけの文章でこう書いてきました。
「あなたが医者と結婚するって聞いて、医師の妻になればラクできるんだと思ったの。私だってそうなりたかっただけ。そう思って何が悪いの」
最初は、それでも強がっていました。タワーマンションにはそのうち住む予定だった、今の部屋は仮住まいのようなものだ、と。
けれど、言い訳を重ねるうちに、彼女の現実が少しずつ漏れていきました。
「カードだって自由に使えるわけじゃない」
「美容代くらい出してくれてもいいのに」
「食費の上限なんて細かいことを言われる」
そんな言葉から、彼女が思い描いていた“医師の妻”の暮らしとは、かなり違っているのだとわかりました。
それでも彼女は現実を受け入れられず、最後には「誰かにすごいって言われたかっただけなのに」とだけ書いてきました。
そして、彼女は弟の話を持ち出しました。
どうやら彼女は、今の生活が思うようにいっていないようでした。頼れる相手がいなくなったのか、昔自分を大切にしてくれていた弟のことを思い出したのでしょう。
「彼、今も一人なの?」「私のこと、少しは気にしてない?」「一度だけでも話せないかな」
そんなメッセージが続いたのです。
私はそこで、彼女とのやり取りのうち、弟に関わる部分だけを弟に送りました。勝手に返事をするわけにはいかなかったからです。
しばらくして、弟は自分で彼女に連絡を入れました。
あとで見せてもらった画面には、弟の短い返事が残っていました。
「復縁するつもりはない。もう二度と、自分の都合で近づいてこないでほしい」
それが、弟の答えでした。
戻ってきた元婚約者
彼女とのやり取りから数週間ほどたったころ、今度は元婚約者から私に連絡が来ました。やり直せないか、という言葉でした。
彼女とうまくいっていない。奨学金の返済額を知ってから、お金のことで責められるようになった。服や美容、外食に使うお金を止めれば、「医師の妻にこんな暮らしをさせるなんて」と泣き喚く。かといって使わせれば、月末には家計が苦しくなる。話し合おうとしても、最後は「医師なのにこんな生活なんて」「君が見栄ばかり張るから」と罵り合いになる。
元婚約者は、そんなことを言ってきました。家庭がうまく回らなくなって初めて、医師という肩書きではなく、返済の不安も含めて彼自身を見ていた私を思い出したのでしょう。
私は、今さらだと答えました。「あなたは私を簡単に裏切り、若い子に心を移した。うまくいかなくなったら前の相手にやり直したいと連絡してくる、それがあなたのやり方なのか」と。
私のことが忘れられないと元婚約者は言いましたが、そうは思えませんでした。若さに目移りしたときは私を捨て、生活が苦しくなったら私に戻ろうとする。都合のいい逃げ道にされるつもりはありませんでした。
彼女も元婚約者も、相手そのものではなく、自分の欲しかったものだけを見ていたのだと思います。
その後、彼女と元婚約者の結婚生活は続かず、2人は離婚したと、共通の知人から聞きました。彼女は実家に戻ったそうです。彼女の親族のあいだではひと通りの事情が知られてしまい、以前のように強気ではいられないようでした。元婚約者のほうも、結婚から離婚までがあまりに早かったせいで、周囲に事情を察されたようです。以前は家庭の話をしていたのに、今はその話題を避けるようになったといいます。
私は今でも、あの「最上階は2階でしょ?」と打ち込んだときのことを思い出します。スマホの画面に並んでいた、たくさんのハートの記号。あれは幸せの証ではなく、現実から目をそらすために必死で並べた飾りだったのだと思います。弟が見かけたという、古いアパートの外階段を上がる彼女の姿を思うと、ただ笑い飛ばす気にはなれませんでした。奪っても、見栄を張っても、手に入らないものがある。それだけは、今も胸に残っています。
◇ ◇ ◇
見栄を張る言葉が増えるほど、その人が本当は何に困っているのかが透けて見えてしまうものなのですね。言い負かそうとするより、事実を静かに差し出すだけで十分なこともあるようです。不誠実な相手とは距離を保ち、戻ってきた人にも急いで心を開かない——そんな線引きが、自分を守ってくれるのかもしれませんね。
【取材時期:2026年1月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。